香心門死者之書

 

 

まえがき

 

1.   『老子』第四十八章。

学を為せば日にまし

道を為せば日に損す

之を損しまた損して

以て無為に至る

無為にして為さざる無し

2.     知識を学ぶと自」へのこだわりが増す。

みんなについて学ぶと自」へのこだわりが減る。

どんどん減って、終には「みんな」になる。

そうなると何でもうまくいくようになる。

3.     人生を重ねると、自身や自我や自分という自」が増す。結果、他人の自」との衝突が増す。不満や不安も増す。「みんな」という言葉について学ぶと、「自」が減る。結果、他人との衝突が減る。不満や不安も減る。終には「無自」つまり「みんな」になって、衝突も無くなり、すべてがうまくいくようになる。

4.     「みんな」という言葉を学び、育てると、極楽に至る。

5.     ずっと前に書いた「香心門銀河鉄道」の主人公、城万二(ジョバンニ)になって、極楽への道を辿ろうと思う。

6.     前回は成長の仕方の話だったが、今回は悟り方、言い換えれば幸福な死に方の話だ。「香心門死者之書」だ。

(1)                   銀河鉄道の続き。主人公は城万二。

(2)                   身に付いた「自」の影がとれていく旅。

(3)                   ああこれはあの頃に身に付いた影だ。そういうことだったのか。悟りの旅。

(4)                   なぜ旅なのか。日常見慣れた自分や世界や時間を離れて、客観的に、つまり「みんなの目」になって、見ることが出来る。それが旅にした理由だ。

(5)                   道標は香の十徳。作者は宗の国の黄献哲、普及者は一休禅師と言われているが、路が踏み固めたみんな、言葉が使い込んだみんなの共同作品であるように、香の十徳も今となってはみんなの作品だ。この物語では、有名な一休禅師の名を借りることとする。

7.     身に付けていた「自」の影がとれていく物語。「自」の影がだんだん薄くなって、極楽に至る物語。

 

 

出発

 

私の名は城万二.72歳。香が好きな香好爺。

香木や香道具を収集、香の焚き方を本にして、それなりに楽しかった。

思えば打ち上げ花火のような一生だった。

花火は頂点で開いてバラバラになって消える。自分はどうなるのだろう。

母と入れ替わりに、自分が入院した。もう何年もベッドの中にいる。この本は脳波で操作するパソコンで書いている。

深夜、廊下の奥のエレベーターがチンといった。ひたひた足音が近づき、見上げると枕元に小さな坊さんがいた。子供の頃アニメで見た一休さんだ。

これから極楽に行きましょうという。

これがこの死者の書の始まりだ。

とうとう、お迎えが来たと思う。

恐ろしくも悲しくもない。

着替えも靴も無いが、そのままでという。

ベッドが空飛ぶ絨毯のようになる。

一休さんは、枕の横に座って、ハンドルを握る。私は助手席の客になる。

窓を抜けて夜空に飛び上がる。久しぶりの外界だ。天地がひっくり返る。星空が地面になる。ひときわ赤い星が、噴火口になった。

最初にあの火山へ行きましょう。

 

 

第1回和香会

 

一休さんが薫香録を取り出す。

香元はベスビオス火山。香名は「無」と「虚無」と「有」。香題は探有香。五味は清浄心身。六国は「無と虚無を脱ぐ」。

香炉の炭団のような赤い噴火口が近付いてくる。

ふもとに遺跡がある。

着陸。

ベッドがそのまま遺跡に向かう。

石の門がある。崩れた石柱に、日本語で、ポンペイと書いてある。

この旅は進むごとに、高度が上がります。心の荷物を捨てて軽くしていきましょう。と一休さん。

展示館に入る。入り口で、ガイドのリーフレットを取る。

白い塊りが並んでいる。寝そべっている人間のようだ。

溶岩流に呑みこまれた人々の体が消えて、残った穴に石膏を流し込んで取りだしたものだ。リーフレットを見る。「この穴に生じていたすべては虚無だった」とある。

少し先には、文字が書かれたレンガの壁がある。いたずら書きや選挙ポスターだ。今も語りかけてくる。リーフレットを見る。「これは有だ」とある。

展示館を出ると石畳の中央に浴槽があって、溶岩が湧きだしている。

温泉の効能書を読む。

心の老廃物を排出し、免疫を高める。

無を発汗、恐れが消える。

虚無を発汗、不満が消える。

有が浸透、免疫を高める。

入る。温かく快い。

一休さんが補足説明をする。

無とは、感覚の心の働きである自身にも、感情の心の働きである自我にも、言葉の心の働きである自分にも、感知できない事物のことです。感じてもいないし、言葉にもしていない事物のことです。

