1.前書き。 (1)
孔子は、君子怪力乱神を語らずと言った。道理にそむくこと、理性で説明がつかないこと、怪しげなこと、不確かなことは口にしないという意味だそうだ。主観的なこと、抽象的なこと、は、いつでも、誰にとっても正しいということはない。立場や言語が違えば違ってしまう。本人がその時、その言葉を信じていたというだけのことだ。君子は自分の良心にそむいたことは語らない、ということなのだろう。何を語るかでなく、語る本人の心の態度の事を言っているのだ。自分が信じることのみを話すということだ。この本では、抽象的な、言葉の心、言霊、言霊の海について語ろうと思う。自分、世界、時間、について語ろうと思う。客観的、具体的には説明がつかないこと、怪しげなこと、不確かなことばかりだ。しかし、自分が信じることのみを書くつもりだ。 (2)
今は老人になっている人も、みんな昔は少年だった。少年時代の自分に会いたい。体は歳とともに衰え、往年の健康な体は残っていない。往年のピリピリした感覚や感情の心の興奮も夕陽のようだ。体や、感覚や感情の心は、往年という、その時々の現在の現実を超えることが出来なかった。興奮を誘ったほとんどのことも忘れてしまった。日記や写真をひっくり返して探してみる。そこには、心の軌跡、時々の顔の表情がある。しかし、蝶がもう自分ではなくなった抜け殻を見ているような気分になるばかりだ。自分はこれまで何を考え、何をしていたのかと思う。自分が考えたり、したりしたことは、どこにどうなったのだろうと思う。これまでの自分はどこにどうなったのだろうと思う。自分は時を越えられないのか。居なかった自分が生じ、その時々の自分はその時々で消え、瞬間、瞬間の自分は居るが、次の瞬間には居なくなる。自分はそれでいいのだろうか。良く考えてみた。自分は体とは別の在り方をしている。体はDNAの海から生じてDNAの海へ帰る。自分は言葉の心の働き、つまり情報で、日々言霊を学ぶことで言霊の海から来て、言葉を発信することで言霊になって言霊の海へ帰る。そんな自分が、これまでの道々で発信した言霊が、言霊の海に帰って待っている。言霊にはもう自分という殻はない。誰のものでもないみんなの言霊になっている。少年時代の自分が発進した言霊も、自分の殻が取れて、みんなのものになっている。自分へのこだわりは感覚や感情の心が見せる幻なのだ。言霊の海へ、言霊を探しに行こうと思う。どうすれば言霊の海へ行けるのか。とりあえず本を読もう。本は作者の言霊だ。本を読む時、自分はこの体や自分を脱いで、物語の登場人物という言霊になって、言霊の海を航海するのだ。そして言葉の心になって、感覚や感情の心が消え、現在の現実も消え、時空を超えて、記憶の過去や願望の未来に遊ぶ。そここそ自分にとっての本当の居場所なのだと気がつく。今まで信じていた現在の現実は幻想で、幻想だと思っていた言霊の海、つまり物語こそ本当の世界だったことに気がつく。そんな物語「香心門物語」を書こう。老いて、体の衰えとともに、脳の働きも衰え、感覚や感情の心の働きも衰え、言葉の心に切り替わる時間が増えた。町に出れば、若い頃の世界を取り戻そうとする同世代の人々が、若さの主張のような派手な色のスニーカーを履いてリュックを背負って、あるいはスポーツカーやバイクに乗って、右往左往している。カルチャーセンターや世界旅行、温泉や名所や寺院めぐり、登山。そんな風に地上のこの世を右往左往しても、捜し求めているあの世は見つからない。次元が異なるのだ。今こそ、あの世を見つけ出そう。懐かしいふるさとを訪ねた旅人のように。 (3)
聖徳太子は日本書紀に、香木の渡来の物語を書かせた。香木渡来になぞらえ、仏教伝来を正当化しようとしたのだ。私も、この物語を香木の香りになぞらえて、言霊の海について書いてみようと思う。 (4)
この類の話は、物理でも数学でもないので、実験したり、証明したり、大勢で議論して答えは多数決とうわけには行かない。小学校で初めて、足し算と引き算を習って、世界をこの方法で理解しようとした。こんな風に、心の世界に挑んでみたい。 (5)
子供の頃、毎日新しい謎が湧いてきた。その時は、親に聞いてもよくわからなかったが、大人になればわかると言われた。だんだん新しい謎が湧いてこなくなり、結局この歳になるまで、忘れてしまった分が減っただけで、何一つわからないままだ。このまま死ぬのでは残念なので、その頃の自分が出した宿題を果たしたい。しかしその頃の自分はもうどこにも居ない。だから、孫のおまえに伝えたい。大きくなったら読んでくれ。その頃、じいちゃんは蝶になっているだろう。この本の中からおまえの脳細胞の中に迷い込んで、おまえが思い出すたびにヒラヒラ一緒に考えてやろう。 (6)
孫がその年齢になったら息子が読み聞かせられるような、メモを書こうと思い立った。歯が立たなくて放り出した宿題を、半世紀ぶりに見つけた。今なら少しは答えが見えるかもしれない。 (7)
今、キリストでも、釈迦でも、この世にいて、昔とまったく同じことをしたとして、だれか耳を傾けるだろうか。それは当時だって同じだったろう。でも、自分のじいちゃんの話なら、孫は聞く気になるかもしれない。 (8)
昔住んでいた市街を、車で久しぶりに走った。特に思い出は無かったはずなのに、昔ここで過ごしていた時の感覚や感情がよみがえり、胸に迫るものが在った。感覚や感情の心が受けた刺激は、脳に刻まれては居ても、意識的に思い出すことはできない。同じ刺激を受けると、よみがえるのだ。今、こうして、言葉にして書きつけた。これでいつでも思い出せる、本当の記憶になったのだ。自分の本当の一部になったのだ。自分や世界や時間を作るとはこういうことだ。 (9)
