薫香日本書紀 1.
まえがき。 (1)
いつの世も、人の心を乱すのは、不満と不安だ。 (2) 社会の在り方だけでなく、個人の心の持ち方からのアプローチも必要だ。 (3) これは、心の津波とともに流れ着き、心の復活とともに流れ去る、香木の流離譚だ。 (4) 日本書紀巻22/推古天皇(592-628年)「三年夏四月、沈水、漂着於淡路嶋、其大一圍。嶋人、不知沈水、以交薪燒於竈。其烟氣遠薫、則異以獻之」。推古3年の4月に、香木が淡路島に漂着。一抱えもあった。島人は香木とは知らずに、薪に混ぜてかまどにくべた。香りが遠くまで広がった。びっくりして朝廷に献上した。 (5) この世を支配しているのは、生命誕生以来、数十億年を経た、DNAの海だ。あの世を支配しているのは、人類誕生以来、数十万年蓄積した、言霊の海だ。先達者の使命は、後進者に言霊を伝えることだ。DNAやDNAの海については、科学的知識としてインターネットなどで調べてほしい。この世やあの世や言霊については、一人一人が抽象的に自分の中に言葉で作るものなので、一概には言えない。この物語での考えは、以下の通りだ。 @
体は、DNAの孤立した水たまりではなく、生物誕生以来数十億年生き続けているDNAの海の一部なのだ。自分は、言霊の孤立した水たまりではなく、人類誕生以来数十万年蓄積し続けている言霊の海の一部なのだ。 A
言霊とは、ヒトの言語野が言葉を作り、発信して、共有し、記憶や記録をした情報だ。 B
言霊の海とは、共有され、記憶され、記録された言霊の集合、つまり文化のことだ。時空を超えて個人に流れ込み、その個人の、自分や世界や、記憶や願望という時間となり、その人格を形成する。個人は困難に出会うたびに、受け入れた言霊を進化させて、発信して、言霊の海に返す。 C
この世とは、DNAが作り出している本能つまり感覚や感情の心に映る環境のことだ。 D
あの世とは、言霊の海から、個々の言葉の心に流れ込んだ言霊が作り出している、言葉で出来た、自分、世界、時間のことだ。 E
どちらも生きているヒトの脳の中に、一人一人別々に生じている情報だ。 (6) 今度の津波でも、建物など、この世の瓦礫は片付けられたが、被災者の心つまりあの世の瓦礫は、片付けられず、放置され、時の流れに隠れつつある。 (7) 津波に遭う。初めは心全体の活動が停止する。やがて感覚や感情の心が回復して、苦しみや悲しみ、さらには生きている喜びが生じる。この世の復活だ。その後、言葉の心が絶望から目覚める。言葉で願望を作り、挑戦する勇気が湧いてくる。必要なら我慢や努力も出来るようになる。生きようとする力が湧いてくる。あの世の復活だ。この、困難を克服して生きようとする過程が、ヒトとしての本当の喜びになる。ヒトの心はそんな風に回復していくのだ。 (8) この過程が、心の瓦礫の撤去作業だ。この物語は、残された者たちの心の瓦礫の撤去の記録だ。いつかまた来る津波に備えて、未来に、心の復興に役立つ言霊を残すのだ。 (9) ということで、あの津波で家族を失った城万二少年の、心の瓦礫の撤去作業が、前回の「天の原探香録」だ。 (10)
あの津波の後、死者の埋葬や、物としての瓦礫の片付けもとっくに終わって、少年のこの世が回復、パソコンで遊べるようになった。物語は「天の原探香録」というサイトつまりあの世に入ったところから始まった。 (11)
サイトの入り口の画面に、青黒い汽車の絵が浮かんでくる。汽車のプレートに http://www.ransan-club.com/ というボタンが在って、押す。画面の障子が開いて、縁側の向こうに冬の夕焼け。大きな山がそびえている。障子の脇に香炉があって香りが立ち昇っている。汽車は山の上の冬の夕焼けの中から現れる。 (12)
少年のアバターであるジョバンニという主人公が乗車。天の原鉄道の各駅で、あの世の力、生きようとする力を身につけて、この世に戻って来る。汽車は少年を降ろして、次の物語へと旅立っていく。 (13)
ここまでが前回の話だ。 (14)
今回の話は、還暦を過ぎた城万二の、回想から始まる。 (15)
名付けて「薫香日本書紀」だ。 2.