虚無とは、感覚の心の働きである自身にも、感情の心の働きである自我にも感知できるが、言葉の心の働きである自分には感知できない事物のことです。つまり感じていても、言葉にしていない心象のことです。

有とは、言葉の心の働きである自分にとって存在している事物のこと。つまり言葉のことです。ゼロは言葉ですから有となります。ゼロの発見とは無や虚無をゼロという言葉にして有に変えたと言う意味です。

体も温まったので、浴槽から出る。汗とともに、無気力感や虚無感が抜けた感じがする。

出発する。

 

 

第2回和香会

 

一休さんが薫香録を取り出す。

香元は満月。香名は「心」と「体」。香題は探心香。五味は能除汚穢。六国は「体を濾す」

体がかゆくなる。

この世に残してきたはずの幻想の体です。

この旅は進むごとに、高度が上がります。心の荷物を捨てて軽くしていきましょう。と一休さん。

この世から引きずって来た幻想の体は、自力では脱皮できません。月の鏡で濾すのです。

あの世の鏡に写るのは、この世の鏡とは反対に、体でなく心なのです。

幸い今夜は満月です。あそこで濾過しましょう。

英国にはアリスと言う7歳の少女が鏡の国に入った物語があります。

子供向けの物語ですから、アリスはまた鏡の外のこの世の体に戻ってくることになります。

竹取物語のかぐや姫は、月の鏡に入って、戻りません。

こちらの方がヒトの本当の在り方です。

それって死んだということじゃないの。

鏡のこちらからはそう見えますが、体を脱皮してあの世に帰っただけです。

月の裏側は謎で、火星人の秘密基地があると言われていましたが、人工衛星「かぐや」が、表と変わらない景色を見せてしまいました。

でもそれはこの世の月の話です。

あの満月はあの世の鏡です。

あの世の鏡を通り抜けられるのは心だけです。

満月に向かう。鏡には心だけが写る。体は写らない。

裏へ抜けて心だけになる。

鏡の裏にシールが貼ってある。

「体を濾して心の純度を高める鏡。生老病死の恐れを濾し取る鏡」。

体が気にならなくなる。

旅を続ける。

 

 

第3回和香会

 

一休さんが薫香録を取り出す。

香元は耳なし法一。香名は「感覚の心」と「感情の心」と「言葉の心」。香題は探香。五味は感動鬼神。六国は「感覚や感情の心の鬼を鎮める」

体は無くなったけれど心が痛む、苦しむ。しなければよかったこと、した方が良かったことの後悔が心を苛む。

心の鬼が騒ぎ始めたのでしょう。感覚や感情の心の興奮のことです。

この旅は進むごとに、高度が上がります。心の荷物を捨てて軽くしていきましょう。と一休さん。

耳なし法一の言霊の処へ行きましょう。その力で、感覚の心の鬼と感情の心の鬼を誘い出し、その隙に私があなたの心に言霊を吹き込みます。彼らには言霊の岩戸は開けられません。言霊であれば何でも良いのですが、私が得意なのは般若心経です。

古い都に向かう。お寺があって、鬼がこの世との行き来に使っている井戸がある。

法一の言霊が、井戸端でライブをしていた。

用件を伝える。

私の鬼の好みは「平家物語」でしたが、あなたの鬼は何をお好みでしょうか。

「源氏物語」です。光源氏が愛した女性や、権力争いの話です。

早速、琵琶を弾きながら「源氏物語」を語り始めた。

「梅が枝の帖」で感覚の心の鬼が、「夕顔の帖」で感情の心の鬼が、抜ける。

すかさず一休さんが般若心経を唱える。

私の心の岩戸になる。

鬼は行き場を失い井戸の向こうに消えて行った。

心の痛みや悩みも消えた。

旅を続ける。

 