これとは別に、私が死んでも、幼い孫たちが混乱しないように黄泉の国探検團を書いておいた。そして、孫が大きくなって、必要とする時、いつでも助言が得られるように、寂しい時、いつでも会えるように、幸福の国探検團と言霊の海探検團を書いておいた。言霊の国の楽しさを孫たちが知るように、おとぎ話も書いておいた。わしの残り香だ。 |
2.まず、用いる言葉について説明したい。この世、あの世、黄泉の国、死者の国、言霊の国(海)について考えた。 (1)
この世とは感覚や感情の心が映し出す現在の現実の事。 @ 具体的な世界。 A 感覚や感情の心に映る、現在の現実のこと。 B
感覚や感情の心で、現在の現実として遊ぶ。 C
母は84歳で、一人で暮らしている。今日仕事で近くへ行ったので、夕食と風呂を頼んだ。牛肉を2枚買って行った。風呂に入っている間に食事の準備をしてくれた。いつものとおり、肉は2枚とも私の皿の上にある。風邪が流行っているし薬だと思って食べてくれと1枚母の皿に移す。食べたくないからおまえが食べろと戻してくる。肉は半分になり、更にその半分になって、やり取りは治まる。1缶のビールを分けて飲む。酔いが覚めるまでTV前のコタツでうとうとする。3時間たって門で別れる時、飲酒運転は絶対ダメだ、遺言だと思ってよく聞けと言われる。まだ当分元気だろうが、今日のことをいつか思い出す日が来るだろう。と思う。 (2)
この世への違和感。 @ グーグルが、過去に訪れた場所を表示するサービスを始めた。食べているのは食器ではなくその中身だ。歩いているのも地表ではなく言葉の国だ。違和感は、感覚や感情の心に映る現在の現実と、言葉の心が作り出す記憶の過去が、ごちゃごちゃになっていることによるのだ。 A 自転車で大学の正門を通り過ぎた。駅からこちらへ向かってくる学生たちは、みんな、この世界にしっかりと、はまっている感じがした。そう思っている自分はと考えた。若い頃は、この世界を疑うことなく、自分をその一部だと確信し、何とかそこに自分をはめ込もうと足掻いていた。今は、自分は、この世界を疑い、距離を置いて、見限っている感じだ。 B 人類は、月へ、ではなく、あの世へ移住する時が来た。言葉の心の発達で、体や感覚や感情の心が住むリアルな世界、現在の現実に入りきらなくなったのだ。言葉が、道具を強力にし、開発や消費を拡大し、感覚や感情の心の暴走を強力にしてしまったのだ。言葉が、感覚や感情の心そのものも大きく強くしてしまったのだ。狭い地球に入りきらなくなっただけでなく、昔のままの体や心に入りきらなくなったのだ。 (3)
あの世とは、言葉の心が作り出す、記憶の過去や願望の未来の事。 (4)
あの世の開眼。 @ ヒトが、抽象的な世界に目覚めることについて考えた。抽象的な世界とは、言葉の心が作る言葉のことだ。自分、世界、記憶の過去、願望の未来などだ。動物には言葉の心が無いから抽象的な世界も無い。反対に、具体的な世界とは、感覚や感情の心が感知して、映し出す世界だ。感じると思う、こことあっち、他者と自分、現在の現実と記憶の過去や願望の未来。前者が具体的な事物で、後者が抽象的な事物だ。 A ガラクタが骨董品になるために。ガラクタが体現する物語が必要だ。遺品がガラクタやお宝でなく、愛情の形見の品になるために。愛情の物語が必要だ。価値のすべては物語によって生じる。 B 抽象的な世界が見える程度は人それぞれだ。ヒトの心が大人になるというのと抽象的な世界が見えるようになるというのは同じように思われる。ヒトはどのようにして大人の心になるのだろう。ヒトはどのようにして抽象的な事物が見えるようになるのだろう。言葉の心の成長によるのだろう。言葉の心はどのようにして成長するのだろう。言葉で、自分や世界や時間を組み立てることによるのだろう。 C 親しい人の死は、残されたヒトの言葉の心を成長させる。親しい人が、抽象的な存在になるからだ。ヒトが死ぬと、感覚や感情の心では感知できなくなる。何とか会いたい、取り戻したいと思う。形見の品や墓や写真などの具体的な物では、中途半端だ。手段は、言葉しかない。言葉の心にとっては、すべては言葉だったのだ。生前の死者も、元々言葉だったのだ。しかし、生きている間は、感覚や感情の心が現在の現実という幻想を作り出していたのだ。その人の本来の在り方を取り戻せばいいだけの話だ。錯覚だった現在の現実から目覚め、記憶の過去や願望の未来で交流をすればいいのだ。 D 母の家の居間には父の写真が飾ってある。母も高齢になった。母に孝養を尽くして父を喜ばせたいと思う。父が生きていると仮想して、その父が喜ぶ姿を仮想する。 E 近所の、母と親友だったお婆さんが死んだ。3歳年上だった。母には知らせていない。その代わり、死んだその人にはもう味わえない、生きている喜びを味あわせたいと思う。 (5)
あの世の入り口。 @ まずあの世へ入る。その中に、黄泉の国もある。あの世とは、言葉で作った抽象的な世界のことだ。あの世の入り口には言霊の門があって、言葉の心しか入れない。あの世とは言霊の海のことだ。 A 昨日、母と、久しぶりにドライブをした。宮が瀬ダムを見降ろす丘の上の茶店のベンチに座って、湖を眺めた。日差しは強かったが、湖面から山腹を擦り上がってくる風が気持ちよかった。山腹のお花畑に、真っ白い花が群生して、一面を覆っている。去年の春にここに座って見渡した時は、緑の草原だった。たった一年で、無数に増えた。不思議な気持ちになった。 B