言霊の海へ。 (1)
浦島太郎。 @
あの物語から半世紀経った3月、まだ寒い晩だった。仕事を終えて帰宅した。食事をしながらテレビを見ていると、明日が3月11日だということで、特集をやっていた。見ているうちに、胸が苦しくなって、床に就いた。夢を見た。津波が襲いかかってくる。巻き込まれる。目が覚めて、床に起き上がって、暗闇を見つめた。家族で唯一生き残った祖母から聞かされた、父の最後の場面だ。その父の心に自分はなっていた。あの日から今日まで、何も片付いていないことに気が付いた。自分は何をしていたのだろう。虚しい気持ちが、津波のように押し寄せてきた。お盆には墓参りに行こう。行方不明のままで墓は空だが、祖母がそこに眠っている。 (2)
香木漂着。 @
その年の夏は暑かった。 A
お盆が終われば、日本のあちこちの玄関や駅やバス停で、遠くへ帰る子や孫を、これが永久の別れかと思いつつ、黙って見送ることだろう。体は、順繰りに新陳代謝をしていくのだ。永久の別れが近づいた夫婦もたくさんいるだろう。見送る方は病室の窓から、打ち上がるお盆の、音の無い花火を黙って眺めるだろう。その時、世界は水底から見上げるように青く揺れる感じがするだろう。 B
自分も、この世の海のあちこちで、漂流物や水平線や蜃気楼に欲を駆られてさまよった。そろそろ港に碇を降ろそう。子供の頃の宿題が、物置からそのまま出てきたようだ。幼い孫に語り継ぐつもりで、一つずつ片づけていこう。 C
その週末に、息子一家と墓参をした。浜辺で、迎え火を兼ねて花火をした。孫が流木を拾って来た。たき火にくべると、何ともいえない香りがした。 D
どこかで出会ったことのある香りだ。ずっと昔の祖父の家でのことだ。あの日以来続いている虚無感が、スッと抜ける感じがした。 E
流木をたき火から取り出すと、焦げていない木肌に、蘭という文字が見えた。行方不明の家族が戻って来たような気がして、持ち帰った。 F
後で思ったのだが、香木は、あの物語で浦島太郎を乗せて運んだ、亀だったのかもしれない。 (3)
言霊の玉手箱。 @
その夜夢を見た。押入れの隙間から光が漏れてくる。竹取の翁が薄明の竹やぶの中で、根元が光る竹を見つけた時のようだ。そっとふすまをずらして覗く。光は桑折(こうり)から漏れてくる。向こう側に、仏壇の写真で見なれた祖父が、ふたに手をかけて、手招きをする。夢はそこで終わった。 A
翌日、仕事が一段落した後、桑折を押入れから引き出した。母方の祖父の遺品だ。あの日、母の実家は高台にあって無事だった。その3年後、祖父が亡くなって、桑折は遺言で孫の自分がもらった。後年、家を建てた時に引き取った。 B
これまで開くことは無く、あの時のままだ。この桑折からどんな煙が出てくるのだろう。玉手箱を開ける浦島太郎の気持ちになった。 C
蓋を持ちあげる。煙ではなく、かび臭さでもなく、不思議な甘い香りが立ち昇る。浜辺で拾った香木と同じ匂いだ。 D
靴箱くらいの木箱が目についた。中に銀紙をかぶった香炉があった。灰が入っていて、匂いはそこから出ていた。火箸もあった。香合は、津波の前に父が取り出し、勤務先の老人ホームのロッカーに入れていた。そのことは前回の物語にある。 E
あとは、大学ノートと蝶の図鑑と古い紙の束が2冊だ。1冊には薫香録、もう1冊には薫香典という筆書きの表紙が付いている。 (4)
浦島太郎の再出発。 @
これまでの半生が走馬灯のように浮かんできた。竜宮城での日々を思い出している浦島太郎の気持ちになった。いろいろやってきた。これまで感覚や感情の心に任せて過ごしてきたことが浮かんでは消えた。楽しくも、虚しくも思えた。あの日から今日までの出来事が、その時々の自分が、トコトコ歩きのチャップリンのように、コマ落としの映像で、通り過ぎていく。 A)
祖母と過ごした少年時代。 B)
カムパネルラのこと。 C)
本を読みふけったこと。 D)
お寺に通ったこと。 E)
旅行をしたこと。 F)
カメラに凝ったこと。 A
この浜辺を出発して、結局またこの浜辺に戻った。あの日から、この浜辺の瓦礫は片付いていない。失われた昔を思い出して、途方にくれている浦島太郎の気持ちになった。 B
これまで気に留めていなかった自分や世界や過去を整理して、未来の誰かの役に立てたいという気持ちが抑えられなくなった。おとぎ話も、昔の誰かが、そんな気持ちになって、語り始めたのだろう。 C
浦島太郎の物語の終わりは尻切れトンボだが、自分の物語はここから再出発だ。 3.
言霊の満ち潮。 (1) 桑折(こうり)の中から、薫香師たちの言霊が流れ込んできた。 (2) まずは薫香録だ。 @
代々の薫香師が書いた、お香の会の記録だ。日付と参加者の名と香題だ。日付は飛び飛びだが、応仁の乱まで続いている。 A
薫香録の1枚1枚に、香りを個性的に表現した言葉が光っている。墨跡も個性的だ。それぞれの時代の薫香師が言霊になって話しかけてくる。 B
これは後日思いついたことだが、ヒトの本能には、得るだけでなく、残す、伝える、がある。香りばかりでなく、この世の総ては、物や現実のままでは伝えたり、残したりできない。情報にしなければならない。石造りのピラミッドや教会や、壮大な伽藍ですら朽ち果てるが、その技術や知識や教義つまり情報は残り、伝わる。技術や知識や教義がここでいう言霊だ。薫香録は言霊の正倉院だった。 (3)
薫香典(くんこうてん)。 @
日本書紀を脚色した「津波とともに流れ着いて、心の瓦礫とともに流れ去る、香木の物語」から始まる。仏教や香木の伝来の話だ。 A