 

第4回和香会

 

一休さんが薫香録を取り出す。

香元は「茗荷屋」。香名は「この世」と「あの世」。香題は探香。五味は能覚睡眠。六国は「この世を忘れる」

旅の疲れか、居眠りをする。

夢の中で、元の病室に居て、看護師さんと話したり、治療を受けたりする。消燈。遠くから足音が近づいてくる。夜勤の看護師さんの巡回だろうと思う。枕元に来て子供の声が話しかけてきた。「一休さんだ」と目がさめる。相変わらず夜空を飛んでいる。

眠ったり覚めたり、夢うつつだ。

このままでは、迷って極楽に戻れなくなります。と一休さん。

あなたはすでに無や虚無、体、感覚や感情の心、つまりこの世を捨てて、あの世に移っています。

見ていた夢は、無や虚無、体、感覚や感情の心、つまりこの世の残像が見せる幻です。

この旅は進むごとに、高度が上がります。心の荷物を捨てて軽くしていきましょう。と一休さん。

心の小腹を満たしに、小料理「茗荷屋」に寄りましょう。

店の主人が出てきた。事情を話すと、荘子と書かれたメニューリストを見せた。

この「胡蝶の夢」と言う処に、お勧めがあります。

茗荷のフルコースを召し上がりなさい。

この世の残像はさっぱり忘れられます。

初めに蘊蓄書きが来る。

「茗荷は、食べると物忘れがひどくなると言われており、落語にも宿屋の夫婦が預かった金のことを忘れさせようと飛脚に食べさせる『茗荷宿』という噺があります」。

茗荷の食前酒、てんぷら、酢の物、が出る。

最後の茗荷茶で目が覚めた。

眠気が取れて、すっきりした。

出発。

 

 

第5回和香会

 

一休さんが薫香録を取り出す。

香元はシェヘラザード。香名は「自身」と「自我」と「自分」。香題は探香。五味は寡而為足。六国は「自身や自我と別れる」。

この前の前の和香会で二人の鬼と別れた。

あの時は清々したが、段々心細くなってきた。

感覚の心が生み出す自身、感情の心が生み出す自我、そして言葉の心が生み出す自分。3人は、この世で協力して生きてきた兄弟で、言葉の心である末っ子の自分だって同じ鬼族だ。

この世で一緒に苦難のオオカミと戦ってきた兄たちを失って、この先の旅の難関を越えることが出来るのだろうか。

3匹の子豚のおとぎ話とは逆の思い出がある。

チンドン屋の後をつけて、となりの街まで来て、道に迷った。

言葉の心に秀でた末っ子の私が記憶を辿って来た道を探すが帰れない。

感情の心に秀でた次男が楽な道をたどるが帰れない。

感覚の心に秀でた長男が、高台から見渡して、ようやく家に帰ることが出来た。

この世とあの世では必要な能力が逆なのだ。兄たちが恋しくて心細くなる。

この旅は進むごとに、高度が上がります。心の荷物を捨てて軽くしていきましょう。と一休さん。

千一夜物語で、人々を励まし続けているシェヘラザードの言霊に会いに行きましょう。

アラビアへ行くのかと思ったら、近所の図書館だった。

5階が児童図書の部屋です。図書館はあの世ですから、寓話の主人公に会うのは簡単ですよ。本を読めばいいのです。

会話の詳細は省くが、結論として、言葉だけを頼りに、この先も一人で旅を続ける勇気をもらった。

不安が消えて心が軽くなった。

出発。

 

 

第6回和香会

 

一休さんが薫香録を取り出す。

香元は絵画「記憶の固執」。香名は「記憶の過去」と「現実の現」と「願望の未来」。香題は探香。五味は常用無障。六国は「を忘れる」。

今は何時頃だろう。時計を探して見回す。掛け時計が枯れ枝に引っ掛かっている、文字盤も針も溶けている。現在の時刻がわからない。居場所を見失った迷子のような気持ちになる。

見たことのない文字盤だ。画面が白と黒の2つ、記憶の過去と願望の未来に分かれている。魔女の姿で箒に乗っている自分が振り子で、微かに揺れている。自分の心が今、どのあたりなのか分かるようになっている。