毎日、一人住まいの母と夕食をとりに、自転車で片道2時間の道を通っている。帰路は19時に出発21時に着く。途中、小さな踏切がある。住宅の外れと公園に挟まれた、家まで30分の場所だ。20時半ごろに通過する。往路はたくさんの住人が利用するが、帰路は通行も途絶え、虚しく遮断機が作動するばかりだ。今夜は天気が崩れるという予報で、相模大野駅前を通過するあたりから雲が夜空を覆い始め、ポツポツと雨粒が落ち始めてきた。雨がひどくなったら公園の大木の下でやり過ごせばよい。あと二駅だしこのまま行こうと決めた。その踏み切りは駅前の商店街を抜け、住宅の間を抜けたところにある。渡ればその先は木が生い茂るうっそうとした公園だ。折悪しく信号が鳴り、遮断機が降り始めた。手前の左際に鉄の柵があって、そこに足をかけて自転車を支えた。踏切の中をのぞくと、冷たく光っているレールも、敷き詰められた砂利や枕木も、隙間から茂る雑草も、世界誕生以来ずっと続く現在の現実だ。信号の点滅や音が遠ざかり、時間が消えた。ずいぶん長く待たせるなと思っていると、後ろにもう一台自転車が並んだ感じがした。去年の今頃、この踏切で、事故があったという話を思い出した。 C
用賀の教室を終え、岩本町の教室に向かうべく、田園都市線の用賀駅に行った。改札で駅員が、市ヶ尾駅で15:31に人身事故があり、上り下りとも不通と言った。15分ほど待つうちに、運転再開、来た電車に乗る。社内放送が、この事故の報告とお詫びに併せて、今、都営新宿線が15:28、別の人身事故の為、上下線とも不通、振替輸送中と告げた。新聞やTVは、残酷なことは予めカットされ、こちらも嫌なニュ−スには目をつぶったり耳をふさいで、普段は心地よい架空の世界に生きている。毎日沢山の人が、色々な状況で、亡くなっている。見たくない、知りたくない現実が、避けられない形で突きつけられた。見えない世界は、幽霊やあの世のような荒唐無稽なものばかりでなく、このように確かに在るのに、見えない、見たくない世界もあるのだと思う。2007.4.6.15:30頃、私に、この世界がちょっと開いたのだと思う。地下鉄のどの駅のホームの切れ際に、ちょっとした死角があって、証明の境目で、暗く感じてよく見通せない場所がある。そこは、飛び込み自殺をした人々の、同窓会の会場で、1年に一度集まり、近況はもうないので、何期生だ、何年度の入会だなどと、互いに存在を忘れられないように、語り合っている。 (6)
あの世に遊ぶ。和香会。 @
記憶の過去に遊ぶ。 1)
母と神代植物園に行く。菊花の展示会で、懸崖仕立ての菊の香りが美味しかった。母が、昔よくお前達を連れてここへ遊びに来たと言った。父や兄弟と遊んだことが思い出された。私は今、その時と同じ場所に居る。私の中に当時の父や兄弟は居るのに、当時の私は、今、私と母がここでこうしているのを知るはずもない。そのことが不思議で、おかしかった。当然と思えば当然なのに、変だと思うのは、何処かで何かが混線しているのだろう。 2)
ボケ気味でゴミ出しなど失敗続きの母に小言を言いながら、自動車の運転していたら、子供達の歓声がした。運動会だった。子供の頃運動会は楽しかったなと思う。母が作ってくれた弁当を思い出した。子供の頃は楽しいことも悲しいこともくっきりしていたなと思う。環境や物がそう思わせていたのでなく、心の持ち方がくっきりしていたのだろう。大人だったら耐えられなかったかもしれない試練もあった。 3)
人生の旅路に忘れてきた宝を探しに行く。「忘れ物探しの旅」。忘れ物探しは楽しい。それは、心の世界で遊ぶことだから。探し出すのは、楽しくも忙しい。老いとともに忘れ物はどんどん増えてくる。そのうち、忘れたことも忘れてしまえば、遊びの世界に行ったきり、人生はますます楽しくなっていくだろう。 4)
夕焼け。じいちゃん、夕焼けがきれいだね。ほんとにきれいだね。昔のことを思い出したよ。どんなこと。おまえと同じ年頃のことさ。終戦の5年後、新宿に大きな団地ができて、その真ん中にケヤキの大木があって、根元に象の鼻のような太い枝があって、遊び友達と雀のように座って揺すったよ。建物の間は風が弱いので、冬はそこで遊んだよ。冬は夕焼けと富士山がきれいだった。夕方になると、寒いし、もうすく晩ご飯で、帰らなければならなかったし、少しさびしい気分で夕焼けを見ていたよ。時々、中学生くらいの痩せた坊主頭のお兄さんが、木箱を積んだ自転車でお豆腐を売りに来て、暗くなるまで一緒に遊んだよ。今思えば、全部売れるまで帰れなかったんだ。僕らが帰ろうとすると、寂しくなるのが嫌で、お相撲をしようと言ったけど、みんな敵わない事がわかっているから、いい返事をしなかったんだ。「もし負けたら5円玉をあげる」と言ったんだ。その頃お豆腐は10円ぐらいだったんだ。暗くなる中、みんな早く帰りたいし、賞金も欲しくて、何度もかかっては投げ飛ばされたけど、3人がかりで押し出してしまったのさ。お金を貰って家に帰り、お母さんに言ったらひどく怒られて、すぐ返してくるように言われ、何とも悪いことをしてしまった気分になって戻ったけれど、もう誰もいなかったんだ。冬のこんな夕焼けを見ていると、その頃一緒に遊んだり喧嘩した友達の顔が浮かんできて、今頃みんなどこでどうしているのかなと、ちょっと心が痛むのさ。 5)
故人の伝記を書く。子孫の脳の中に、その人の情報をインプットするための情報にする。履歴や業績や格式は物に近い感じがする。物は所有者がこの世にいないと意味を失う。人間としての感情的なエピソードのほうが、情報として残りやすい。 6)
先月初孫ができ祖父さん気分を満喫中だ。昔、核家族で祖父母が身近におらず、幼稚園前から小学校低学年の頃、一人で放り出されたり、子供同士で争ったり、世の中訳の分からない事ばかりで、恐怖心や不快感が多かったことを思い出した。自分は何処から来て、何処で何をすれば良いのか知りたかったのだと思う。孫がその年齢になったら息子が読み聞かせられるような、メモを書こうと思い立った。歯が立たなくて放り出した宿題を、半世紀ぶりに見つけたら、答えが見えるような感じだ。「暗い場所にいると明るさが、渇いていると甘露が、苦しいと楽しさが、淋しいと優しさが、失うとありがたさが分かる」ということも教えたいと思っている。 7)