すべて同じ筆跡だ。原典はそれぞれの時代に書かれたのだろうが、いつの時代かに津波や戦災で失われたのだろう。薫香師の誰かが、記憶を辿って、書き直したのだろう。 (4) 大学ノート。祖父の言霊。 @ 祖父が薫香典に加筆するために書いた、覚え書きだった。以下は、祖父の言葉だ。 A 「津波とともに流れ着いて、心の瓦礫とともに流れ去る、香木の物語」を読んだ。自分もその物語を生きているのだと感じる。 B 以下の香木伝来の話は、自分が調べ、脚色も加えて、まとめたものだ。 A)
インドシナ半島東部の山稜地帯では、焼き畑による陸稲の生産が盛んだ。沈香は、その山間の低湿地に生える沈香樹の樹脂だ。アヘンのような鎮静作用があり、動物としての競争差別の感情を鎮め、ヒトとしての言葉の心を優勢にする。仲良く暮らすための和の薬として、長老の管理の元、大切に用いられてきた。その甘い香りが愛され、ひろがった。酒には言葉の心を麻痺させ、感情の心を暴走させ、いさかいを起こさせる副作用がある。そんな事もあって、沈香は、アラブや中国の宮廷や、仏教の儀式で重用されるようになった。 B)
どんな経緯かは不明だが、1300年前、唐の長安に、大きな沈香の塊りが辿り着いていた。朝廷の命を受けて、仏教を求めて来ていた遣唐使が、経典や戒壇の正式な資格を持つ僧侶ともに、日本へ運んだ。仏教伝来の話として有名だ。この沈香は、聖武天皇によって東大寺の大仏の開眼式に供えられ、他の供物と共に正倉院に納められ、今日も、国宝として、そこに在る。その沈香につけられた雅号が、あの有名な「蘭奢待(らんじゃたい)」だ。 (4)大学ノート。祖父の言霊。 B
チョウの図鑑。あの世の入り口。 A)
祖父は昆虫少年だった。特に蝶が好きで、孫にもよく話をしてくれた。大学ノートには、「自分が見たあの世をこの世の孫に書き残す」とあった。題は「胡蝶の夢」。以下の通りだ。 B)
ギフチョウの卵を採集して、飼育箱で幼虫、蛹、蝶になるまで育て、観察ノートにつけて、生まれたばかりの美しい翅を、展翅して標本箱に収めた。今思えば、チョウに重ねて、自分の言葉の心も飼育していたのだろう。 C)
やがて、殺生をやめて、代わりに生きているチョウの撮影に没頭した。写真で満足できるようになったのだ。これがあの世の入り口だった。この地方を超え、日本を超え、時空を超えて、自分の世界が、この世からあの世に広がった。 D)
続けて、胡蝶の夢についての記述があった。紀元前4世紀の詩人の登場だ。 (4)大学ノート。祖父の言霊。 C
あの世への入り口。胡蝶の夢。 A)
胡蝶の夢。 a.
荘子の「胡蝶の夢」の詩を読んで、これは聞香の体験のことだと思ったので書いておく。 b. 昔者(むかし)荘周(そうしゅう)夢に胡蝶(こちょう)と為(な)る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自ら喩(たの)しみて志(こころざし)に適(かな)えるかな。周(しゅう)たるを知らざるなり。
俄(にわか)にして覚(さ)むれば、則ち?々然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。・・・ c.
昔、周(荘子の下の名)が居眠りをして、蝶になった夢を見た。楽しくて、すっかり蝶になりきっていた。目覚めたら周だった。周が蝶になっていたのか、今、蝶が周になっているのか。よく分からなかった。 d.
聞香をしていると、時によって程度は異なるが、ふと気が遠くなって、我に返ると、それまで何かになっていたり、どこかで過ごしたりしていたような不思議な気分になることがある。沈香の鎮静作用で、感覚や感情の心が言葉の心に切り替わるためだ。この世の現在の現実と、あの世の記憶の過去や願望の未来とを行き来するのだ。 e.
周が、荘子の感覚や感情の心を象徴する。胡蝶が、荘子の言葉の心を象徴する。どちらも荘子という人間の、脳の働きだ。荘子が夢の中の胡蝶である時は、ヒトの状態だ。荘子が目覚めている周である時は、動物の状態だ。どちらが正しいというわけではない。どちらかに固定することもできない。星のまたたきのように切り替わっている。意志の力で、切り替えたり、短時間持続したりするのが精いっぱいだ。薫香師は、言葉の心を鍛えて、感覚や感情の心の興奮を、意志の力で制御できるようになることを目指す。この胡蝶の夢は、その入り口だ。 (4)大学ノート。祖父の言霊。 D
あの世の香席。胡蝶の夢。 A)
私(祖父)が還暦を迎えた年の夏、昼の暑さが峠を越えてホッとしていると、突然、青い稲光のように、日暮らし蝉の声が響いた。前夜見た夢を思い出した。言葉にしておかないと、忘れてしまう。書いておく。 B)
爽やかな夏のそよ風と青空。アルプスの花畑に居る。祖父(祖父の祖父)はこの花畑を守る這い松で、私はアポロウスバシロチョウになっている。お花畑で遊びながら祖父に質問をする香席だ。その都度、花の香炉を廻して、香りで答えてくれる。 a
体はどこから来たの。どこへ行くの。 香り)ここの花畑の花は全部、一つの根から生じている。地上から見ると、たくさんの花が別々に咲いているように見えるだけさ。 b
死ぬのは痛いの、苦しいの。 香り)タンポポの綿毛が飛び立つ。そんな感じだよ。 c
自分はどこから来たの。 香り)言霊の海さ。 d
自分は何なの。 香り)言霊だ。 e
死んだら自分はどうなるの。 香り)おまえは体という物ではなく、言霊という情報だ。情報には生も死もないよ。 f
ここはどこなの。 香り)昔一緒に見た、渋谷の東急会館のプラネタリウムと同じだ。世界はお前の言葉の心が映している言葉でできた星座だよ。 g
昨日が今日になるの。 香り)今日の記憶が言葉になって昨日が出来るのさ。 h
明日が今日になるの。 香り)今日の願望が言葉になって明日が出来るのさ。 i
神様はいるの。 香り)言霊を信じると、言霊が神様になるよ。 j