時計の音がささやいてくる。ここ、あの世には実の現は存在しない。それでも実が気になるのはこの世で身に付けた、競争差別の感情の心の働きだ。

この旅は進むごとに、高度が上がります。心の荷物を捨てて軽くしていきましょう。と一休さん。

空飛ぶベッドが舞い上がる。

黄土色の景色、溶けた時計の形をした建物の前に舞い降りる。

「10時10分髭」の男がにらんでいる。

ダリ園長です。と一休さん。

ここは老人ホーム「探荘」です。ここでは、現在の欲望も、未来の願望も消えています。やがて過去の記憶も冬の夕映えのように消えていくのです。しかしその分みなさん、この世より平安な気持ちで過ごしています。

この世に居た時の習性で、実の現が無いと不安になります。死んだら実の現が無い闇に落ちると思ってしまいます。安心して下さい。あの世には元々実の現などありません。実の現は、この世の欲望が見せる幻想なのです。実の現が無ければ、不安も迷いも無いのです。

心が軽くなる。

出発。

 

 

第7回和香会

 

一休さんが薫香録を取り出す。

香元は赤衣の僧侶。香名は「小さな自分」と「大きな自分」。香題は探霊香。五味は久蔵不朽。六国は「小さな自分を脱ぐ」。

善人でも悪人でもなく普通に生きてきたつもりなのに、これまでの自分が、利己的で、意地悪な爺さんに過ぎないという苦い気持ちが湧いてきた。このまま極楽へ行けるのだろうか。

思えば自分のためだけを追い求めてきた一生だった。せめて最後くらいは花咲じじいになって、みんなを喜ばせたい。自分のことのようにみんなのことを思える大きな自分になりたい。

しかし自分が自分である限り、どうしようもない。

そんな自分が、どうすれば大きな自分「みんな」になれるのだろう。

この旅は進むごとに、高度が上がります。心の荷物を捨てて軽くしていきましょう。と一休さん。

高度はぐんぐん上がり。北斗七星のように並んだ雪と絶壁の山脈を越えて、中腹の街に降りた。

赤衣の僧侶の言霊が、笑いながら出てきた。一休さんから事情を聞いて、アドバイスをしてくれた。

あなたはもう「みんな」になっているのです。というか元々「みんな」なのです。

あなたは自分が言葉の塊りだということはわかっていますね。

言葉は考えているだけでは誰とも共有できない自分だけのもの、小さな言葉なのですが、誰かに話せば、共有されてみんなのもの、大きな言葉になります。

それが言霊です。「おはよう」は、初めてその言葉を思いついた誰か、それを使いやすくした誰か、広めた誰か、それらのみんなが発信した言霊で、あなたもその言霊をもらってあなたの言葉にして、あなたがまた発信して、言霊に戻して、大きな自分、「みんな」を形成しているのです。

体や心や言葉は消えますが、言霊は在り続けてこの世のみんなの言葉の心をぐるぐる廻り続けるのです。

今、あなたの言葉の心は、言霊の心に脱皮しかかっているのです。

繰り返しになりますが、あなたは言葉で出来ている。そんなあなたが言葉を発信すれば、あなたは言霊になる。その言霊が誰かに受け入れられてその一部になれば、みんなになります。大きな自分になるのです。ヒトはそんな風にして永遠の存在になることが出来るのです。極楽に居ることになるのです。

どうすればいいのでしょう。

「私はみんな」と百万回唱えてごらんなさい。

百万回だなんて、と思ったがやってみれば116日、つまりたった4か月だ。この世では長いが、あの世ではあっという間だ。

これが私の小さな自分との別れだった。

心が軽くなった。

旅は続く。

 