弟と、平谷へ行くため、10時に、相模湖の駅で待ち合わせた。8時半に着いたので、閑散とした駅前の、喫茶店に入った。老夫婦がやっていた。コーヒーを飲んでいたら、「最近は頻繁に食べ物を運んでくるようになった」という二人の会話が聞こえてきた。近所の貧しい家庭の話かと思った。男の方が話しかけてきた。「その窓の上をごらんなさい。癒されますよ」。見上げると軒下に、青いプラスチックのザルがつり下がっていて、大きくなった燕のひなが2羽、身を乗り出していた。大きな口が印象的だった。「毎年巣を作るんですよ。今年は雨で巣が落ちたので、つけなおしたんですが、親が戻ってきて、餌をやるようになって良かったと話していたんです。私は思った。東南アジアのどこかと、この寂れた駅前の、寂れた喫茶店の、うらさびしい軒下をつないでいるのは、燕の心だ。幼い頃、幼稚園を終えて、重いゴム合羽を着て、傘をさして、梅雨の泥道を、自宅で待つ母を目指した時の気持ちを思い出した。親が餌を運んできた。先に巣立った兄弟の2羽も、巣の近くをウロウロしている。「夜になると、みんな一緒に巣に入って寝るんですよ」。と女の方が話した。きっと、自分の巣立った子供たちの事を思っているのだなと思った。子供の日々を思い出した。 A
願望の未来に遊ぶ。 (7)
黄泉の国とは、死んだ人が暮らす国の事。 (8)
言霊とは、発せられた言葉のこと。発した人から独立した存在。 (9)
言霊の海とは、言霊が、人類共有の情報のクラウドになって、言葉の心の間を自由に行き来したり、記憶や記録になって眠り続けたりている状態の事。 |
3.自分のあの世を作ろう。 (1)
あの世を知らぬまま、持たぬまま老いてしまったら、その先、わけのわからぬ闇の中へ行くということになって、不安だ。行き先を知っていれば安心だ。祈りとはあの世を作ることだ。あの世は、一人ひとりが心の中に言葉で作るものなのだ。感覚や感情の心には映らない、言葉で組み立てた抽象的なものだ。自分のあの世は自分で作らなければならない。他人から貰ったり、共有したりする事は出来ない。禅は、意味の無い言葉をこねくり回して、言葉の心を鍛える。それもこのためだ。香心門では、香りを言葉にする。そうやって言葉の心を鍛え、あの世の自分や世界を言葉で作るのだ。私にとっては、その入口は、香道や般若心経に在った。 (2)
今日は父の命日だ。母や兄弟たちと墓参りをした。墓前で香木を焚いた。すばらしい香りだが、これに酔いしれ、こだわると、この経にあるとおり、自分を見失うことになる。しかし、分かっていても、感覚の心の喜びは抑えられない。香木への愛着も捨てられない。以下、経の本文と訳を記載しておこう。 l 仏説・摩訶・般若波羅蜜多心経 明るく生きるための知恵 l 観自在菩薩 行深・般若波羅蜜多時 昔の人が、一生懸命考えて、 l 照見・五蘊皆空 度・一切苦厄 苦しみの原因は、自分の心のせいだということに気が付いた。 l 舎利子 色不異空 空不異色 見えるものをあると信じたり、見えないものを無いと信じてしまう心のせいだ。 l 色即是空 空即是色 受想行識・亦復如是 見えても無かったり、見えなくてもあったりするのに、感じたり、思ったり、したり、知ったことにこだわってしまう心のせいだ。 l 舎利子 是・諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 生まれたり死んだり、汚れたりきれいになったり、増えたり減ったりすることにこだわってしまう心のせいだ。 l 是故・空中 無色 無・受想行識 見たり、感じたり、思ったり、したり、知ったりしたことにこだわってはならない。 l 無・眼耳鼻舌身意 無・色声香味触法 眼や耳や鼻や舌や体や心はあやふやなのだから、姿形や声や香り、味や手触りや心の動きにこだわってはならない。 l 無・眼界 乃至無・意識界 無・無明 亦無・無明尽 乃至無・老死 亦無・老死尽 外の世界も、心の世界も、あやふやなのだから、悩んだり苦しんだりすることは無意味なのだ。・・・ (1)
お釈迦さまは、修行をして「天地のあらゆるものはみな幻である」ということに気がつきました。そして一切の苦悩が消えました。 (2)
この世界は幻である。私たちの心も幻である。一切のものは幻であるから生まれることもなければ消えることもない。汚くもなければきれいでもない。増しもしなければ減りもしない。物や心は幻である。色や音は幻である。物や心への執着も幻である。始まりや終わりも幻である。生老病死も幻である。智慧や悟りも幻である。 (3)
このことがわかれば、心にこだわりがなくなる。恐れがなくなる。素直になれる。心の目が覚める。一切の苦悩が消える。偽りではない。このことを理解して自分の道を歩めばよい。 (4)
すべてを含み、すべてに含まれる。これまでもあったし、これからもある。永遠に変わらない。世界をそういうものだと思い、自分もその一部なのだと思えば、こころの平静を得ることができる。 (5)
物がどうであってもいいではないか。感情がどうであってもいいではないか。感覚がどうであってもいいではないか。時間がどうであってもいいではないか。生死がどうであってもいいではないか。智慧がどうであってもいいではないか。 (6)
こだわりを捨てれば、こころの平静を得ることができる。 |
4.この世とあの世。 (1)
祖父が死んだ。その時、僕は、あの世はこの世とは別にあるのだと思っていた。祖父は手の届かないあの世に行ってしまったのだと思った。 (2)
通夜の夜、線香を絶やしてはいけないと、父母や兄弟と交代で頑張っていたけれど、いつしか眠ってしまった。 (3)
祖父に会いたい。聞いておきたかった事がたくさんある。 (4)