どうしたら幸福になれるの。 香り)脳は3つの小さな脳でできていて、それぞれの脳にはそれぞれの喜びがある。ヒトとしての幸福は、3つ目の、言葉の脳に生まれる、永続する喜びだと思うよ。 Eあの世の香席。般若心経。 A)
遊び疲れて葉裏で羽を休める。近くの花から、ブンブンというミツバチの羽音が聞こえてくる。快い響きにウトウトする。祖父の葬儀の場面になる。般若心経が響いている。 a
祖父に意味をたずねる。花の香炉で答が廻ってくる。 b
色(しき)とは何。 香り)感覚や感情の心に見えたり感じたりするものだ。 c
空(くう)とは何。 香り)感覚や感情の心の状態、つまり言葉がない心の状態、動物としての心の状態、虚無のことだ。 d
色即是空(しきそくぜくう)とは何。 香り)「見えたり感じたりしていても、それは虚無なんだよ」という意味だ。 e
空即是色(くうそくぜしき)とは何。 香り)「虚無が見えたり感じられたりしているだけだよ」という意味だ。 f
色即是空、空即是色とは何。 香り)そんな虚無を乗り越えさせようと、考えさせるために、問題提起をしている言葉だ。 g
答えは何なの。 香り)感覚や感情の心でいる状態の時に生じている主人公が、動物としての自身や自我で、その時に感知している世界が現実で、その時に過ごしている時間が現在だ。これが虚無の正体だ。言葉の心でいる時に生じている主人公が、ヒトとしての自分で、その時に感知している世界が記憶や願望で、その時に過ごしている時間が過去や未来だ。これが答えだ。 h
逆さまなような感じがするよ。 香り)眉毛の下の眼で見るか、言葉の心、つまり第三の眼で見るかの違いだよ。どちらも大切だ。 Fあの世の香席。本当の自分。 A)
ふもとから吹きあがる風に乗って、霧が押し寄せてくる。花畑の花も霞んで、やがて何も見えなくなる。霧の奥から、祖父の声が聞こえる。 a
他者を意識すると、偽の自分が生じる。敵や味方を意識すると、偽の自分が生じる。反対すると、偽の自分が生じる。一人になると偽の自分は消えてしまう。偽の自分とは感覚や感情の心が見せる自身や自我だ。競争差別の興奮、動物としての本能だ。ヒトとしての本当の自分は、言葉の心の働きだ。 b
和とは、皆で平等に分かち合う事だ。偽の自分が消えることだ。言葉の心が生み出す心の状態のことだ。香木のままでは一人しか所有できないが、香りにすると、その場に居るみんなが所有できる。言いかえれば誰も所有できない。さらに香りを言葉にすると、時空を越えて、無限の人を満たすことが出来る。こうやって偽の小さな自分を消すことが出来る。 c
生きている意味が分からないと思うことがある。自分も、自分の世界も、自分の時間も、すべて自力で、言葉で、作るものだ。「分からない」というのはそれらの言葉をまだ作っていないということだ。感覚や感情の心である偽の自分に支配されているということだ。本当の自分が出来てくると、勇気や我慢や努力が出来るようになって、生きようとする力が湧いてくる。これが生きる意味が分かるということだ。 d
生きる意味が分かるため、つまり言葉で自分や世界や時間を作るために、どうすればいいのか。感覚や感情の心に生じる興奮を言葉に変えるように練習する。香りを言葉にして薫香録に記す。芭蕉が生涯、俳句を詠み続けたのと同じだ。日記をつけるのと同じだ。 Gあの世の香席。薫香師の使命。 A)
城万二は、疲れたので、ノートを広げたまま立ちあがって、祖父の香炉に香を点て、空薫(そらだき)をした。机に戻り、続きを読む。空薫の香りとともに、祖父の声が語り始める。 a
あの世とは言霊の海のことだ。言霊の海は見えない。まだ孫には見えない。見えるようになる手掛かりを、文字で残そう。 b
あの世は、生きようとする気力の源だ。あの世は言葉の心にしか見えない。孫が言葉の心を育て、勇気、我慢、努力を身につける手掛かりを、文字で残そう。 c
今はまだ、見えたりさわれたりする具体的なもの、つまりこの世しか信じられない孫に、抽象的なもの、あの世が見えるようになる手掛かりを、文字で残そう。 d
死後の世界ではなく、今居るあの世、言霊の海が見えるようになる手掛かりを、文字で残そう。 e
この世から消えた家族ではなく、ずっと一緒に居続けているあの世の家族が見えるようになる手掛かりを、文字で残そう。 B)
窓の外も薄暗くなってきた。香も尽きた。そろそろ、好きな力士の取り組みの時間だ。城万二は祖父の大学ノートを閉じた。 Hあの世の香席。薫香師のバトン。 A)
その夜、胸が痛み、緊急で入院した。そのまま手術となり、2カ月。昨日退院した。久しぶりの外界は夏の盛りで、暑さと光が溢れていた。帰宅して、仏壇に空薫をして、机でノートを開いた。祖父の励ます言霊が、乾いた心を潤すように流れ込んでくる。 a
釈迦が、教えをきく人の素質にふさわしく法を説いたように、聞く者の心の状態に合わせて、香りで語りかけよう。香(こう)は香りをそのように用いる技術だ。 b
ヒトの理想的な心の状態は言葉の心で、ヒトの理想的な主人公は言葉の心の働きである自分で、ヒトの理想的な時間は過去や未来だ。 c
感覚の心は刺激を楽しむ。感情の心は感覚の刺激による興奮を楽しむ。言葉の心はそれらを言葉にして言葉を楽しむ。香りは、感覚や感情の心を、言葉の心に切り替える手段であって、感覚や感情の心に楽しみを与える手段ではない。 d
香(こう)は、香りを言葉にして救いを得る技術だ。9種の香りを9種の言霊として自在に駆使する技術だ。 B)
最後の項目は、父が作ったSNSの「天の原薫香録」に登場した、香合のことだとわかった。9種の香りとは、甘、花、乳、辛、橘、樹、渋、銀、金で、9種の言霊とは、体、感覚、感情、言葉、自分、世界、過去、未来、言霊の海のことだ。父の仕事に出会えてうれしかった。 4.