第8回和香会

 一休さんが薫香録を取り出す。

香元はイソップ。香名は「癒し」と「救い」。香題は探救香。五味は塵裡偸閑。六国は「癒しから自由になる」

何をしても虚しい。

何をしても本当にしたいことから外れてしまう。

未だそんな気持ちが残っている。

極楽には本当の喜びがあって、この虚しさが消えるのだろうか。

この旅は進むごとに、高度が上がります。心の荷物を捨てて軽くしていきましょう。と一休さん。

二千六百年前、イソップが参考になる物語を残しています。

イソップに会うのは簡単です。昔、幼稚園の先生にもらった言霊を思い出せばいいのです。

記憶のアルバムを開き、見つける。

黄金に変わり果てた食べ物や飲み物や愛娘のそばで途方に暮れている主人公が居た。業突く張りの王様ミダースだ。

イソップの言霊がミダースと私に説教をする。

この世の喜びを癒し、あの世の喜びを救いといいます。あなたは黄金つまりこの世の喜びという癒しに目が眩んでいるのです。

大切なことなので、もう一度同じことを別の言葉で言います。

感覚や感情の心の喜びを癒し、言葉の心の喜びを救いといいます。

あなたは黄金つまり感覚や感情の心の喜びというこの世の癒しに目が眩んでいるのです。

大切なことなので、さらにもう一度同じことを別の言葉で言います。

自身や自我、小さい自分の喜びを癒し、大きな自分、みんなの喜びを救いと言います。

あなたは黄金つまり自身や自我、小さい自分の喜びというこの世の癒しに目が眩んでいるのです。

まとめれば、癒しは、この世の喜び、感覚や感情の心の喜び、自身や自我や小さい自分の喜びのことです。自分だけの喜びのことです。

救いは、あの世の喜び、言葉の心の喜び、大きい自分の喜びのことです。みんなの喜びのことです。

言葉の塊りであるあなたの本当の喜びは、善い言霊を得て、つまり悟って、その言葉を発信して言霊になって、大きい自分、みんなになることです。

気持ちが落ち着く。

旅を続ける。

 

 

第9回和香会

 

一休さんが薫香録を取り出す。

香元は良寛。香名は極楽香。香題は「大きな自分」。五味は静中成友六国は黄泉返り。

まぶしい光の中にいる。

チュンチュン雀のような声が溢れている。

糸瓜のような後ろ姿の老人が、園児たちとサッカーをしている。

五合庵園長の良寛さんです。と一休さん。

良寛さんが古い卒園アルバムを持ってきて見せた。

あなたもここから巣立った一人です。ほら、今聞こえた「チュン」は、ここで出会った百番目の言霊です。その言霊は今もあなたの中にいます。

ここが極楽か。思っていたのとはずいぶん違う。

海です。言霊の海です。

今もあなたの中には、父母からもらった言霊が居ます。ガキ大将のみっちゃんから貰った言霊も居ます。あなたは、寄せてくる言霊の海の潮が流れ込んで出来た潮だまりなのです。

あなたの使命はお分かりでしょう。善い言霊になって、この子らの言葉の心に流れ込んで、その自分を形成するシナプスを作ることです。そしてあの世を形成するシナプスを作ることです。

極楽について来られなかったあなたの影たちは、この世に生えている六十億歳のDNAの樹が咲かせた花です。

DNAの樹は季節のたびに新しい花を咲かせては散らします。

あなたはその花の花粉つまり言霊になって極楽に来たのです。

晴々とした気持ちになった。旅は終わったと思って、幼稚園の中に入る。

先生の話を聞いたり、遊んだり、泣き叫んだりしている子供たちがいる。

ジョバンニもいる。カムパネルラもいる。

今、この世に生きている子供たちの言葉の心だ。

場面が暗い駅のホームに変わる。

「銀河ステーション・・・」と駅名を告げるアナウンスが木霊する。

ここは極楽ですが、安住の地ではありません。

良寛さんは車掌服になっている。

極楽は終着駅ではなく、折り返し駅なのです。

この子供たちがこれから生きていくこの世は、虚無が支配しています。

神も仏も無い。天国も地獄も無い。道徳も正義も無い。罪も天罰も無い。

強ければ好き勝手でいい、そういう世界です。

神も仏も、天国も地獄も、道徳も正義も、罪も天罰も、すべては、動物として生まれた人間が、ヒトに脱皮して極楽に行こうと紡ぐ、言葉の翅なのです。

その翅が世代を超えて数百万年分積み重なって、極楽つまり言霊の海になっているのです。

虚無とは、極楽を知らない、理解できない、作れない心の状態なのです。

この子たちも、そのままでは、虚しく地上の土に戻るのです。

発車のメロデイーが響く。

一休さんがそっと背中を押す。

(香満ちました。礼)