じいちゃんは、おまえの脳の世界に引っ越したので、これからはおまえが呼ばない限り出てこれなくなるが、今夜のうちはまだエネルギーがあって、消える前にお前を連れて、わしがこれから行くあの世を案内しておきたい。ママに言って、ご飯を食べて、お風呂に入って、歯を磨いて、早くお眠り。夢の中で待っているよ。 |
5.あの世への旅。 (1)
やあ来たな。待ってたよ。もうすぐ9時、じいちゃんが消えるまであと3分しかないな。でも大丈夫。1秒あれば、すべてダウンロードで見て来れるよ。長く感じるだろうけれど、実際はほんの1秒だ。長い旅で、まともにすれば、命の時間に間に合わなくなるが、おまえの脳の中なので、光の速度で伝達できるのだ。終わってみれば、一瞬だ。 |
6.旅の始まり。 (1)
祖父が香炉を持って現れた。 (2)
さあ、この世に残るおまえと、これからわしが住むあの世、つまり言霊の海に出発だ。お前に見えているこの世は、カエルが井戸の内側を世界だと思っているような、見えたり感たりするものがすべてだというような、幼い幻想なのだよ。 (3)
香を焚いてくれた。 @
香りを聞いているうちに、眠いとか悲しいという感覚や感情の心が消えて、カッチリはめ込まれたステンドグラスの様な、言葉の心に切り替わったのが分かった。 A
この話は、本当はこれまで、おまえの脳の中にダウンロードしておいたものが、おまえが思い出すたびに、少しずつよみがえっているのだよ。これからも時々思い出して、あの世を訪ねて、会いに来ておくれ。 B
そしてもうひとつ。人の正体は言霊だから、心を言葉の心に切り替えれば、言霊はみんなで一つの海なのだ。わしもおまえも同じひとつの言霊の海のしずくで、体が別れ別れになったことを悲しんだりすることは、まったく意味が無いということに気付いてくれ。そして、心を言葉の心に切り変えて、言霊の海を訪ねておいで。一緒に、ゴーギャンの絵にあったような、自分を捜す旅をしよう。 |
7.沈香探検團。 (1)
実は、もう一人のお前がいるのだよ。お前の兄だ。僕はびっくりしたが、祖父はそれ以上話さなかった。ずっと後になって見つけた祖父のノートによれば、こんなことだ。祖父が還暦を迎えた晩、遠くに住んでいる息子のお嫁さんが身ごもりました。僕のお母さんです。その夜、祖父は孫の夢を見ました。「僕は来年、あなたの孫として生まれます。待っていてください」。祖父は、初孫の誕生を楽しみにしていました。でも残念ながら、お母さんが体調を崩して、兄はとうとう生まれなかったのです。 (2)
祖父は同じような体験を持つ友達からこんな話を聞きました。2500年程前、一人の男が、死者をあの世からこの世に連れてくる香りの木を見つけました。しかし、どういうわけか、使わずに言霊の海に流しました。という話です。 (3)
この世に来られなかった孫を、何とか、この世に呼びたいと思った祖父は、その流された香りの木を捜す決心をしました。 (4)
翌年の春、祖父は香木を求めて、東南アジアへ行きました。 (5)
祖父の死後、柳行李に、その旅について書かれたノートと、その旅で得た12種の香木があるのを見つけました。 (6)
ノートの内容は次の通りです。 @
香木の力で、あの世の孫をこの世に連れて来たい。 A 正倉院展で香木「蘭奢待」を見た。幻覚だろうが、えもいわれぬ香りがした。その香りの向こうに、孫が待っているようだった。 B 蘭奢待を削った足利義政、織田信長、明治天皇が現れ、蘭奢待を焚いている夢を見た。義政があこがれたもの。信長が手に入れたもの。それを自分も手に入れたいという思いを深くした。 C 蘭奢待は1300年ほど前に東南アジアの百万象王国で採取されたということだった。現地へ行けば、まだ残っているかもしれない。 D 百万象王国の正体を記した地図を手に入れた。 E 翌年の春に、実行した。旅は約3年を要した。 (7)
ノートに書かれた旅の様子は、要約すると下記の通りです。 @
百万象王国の東部にある、山岳地帯を目指した。途中、メコン川に注ぐ支流に沿って山奥へと続く道をたどった。山の向こうは旧チャンパ王国があり、この道は少し昔の戦場への道でもあった。次々に少数民族の集落を抜ける。集落毎に、まったく違う風俗の人々が住んでいる。集落の周囲の山は焼き畑が天まで続いている。 A
その道は朝日が昇る山並みを目指している。方角としてはアンコールワットやベトナム、その先の海の向こうに日本が在る。 1) 森には、蝶が花の香りをたどって通う、蝶の道がある。蘭奢待が運ばれた道をさかのぼる、香りの道だ。 2) 水牛の肉のそぼろと三色ごはん。竹のストローで廻し飲む甕の酒。 3) ラオスは貧しいから家族のきずなは健在だ。現在が貧しいから未来は明るく、家族も寄り添う。ビエンチャン。明かりも無い夕暮れの街路、無言で家路を急ぐ父母の群れ。事務員も露天商も警官も。薪と炊事。昨日と同じ今日、今日と同じ明日。慰めは今日の糧と子供の笑顔。 B
その山奥に、香木取りの村があった。2千年以上前から香木採取を生業にしてきた村だ。沈香には鎮静作用がある。代々の村長が、高地での農作業で、神経痛や心臓病などに悩む村人に処方してきた。千七百年前、大仏開眼式の為に日本に持ち込まれた蘭奢待もその一本だったのだろう。 C
ヘリコプターが山岳地帯の少数民族の村の中央の広場に、地表を舐めるように旋回して降りる。赤茶色の地肌に森が点々として、畑が村を囲んでいる。町や村はバラバラだが、細い道が蛇のような薄い線で村と村、家と家を繋いでいる。家は内臓や器官で、道が血管で、行き交う人が血液に見える。 D 村長の家の奥の、丸太で出来た古い香木箱を見せてもらった。この百年間、多くの香木が保管され、出入りをしてきた。残していった土埃や砕片や粉が底に積もっていた。個別の香木にはそれぞれ五味六国があるが、混ざり合った香木の粉は、ただただ深い香りだった。 E
木箱の内側や、香木の表面に、絵が刻まれていた。 F