言霊の和香会。 (1)
城万二の船出。 @ 心臓のこともあり、出来ることは限られていた。とりあえず、祖父が大学ノートに書き残した断想を、薫香典として完成させるところから始めた。 A 運動を兼ねて、近辺の老人ホームで定期的な香席を始めた。 B 父もしていた、あのSNSの管理者を引き受け、SNS上での仮想のお香の会を始めた。 C SNSのクラウドに薫香録や薫香典を書き込んで、公開保存つまり言霊の海に流した。 D 楽しかった。花から花へ遊びまわる気分だ。自分だけでなく、咲いている花たちにも喜ばれるミツバチになった気分だった。 E 浜辺で拾った香木の香りは、誰もが、喜んでくれた。然し一番喜んだのは城万二だった。喜ぶ人より喜ばれる人の方が喜びは深い。これが、浜辺で拾った香木の、心の瓦礫の片付けを助ける働きだった。 (2)
香(こう)の海へ。 @
城万二は、祖父のノートの「胡蝶の夢」を基に、新しい組香を作った。雌岸(しがん)の香、この世の香、万人の香だ。 A)
イメージ。 a
コバルト色が鮮やかな、飛翔が素早い、光の具合でキラキラするモルフォ蝶が飛んできて、近くの葉に止まって、羽を開いたり閉じたりして合図を送ってくる。この蝶が香元だ。3種の香木を載せた香炉が順に廻ってくる。蝶の贈り物つまり香りを聞いて言葉にする。 b
第一香。感覚の心で聞く。蝶の動きや輝きが視覚つまり感覚の心を刺激するのを、言葉にする。 c
第二香。感情の心で聞く。蝶の珍奇さが感情の心を刺激するのを、言葉にする。 d
第三香。どちらかの香炉が再び廻ってくる。言葉の心で聞く。どちらの香りかを、当てる。 B)
組香の点前。 a
机を囲んで丸く座る。 b
盆に短冊と筆が載って廻ってくる。短冊が今日の薫香録だ。 c
玉手箱とは香炉のことで、香元から左回りに廻ってくる。 d
「周」の香りを聞く。 e
「胡蝶」の香りを聞く。 f
「周」か「胡蝶」が再度廻ってくる。覚める。「荘子」になる。今の自分はどちらなのか考える。香炉を盆に戻し、流れに戻す。つまり香炉を次客に廻す。答えを薫香録に記す。 C)
点前の心。 g
自分を仮想の荘子として、追体験をする。盆に載った短冊が流れて来るところから始まり、次に玉手箱が流れて来て、蓋を開けると、香題に相当する香りがして、眠って、胡蝶になって、言霊の花園で、言霊の蜜を楽しんでいる。目覚めて、周に戻って、現実の中できょろきょろしている。言葉の心の働きである荘子が、そんな状況全体を上から観察している。 h
夢の中の胡蝶と、目覚めた後の周とは、どちらも同じ荘子なのに、違う荘子のように思える。夢の中の胡蝶は、言葉の心の働きだ。目覚めた時の周は感覚や感情の心の働きだ。夢で自分を胡蝶だと思っているのは、荘子の、言葉の心の働きで、目覚めて自分を周だと思っているのは、荘子の、感覚や感情の心の働きだ。胡蝶になった夢を見ている時は言葉の心が作り出すあの世にいて、目覚めて周になっている時は、感覚や感情の心が映し出すこの世にいる。ヒトとしての本当の荘子は胡蝶になってあの世に居る。胡蝶が、ヒトとしての本当の自分として、あの世にいて、周が動物としての偽の自分つまり自身や自我として、この世にいる。逆のようだが、そういうことなのだ。 i
夢の中に出てくる胡蝶は、言葉の心のこと。目が覚めて周りを見回している周は、感覚や感情の心のこと。心は胡蝶になったり周になったり、つまり言葉の心になったり、感覚や感情の心になったりを繰り返している。 j
心には3つの働きがある。感覚の心と感情の心と言葉の心だ。本能である感覚や感情の心になっている状態が周で、理性である言葉の心に切り替わった状態が胡蝶だ。 k
本能の命ずるまま、現在の現実を漂っているのが周で、言葉の心になって、言葉で記憶の過去や願望の未来を行き来しているのが胡蝶だ。動物としてのヒトの在り方が周で、ヒトとしてのヒトの在り方が胡蝶だ。 l
主人公を周だと思えば、小さな自分、自我となり、体と共に生老病死の旅をする者となる。主人公を胡蝶だと思えば、自我を越えて、生老病死も超えて、大きな自分、言霊になる。言霊になるには、感覚や感情の心が作る自我という小さな自分の殻を脱ぎ、言葉になって発信されて言霊になって、元来た言霊の海に戻らねばならない。そこには体の生死を越え、小さな自分や世界や時間を越えた、有史以来の言霊たちがいて、この世で次々と生まれ変わってくる小さな自分たちとの間を行き来している。 A
城万二は、祖父のノートの「胡蝶の夢」を基に、新しい鑑賞香を作った。彼岸(ひがん)の香、あの世の香だ。 A)
イメージ。以下、各自が自由に発想する。城万二の発想は下記の通り。 a. 蝶になる。高山の花畑に居る。白い砂の所々に岩が顔を出し、その陰に、コマクサの淡い緑の葉とピンクの蕾が隠れている。抜けるような青空が宇宙に開いて、岩ひばりの声がする。子供のころあこがれた、白いレースのような羽に、赤い星が4つあるアポロウスバシロチョウになっている。ふもとから吹き上げる風に揺れながら、花から花へと舞っている。這い松の群生が、花畑を風から守るように取り囲んでいる。林の様に見えるが1本の歳知らずのハイマツだ。樹齢は60億歳だ。この花畑の主だ。 b. 這い松が、下界の沈香樹に、コマクサの蜜を届けるように言う。 c. ミカドアゲハが迎えに来る。流線形の硬い羽に、大きな水玉模様を散りばめた、スポーツカーのように飛ぶ蝶だ。強風に乗って麓から流れてきた。麓の熱帯雨森に案内してくれる。 d. 熱帯の森。甘い香りに誘われて、沈香樹を見つける。土産を渡し、返礼に、幹から湧くもてなしの樹液をなめる。 e. 樹液の海で眠る。樹液に包みこまれて香木になる。 f. 東の果ての日本へ運ばれ、正倉院で千年以上を過ごす。 g. 覚める。海辺に打ち上げられている。子供に拾われる。この物語の前段に続く。 B)
現実の点前。 a. 香炉が4回廻ってくる。 b. 第一香。感覚の心で鑑賞する。現在の現実の快不快を味わう。 c. 第二香。感情の心で鑑賞する。現在の現実の競争差別を味わう。 d. 第三香。言葉の心で鑑賞する。記憶の過去の平安を味わう。 e. 第四香。言葉の心で鑑賞する。願望の未来の勇気を味わう。 C)
点前の心。 a. 香炉が廻ってくる。 b. 香りを聞く。 c. それぞれの心で鑑賞する。 ・
匂いを感知するのは感覚の心の働きだ。匂いの好悪を判定するのは感情の心の働きだ。匂いを言葉にする、つまり香(こう)にするのは言葉の心の働きだ。 ・
香りから聞くべきは、この世の匂いではなく、あの世の言葉だ。鼻ではなく言葉の心で聞くのだ。 ・
香りから、どういう言葉を聞きだすか。香木の成分の話ではなく、聞き手の心の話だ。 B
城万二は点前の意味がわかってきた。 A)
合理的に香りを点てる技術であること。 B)
心を切り替える助けをする技術であること。つまり、感覚の心を鎮め、感情の心を鎮め、言葉の心の働きを助ける技術であること。 C
聞香の意味も分かってきた。 A)
香りは、体調や気分によって違って感じられる。香りを聞くことは、自分を聞くことだ。 B)
目で水面に映る月を見ている。それは本当の月だろうか。鼻で花の匂いを感じている。それは本当の花だろうか。 C)
香りは嗅ぐと言わずに聞くという。祈りの場では、香りは、神仏の啓示や言葉とされた。それが、古来の意味だ。聞香は遊びだけでなく、祈りなのだ。 D)
香りは、感覚や感情の脳の興奮を鎮める癒しだけでなく、言葉の脳を鍛えることで、自らを救いに導く手段となる。 E)
香りを表す言葉を持たない人には、香りを残せない。一瞬手に入れてすぐに失う。香りを表す言葉が一つしかなければ、どんな香りも同じ香りだ。白黒写真の世界だ。香りを表す言葉をたくさん持っている人にはたくさんの香りが生じる。カラー写真の世界だ。その分、世界が広く豊かに生じ、生きようとする力も強くなる。香りの言葉を聞くとはそういうことだ。香りだけでなく、色や形や音、自分や世界や時間にも同じ事が言える。 F)
香(こう)は、一人の時も、自分だけの為でなく、みんなの為に点てるのが良い。自身や自我という小さな自分を超えて、本当の自分、大きな自分になる手段なのだ。 D
薫香録の意味も分かってきた。 A)
香木から香りを聞き取り、言葉にする。その時の、その人だけの自分や世界や時間が生まれる。それを記録したり伝えたりすると言霊になる。言霊になれば、その時だけの自分や世界や時間が永遠の自分や世界や時間になる。みんなの自分や世界や時間になる。その方法の一つが薫香録だ。 B)
ヒトが他の生物と異なる点は、感覚や感情の心だけでなく言葉の心が備わっている点に在る。香りを言葉にして、記憶して、いつでもどこでも何万回も体験し直したり、条件を変えて作り直して演習したり、記録して時空を超えて地球の裏側や未来の人々に伝えたりもできる。それが薫香録だ。 C)
体の一つ一つには自他がある。しかしDNAには自他はない。言葉も一人の心にあるうちは自他がある。発信されると、言霊になる。言霊には自他はない。たくさんの人々が発信した言霊が混ざって一つになって、言霊の海を作っている。新しく生まれてくる言葉の心に、言霊の海から言霊が流れ込んで、その人の自分や世界や時間になる。その人がまた言霊を発信する。香りも、発信されると、みんなのものになる。言葉にされて、薫香録に書かれて、言霊の海に入る。その薫香録がいつか読まれて、言霊が生者に伝わると、生者の自分としてよみがえる。生者の心の瓦礫を片付けたり、生きようとする気力を湧かせたりする。それが薫香録だ。 D)
香木と香りは、存在する次元が異なるだけで、同じだ。物の次元に在る香木が、情報の次元になっただけだ。体とDNA、感覚や感情の興奮と言葉の関係と同じだ。香木がいつか消えるように、体や、感覚や感情の興奮も生老病死の海に消える。香木が残した言霊が薫香録だ。言葉を発した自分も言霊になって永遠に残る。自分という情報が言霊と言う情報にコピーしなおされるのだ。薫香録とは言霊のことだ。新しく生まれてくる新しい言葉の心たちに流れ込んで、その自分や世界や時間となってよみがえるのだ。 (3)
城万二がこのように竜宮城で楽しく過ごしているうちに、月日は移り、あの日浜辺で拾った香木は、削るのは1回に米粒くらいだったが、それでもだんだん小さくなり、薫香録になって、言霊の海に戻っていった。 5.