星座や土着の神々、ヘビのような文字などだ。 G
この森に棲むというピーという名の精霊や、トラ、象もいた。 H
現地のおとぎ話の絵もあった。 I
香木を購入した。木箱の絵を拓本で写した。 F 香木採取の話を聞いた。 1) 赤道をはさんで緯度で上下10度の帯状に生育している。 2) 川辺などの湿地を好む。 3) 赤道に近いほど辛い香りになる。遠いほど甘い香りになる。沈香としては、という範囲の話だ。 4) それよりは生育環境による差異の方が大きい。 5) 木そのものが南向きの斜面か北向きか、香木が生じた木の部分が根か幹か枝か、その日当たりはどうか。 6) 香木は樹脂で木が身を守るために分泌する。原因がカビか昆虫か、傷か、その他の微生物か、によって香りは異なる。 7) 香木の繊維と樹脂とアンコの正体。色や形状と香りの関係。 G その後日本に帰って、10年、香りの森をさまよった。この香木は、1000kgの香木から、良質な部分だけを削り取って残したものだ。もう誰も同じ事は出来ないだろう。あらゆる香木のあらゆる部分を、あらゆる温め方をして、香りを確かめ、言葉にした。沈香の香りについて、出来ることはしつくしたつもりだ。10年を要した。しかしもう髪は白くなり、香りの先に居るはずのあの世の孫も、姿を見せる兆しはない。諦めるしかない。後は、もう一人の孫に任せるしかない。香りは全部で12種だった。それぞれ、テイステイングの結果は下記の通りだ。 1) 香りをまず5つのグループに分けた。 a 有り姿。色や形、木の香。手触りを確かめる。生木の香りを得た。 b 香木を刻み、銀箔に包む。香道具を整え、炭団に点火し、香炉に埋め、灰を整える。炭団や灰の雑臭が消えるまで待つ。銀箔を載せる。銀箔が温まるまで待つ。 c 初香を得た話。初めに出る甘酸っぱい不安定な香り。 d 高温になり、本来の香りが出る。 e 本香を得た話。香りを感覚の心で吟味する。本香1.甘。快の癒し。苦痛を紛らわす。辛。苦痛。苦悩を知る。香りを感情の心で吟味する。本香2.花。安楽。楽の癒し。苦悩を消す。楽しい気持ちになる。苦。苦悩。感情の心が動く。喜怒哀楽。愛競争差別。感情の心に流される。 2) その後さらに、香りを言葉の心で吟味して、12種に分け、私なりに名前をつけた。人。甘。辛。花。苦。渋。木。橘。乳。銀。金。白金。 4) 香木の香りは知り尽くしたが、感覚や感情の心のまま香りの迷路で迷ってしまった。香りの迷路は、感覚や感情の心では抜けられない。鳥のように身軽になって、空から眺める必要がある。言葉の心に切り替わって、言霊の力を借りる必要がある。香木の村で聞いた精霊ピーとは、そんな言霊の事だったのだろう。 H 孫のおまえがこの日記を読む日が楽しみだ。その時、私は居なくなっているだろうが、おまえがこの日記を読む時、私だった言霊は、この道をずっと歩き続けていることだろう。時々、私の祖父の後姿が見えることもある。ここでは、朝日は、一歩進む毎に一歩分昇り、いつも地平線の上に見える。そこには永遠に辿り着けない。言霊になった私は、いつもおまえと一緒にいて、おまえに歩く勇気と方角を示すコンパスになる。おまえも言葉の心になって、言霊の海を目指して旅をしてくれ。この旅日記を読めば、入り口までは簡単に行けるよ。 I 最後に、私の反省と忠告を聞いておくれ。 1)
誰もが、初めは、感覚や感情の心のままに、物による感覚や感情の心の癒しを求めてしまう。しかし、それは偽の救いだと気づくことになる。 2)
香木の香りでは、本当のゴール、言葉の心の救いにはたどり着けない。最後になって、本当は言霊を求めていたことに気がつく。 3)
自分の目的の虚しさに気がついた。孫も自分も同じひとつで、分けて悲しんだり、喜んだりすることに、まったく意味が無いということに気付いた。孫だけを特にどうしたいという、願いの虚しさを知った。この香木は、いつか、この世の人の為に使える孫が現れる日まで、とっておくことにしよう」というのがこの私の結論だ。 4)
自分、世界、時間を映し出す言葉の鏡を手に入れよう。鏡の向こうに言葉の国を見よう。 5) これを読む頃はもう葬式も終わり、もしかすると何十年も経っているかもしれない。お前に頼みがある。もしこの隠居部屋が残っていたら、おじいちゃんの部屋をお前の部屋にしてほしい。おじいちゃんが寝ていた通りに布団を敷いて寝てみてほしい。右の奥の照明の影に、黒い年輪が見えるはずだ。・・。 |
8.言霊を求めて言霊の海へ。 (1)
祖父は、最終的に、沈香の香りは、孫をあの世からこの世に運んでくれない、自分すらも救えないということを納得して、諦めました。香りでは、感覚や感情の心が映し出しているこの世の壁を乗り超えることができなかったのです。香りで得られたのはこの世の癒しだけで、あの世の孫に会うという救いには、役立たず、だったのです。 (2)
しかし、私は、このノートを引き継ぎ、自分なりに香木を焚いているうちに、自分には感覚や感情の心の他に言葉の心があって、言葉の心になれば、祖父がいるあの世、言霊の国と行き来出来る事に気付いたのです。そして、この沈香は、その心の切り替えに役立つことにも気付いたのでした。そのことを新しいノートを作って孫に残そうと思いました。 (3) 先週、初孫が生まれた。これから毎日、毎年、書き換えて、これを残していこうと思う。お前も、孫が出来たら、書き始めるといい。人が残せるといったら、これ以上のものは無いよ。 (4) 昨日、両親と一緒に、おまえが来た。もうすぐ6ケ日月。2週間でずいぶん発育した。目がキョロキョロ動くようになっていた。玄関で目が合ったら笑い返した。人差し指を、手のひらに当てると握ってきたので、揺すると、キャッキャいいながら手足をバタバタさせた。目を泳がせながらアーウーと話していた。何でも最初にやるのは大変だ。食べる。歩く。自転車に乗る。竹馬に乗る。幼稚園へ行く。試練の連続だ。 |
9.その祖父も死んだ。12個の香木。 (1)
僕はその孫です。 (2)
じいちゃんから色々なことを聞くことが出来ました。 (3)
香木も引き継ぎました。 (4)
じいちゃんのノートにこんな記述がありました。 @
「香木の箱の拓本には、死者の魂がよみがえる様子や、過去や未来が見える様子、平和な世界、不老不死の象徴である百万象に乗る場面がある。言葉の心の働きを表現しているのだと思った。香の力で言葉の心になって、感覚や感情の心が映し出す現在の現実を乗り越え、記憶の過去や願望の未来を自由に行き来する言霊になれと言っているように思えた。生まれながらに持っている潜在的な能力を自覚して活用しなさいということだ。自分は、この絵を入手して15年、その間の香りの体験を書き込んできた。今も時々、箱から香木を取りだし香りを聞いている。今日も、香りがどんな物語を語るか楽しみだ」。 A
10年かけた。あの世とこの世を行き来出来る、香の用い方を完成した。あの世とこの世をつなぐ、12個の香木でできた橋だ。 B
この橋は、材料を探し、組み立てる過程で身につく、言霊の橋なのだ。 (1)
じいちゃんは、12個の香木を、沢山の香木の中に混ぜ込んで、箱に詰めなおし、香りを手掛かりに探して、組み立てる、ジグソーパズルにしたのです。孫がこれを完成して、この世とあの世を行き来できるようになって、会いに来れるように、と思ったのです。以下、ノートの記述です。 @
ヒトは、心にジグソーパズルの空っぽの台を持って、この世にやってくる。空っぽの台とは言葉の心が本来住むべき言霊の国、つまりあの世の事だ。それにはまるパーツを求める。この台には、現在の現実の何をはめてもはまらない。言葉しかはまらない。物や、感覚や感情の心に映るものでは、平面と立体のように、次元が違うのだ。 A
パーツで組みあげられる物語は、あの世の国づくり、自分と世界と時間探しの旅だ。幼かったおまえが発した、自分、世界、時間についての6の質問への答だ。各々のパーツは、自分は何で、ここはどこで、どこから来て、どこへ行くのか。何をしているのか。何をすべきなのかなどの12枚だ。 B
そのパーツを現在の現実というこの世で手に入れることはできない。存在している次元が違うのだ。あの世、つまり言霊の海から取り寄せるしかない。 C
日常のあちこちに、百万象の香炉が潜んでいて、香りを放っている。百万象の香炉とは言霊の海の扉のことだ。 D
百万象の香炉は、感覚や感情の心が映し出す現在の現実にある。しかし感覚や感情の心では見えない。それでも香りは感じられる。百万象の香炉は、漂う香りの奥にある。だからその香りをたどればいい。 E
無数の百万象の香炉が、無数の香りを放っている。ヒトは、その時々の感覚や感情の心で、その時々の香りを嗅ぎつける。稀に、言葉の心が開く。香りが言霊に変わって流れ込んでくる。言霊が脳のある場所に入ると言葉になる。幾度か繰り返すうちに、言霊が溜まって星座になる。言霊の星座は万華鏡のように、見る角度で姿を変えて、自分や世界や時間となり、12のパーツの1枚となって浮かび上がる。意味を持たない星を言霊にして、星座にはめるように、心のジグソーパズルの台の空白を埋めていこう。パーツがぴったりはまるまで、試行錯誤を繰り返そう。 F
私もおまえも、ずっと昔の祖父たちも、ずっと未来の孫たちも、そんな沈香探険團の隊員なのだ。互いの顔を見ることはないが、いつも一緒に行動をしている仲間なのだ。でも、自分のパズルは自分の力で埋めなければならないよ。さあ沈香探険團が、香木つまり言霊探しを始めるよ。沈香探険團の本当の目的は、沈香という香木ではなく、その先に在る言霊なのだということを、くれぐれも忘れないようにね。 G
言霊とは、本当の自分のことだ。見たり感じたりしている自分は、偽の自分だ。本当の自分は言葉の心が作る自分だ。しかし、その自分も、実は偽の自分なのだ。自分という殻をかぶっているからだ。そんな偽の自分が言葉を発信すると、その言葉は、自分から自由になって、言霊になる。言霊には自分も他者も無い。生者も死者も無い。過去も現在も未来も無い。 H
そんな偽の自分たちが、本当の自分を求めて結成したのが沈香探険團だ。目的は、感覚の心や感情の心、つまり本能の目隠しをはずして、言葉の心の働きである自分に目覚めよう。自分、世界、時間をしっかり持って、精いっぱい生きよう。そのための力をくれる、祖先たちの言霊と語り合おう、ということだ。 (2)
これが、パズルの説明書きだ。 @ 香りを探す。 A 香りで香炉を探す。 B パーツは香炉の中にある。 C 香りは感覚や感情の心に映る現在の現実の事。香炉は言葉の心の事、パーツは言霊の事だ。 D 感覚や感情の心で癒しの香りをたどり、物としての香炉を見つけ、言葉の心の働きである自分という火を掻きたてる。救いつまり言霊が立ち上る。それがパズルの求めるパーツの一片だ。 E 遠くの、まだ見えぬ言霊の海。手元のパーツが増えるにつれ、光る言霊の海が見えてくる。 (3)
そのパズルはこれだ。 @ パーツの発見のきっかけは、生活の中のありふれた香りがしてくる時に在る。菓子、果物、料理、海、林、土、たき火、線香、花、木、音、声、夕焼け。嗅覚のみならず、五感すべてにわたる。気がつく。感覚や感情の心に届く。ほとんどは癒しで消える。稀に心の香炉に届くことがある。心が言葉の心に切り換わる。香りか言霊になる。パズルが見つかる。 A 日常のふとした時にふとした思いが湧いてくる。その時その場に生じた言葉の心の働きが自分で、湧いてきた言葉が言霊だ。 B
日常の生活の場面に張り巡らされた言霊の街道に沿って12の村がある。それぞれの村にそれぞれの自分がいる。それぞれの香りがある。それぞれの香炉がある。それぞれの言霊がある。それぞれのパーツがある。 1)