言霊の灯篭流し。 (1)
城万二は、桑折(こうり)にあった書き物すべてを、SNSのクラウドに流し終えていた。 (2)
祖父が詰めきれずにいたノートの断想も、組香と鑑賞香に仕上げて、流し終えた。 (3)
あとは自分のことを物語にして流すだけだ。自分に流れ込み、自分の自分や世界や時間になっていた言霊を、言霊の海へ送り返し、いつか孫たちの心に戻って、その自分や世界や時間として、よみがえるのだ。 (4)
物語の海へ。 @ どの地方にも、天狗や山姥や山男、姥捨て山などの伝説がある。それぞれ災害がきっかけで生まれたのだ。子供の頃、祖父が、近所の、同じような境遇の子供たちを集めて、おとぎ話をしてくれた。幼稚園で聞くのと違う所もあって、それが面白かった。きっと、家族を失った子供たちを、励まそうとしたのだろう。それらの話の粗筋は次の通りだった。 A)
「七夕」。津波で生死が分かれた新婚夫婦が、1年に一度、天の川にかかる橋を越えて再会する。そんな話だった。 B)
「銀河鉄道の夜」。少年が、銀河鉄道に乗って、銀河つまり言霊の海で、言霊を身につけて、戻った。そんな話だった。父がSNSに作った「天の原薫香録」はこのパターンで、幼い城万二も、そのSNSで、天の原鉄道に乗って、言葉の心を鍛えて、戻ったのだった。 C)
「浦島太郎」。子供が、ミッキーマウスに連れられて、デイズニーランドで遊んで、飽きて、ダンボに乗って出口に戻ったら、見知らぬ町だった。そんな話だった。今進行中の「薫香日本書紀」はこのパターンの変形で、還暦を越えた城万二が、香木の香りに乗って、お香の会で、聞香や観賞香をして遊んで、言霊の海に帰った、という筋の話になる。 D)
「胡蝶の夢」。荘子が、眠気に誘われて、夢の中で、蝶になって遊んで、目が覚めたら、どっちが本当の自分かわからなくなった。この世の他にあの世があることを知った。そんな話だった。 E)
「竹取物語」。竹林で拾われた女の子が、この世で、誘惑に打ち勝って、めでたく、月のあの世に帰った。そんな話だった。 F)
「桃太郎」。弱虫の桃太郎が、きび団子つまり言葉の心を得て、犬・サル・キジつまり勇気と我慢と努力を身に着けて、鬼が島で鬼つまり苦難を克服する体験をして、たくましくなって戻った。そんな話だった。 G)
他にも、外国の童話などあったが、思い出せない。 6.
来たところへ帰る。 (1)
祖父は70歳で寿命を迎えた。城万二は71歳だ。心臓の具合は思わしくなく、SNSもお香の会も休止中だ。 (2)
冬の夜、何度目かの胸の痛みで、入院した。 (3)
応急処置を終えて眠って、祖父と一緒にいる夢を見た。 @
祖父の葬儀の場面だった。城万二が8歳の夜だ。読経が聞こえる。般若心経だ。祭壇の棺の中に居るはずの祖父が横に立って肩を抱え、解説してくれている。「不生不滅(ふしょうふめつ)」の話だった。自分は、生まれない。自分は滅びない。自分は情報で、体は物で、別々だという意味だ。続けて「無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)」の話だった。本当の世界は、見えたり触れたりしない。 A
葬儀場の裏庭には雲海が広がり、大きな樹が2本、枝を広げて茂っている。 B
青い葉の樹には赤い実、赤い葉の樹には青い実が、鈴なりになっている。 C
実は途絶えることなく、雲の下の地上に降り注いでいる。 D
赤い実は体のDNAのこと。地上で体と自身や自我つまり感覚や感情の心になる。 E
青い実は言葉のDNA、つまり言霊のこと。地上の体で、自分や世界や時間になる。 F
寿命を終えた体は、そのまま地上で土になる。花の色と香りである心の、色である感覚や感情の心も、一緒に消える。しかし香りである言葉の心は、困難に出会うたびに言霊になって、タンポポの綿毛のように舞い上がり、青い葉の樹に還流している。 G
本当のおまえはその言霊で、この青い葉の樹から生じ、また戻ってくるのだが、地上のおまえには、それが見えない。地上で、体とともに土になり、心とともに消える、ようにしか思えない。 H
祖父が、もう一度、樹と花と色と香りの関係について話してくれた。体は、DNAの樹が毎年咲かせる花の一輪だ。心は、その花の色や香りだ。色は感覚や感情の心が作る「自身や自我」で、香りは言葉の心が作る「自分」で、色は花と共に消えるが、香りは、花とは運命を共にしない。自分を、自身や自我つまり体や感覚や感情の心が発する色だと思えば、生老病死に流されるはかない存在となる。自分を、言葉の心が蓄えた言霊、つまり香りだと思えば、永遠の存在になる。おまえは言霊、花が発した香りだよ。 I
ヒトには言葉の心がある。言葉の心は言葉によって染められる。常識でも教義でも思想や知識でも、人や物に擬態した言葉でも、信じれば服従し、すべてを犠牲にする。それには不都合な点もある。しかし、そう出来ているのだから仕方が無い。曲がった鏡には、曲がった景色しか映せない。ヒトを生みだしているのは数十億歳のDNAだ。その意味で神だ。しかしこの神は、本能であって、全能でも、善でもない。本能の弱点を補うために言葉の心が育てたのが、先人の言霊で出来た言霊の海だ。本能の暴走を抑えるために、言霊が、一人一人の言葉の心と、言霊の海を行き来している。DNAが生み出す体、が生み出す言葉の心、が生み出す言葉、が生み出す言霊。どの段階を本当の自分と信じるかの問題だ。 J
もう歳だし、充分だというと、祖父が、終わりは無いよと言った。夢はそこで終わった。 (4)
翌朝、目覚めて病室のカーテンを開けた。まだ暗い。ここは8階で視界の奥には東に続く水平線が見える。あわただしい検査や診察や朝食の後、ベッドのテーブルで、スマホから昨夜の夢のことを、SNSに書き込んだ。他に、し忘れたことがないか、思い出してみる。 (5)
運命のように、雲の群がゆっくりと南に向かって移動していくのを眺めながら、これまでのことを考えた。こうなって改めて思う。感覚や感情の心の興奮は残らないものだ。言葉の心に蓄えた、言葉の薪だけが、暖めてくれる。 (6)
竹取物語のかぐや姫のように、戻らぬ旅の支度をし終えて、月からの迎えを待っている気分だ。 (7)
その晩、眼下の浜辺で、花火大会が開かれた。枕元に時々届く鈍い響きに、一瞬目覚めては、うつらうつらしている。 (8)
夢を見た。いつかの、どこかの、夏の花火大会の夜だった。祖父に肩車をされている。花火を見ている。花火が上がる。祖父の顔は見えないが声が聞こえる。大きな花火と小さな花火の話だ。例によって、大きな樹や、大きな海の話と同じ内容だった。 (9)
翌日、息子が見舞いに来た。 @
昔、浜辺で拾ってくれた香木を、元の海に流すように頼んだ。祖父もこうして海に戻して、必要とする次の誰かの元に届くよう、流れにまかせたのだろう。 A
祖父と違うのは、桑折(こうり)の中身を全部、SNSでインターネットに流してあることだ。いずれ必要となった誰かが拾って読んで、その人の自分や世界や時間の一部になるだろう。これこそ現代版の、「香木が流れ着いて、流れ去っていく物語」だ。 B
桑折の中の書き物は、SNSに載せると同時に、USBにして、香炉と火箸と香合と一緒に、小さな木箱に納めてある。物はいつかまた津波で消える。情報だけが残る。だから木箱を残すことにはあまり意味はないのだが・・・。そんな話をしながら、息子に託した。 C
その夜、カムパネルラと遊んでいる夢を見た。幼友達と遊ぶ昔の夢は心を幸せにしてくれた。カムパネルラが香木になっている。自分はその香りを聞いている。他の皆には見えない何かや何処かを見る。第3の目遊びと言っていた。今思えば、それは言葉の心のことだと分かる。その何かや何処かは、感覚や感情の心でいる間は見えない、言葉の心が言葉で作る、記憶の過去や願望の未来、あの世のことだ。カムパネルラが、この世からあの世へ、感覚や感情の心から言葉の心へ、手を引いてくれているようだ。 (10)次の津波の襲来と、孫と船で出港する夢を見た。 @
津波とは、個人にとっては、生老病死のことでもある。時間の津波だ。生老病死は、この順にやってくるわけではない。生まれてすぐに死んだり病にかかることもある。それぞれをそれぞれとして個別に生きなければならない。若いから、老いたから、というのは関係が無い。しかし自分は老いた。老いも死も、自分から何かが失われる悲しみだ。それなら老いでも死でも奪えないもの、逆に大潮のように、満ちて充実してくるものを知れば、悲しみは消える。香(こう)はその助けになった。生老病死の津波から救ってくれた。 A
竜宮城の浦島太郎のように、感覚や感情の心のまま記憶を作らずに過ごした者には、人生の満腹はない。日々を言葉にして記憶した者には人生の空腹は無い。 B
言霊になった自分が、蝶になって、ベッドの周りでひらひらしている。あの日別れた家族の言霊も、蝶になって、いつも自分の周りをひらひらしていたことがわかる。そんな夢の中でうつらうつらしている。 C
病室のベッドで目が覚める。これも夢の中だ。白い布団、白い天井。こちらを見つめる白い人。そういえばあれから六十余年、途中が在ったような無かったような、夢のようだ。腕に繋がれた管から薬が流れ込む。しばらくうとうとして、また目が覚める。やはり白い布団、白い天井。こちらを見つめる白い人。違うのは、横に誰かいて、乳を含ませてくれる。乳とともにこれまでの意識が真っ白に溶けていく。 D
城万二はつかの間の回復を得て、退院した。最後の夢は、SNSに書き込めなかった。今のSNSは後の誰かの加筆だ。次の津波の襲来と、孫と船で出港する夢の話も、未来の薫香師への積み残しになった。体には死はあっても、薫香師には死は無い。また別の誰かになって戻ってくる。その後の物語はその誰かが、別途続けることになる。(完) |