心の川に沿った山道を、上流から下流、そして海へと下っていく。それにつれて、色々な自分が登場する。感覚の心、感情の心、言葉の心、言霊、言霊の海だ。そして、海は雲となり、雨となり、別人の心へ降り注ぐ。 2)
あの世は、言葉の心の中に、言霊として現れる。君の言霊、僕の言霊、生者の言霊、未来の生者の言霊、死者の言霊という区別は無い。時空を越えてみんな一つの一部になっている。 3)
案内は言霊だ。香りが現れ、香炉があるはずだ。それぞれの香りはそれぞれの言霊につながるはずだ。それがパズルのパーツだ。 4)
パーツ探しは自分探しだ。 5)
体や、感覚や感情の心、つまり本能は、本当の自分ではない事に気づく。感覚や感情の心が映し出す現在の現実は、本当の世界ではないことに気づく。現在の現実という偽の世界、つまり牢獄に囚われていることに気づく。 a
人香。甘い、靄のような香りが立ち、10秒ほどで消える。その後、本香が生じる。自身の迷いに気づく。 b
辛香。焦げたような、乾いた熱風の香り。自身の苦痛に気づかせる。 c
甘香。桃の実のような、酸味を含む爽やかな甘み。自身の苦痛を紛らわす。 d
苦香。苦い。辛さの中に雪のような光を含む。自身の苦悩に気づかせる。 e
花香。甘さに華やかさが加わる。自身の苦悩を紛らわす。 6)
移り香。香りを言葉の心に写す。言葉の心の働きこそ本当の自分だったと気づく。自分が作る言葉の体系こそ、本当の世界だったと気づく。自分が作る記憶の過去や願望の未来こそ、本当の時間だったと気づく。 a
渋香。透明な渋味。感覚や感情の心のざわめきが消える。言葉の心が開く。気持ちが切り替わる。虚無感が消える。 b
木香。老木の香り。自分が見える。納得する。迷いが消える。寂しさが消える。自信が湧く。 c
橘香。刺すような柑橘系の香り。世界が見える。納得する。迷いが消える寂しさが消える。自信が湧く。 d
乳香。乳の香り。懐かしいかおり。記憶の過去が見える。納得する。迷いが消える。寂しさが消える。自信が湧く。 e
銀香。晴天に光る雪の感じ。願望の未来が見える。納得する。迷いが消える。寂しさが消える。自信が湧く。 f
金香。春の光に、花びらが舞っている感じ。苦難に挑戦する勇気が湧く。生きようとする気力が湧く。 7)
残り香。百万象の香り。自分を発信して言霊にする。自分から解放される。不老不死を得る。 a
白金香。凍りついた青空が粉になって降り注ぐ感じ。心が広がって不動になった感じ。白い鳥になって、大空を飛んでいる感じ。救いを得る。 8)
これらのパーツにはそれぞれ、幼いころ祖父と見た、ゴーギャンの絵の謎、への答えがある。 a 人、辛、甘、苦、花。迷い、を知ろう。 b 渋。道、を知ろう。 c 木。自分を知ろう。 d 橘。ここを知ろう。 e 乳。どこから来たのか、を知ろう。 f
銀。どこへ行くのか、を知ろう。 g 金。何をすべきか、を知ろう。 h 白金。救い、を知ろう (4)
孫が、いつか成長して、このパズルを見つけて、挑戦して、本当の自分や世界や時間を手に入れてもらいたいと思う。 |
10. 祖父が死んで30年たった。 (1)
時がたつのは早いもので、私も、祖父が死んだ年齢に近づいた。これまで、忙しくて、色々あって、祖父にご無沙汰してしまった。この頃、言霊になって、言霊の海にいる、祖父に会いたいと思うようになった。言霊の海にいる祖父も、この世に居る私に会いたいと思っていることだろう。そんな二人が出会って言霊の海の旅行記を書いてみよう。そして、いつか私の孫が読んで、生きようとする力の役に立ててくれるかもしれないことを楽しみにしよう。 (2) とうとう孫ができた。きっと昔の僕のように、小さい頭で、たくさんのことを知りたがるだろう。ゴーギャンの絵を見て考えたことなどだ。孫が小学生になったら一緒にその絵を見ながら、伝えたい。今は未だ小さすぎるので、昔の爺ちゃんのように、孫の疑問を想像しながら、その日話す話を書いてみようと思う。 (3)
仕事が一段落したので、空き家になっている実家の納戸を整理した。 (4)
祖父の遺品を詰めた柳行李からバトン型の香炉がでてきた。これは何に使うものなのだろうと思ったが、分からないので、そのままにした。 (5)
祖父が書いた薫香録が出てきた。薫香録を残すと、僕の死後も、孫が読むかもしれないのだなと思うと、自分も残したくなった。 (6)
祖父が、その祖父から、香木を引き継ぎ、試行錯誤して、この世とあの世の行き来が始まったことがわかる。そして今度は、歳をとって暇が出来た私がそれを引き継ぐ番だ。祖父が、香の焚き方や、香木の用い方についての膨大な資料、つまり言霊の海を残している。まずは、言霊の海を読むだけの一方通行から始めよう。それがすんだら、自分も、薫香録を書いて、言霊の海へ戻してみたい。 (7)
「蘭奢待」と書かれた大きな箱に、さまざまな形の、さまざまな香りの、沢山の香木が残されていた。12個の香木がはまるジグソーパズルが添えてあった。パズルのそれぞれの穴には、私が幼い頃、祖父に尋ねた質問が書いてあった。 (8)
さらに、「言霊探香記」と名付けられた12枚の薫香録があった。それぞれに、それぞれの香りの特徴が書いてあった。 @
この世とあの世をつなぐ香の用い方が書いてあった。 A
前書きこうだ。 1) 体や、感覚や感情の心のままでは無理だが、言葉の心になれば、お前もこんな風に、この世とあの世を自由に行き来できるよ。あの世は、何処か遠くではなく、日常のこの世に重なってあるのだよ。 2) これを書こうと思ったきっかけは、お前と見たゴーギャンの絵だった。ゴ−ギャンという画家の画集にあった絵だ。絵の横に、どこから来たのか、どこへいくのか、何者なのか、と書いてあった。あの時の会話はこんな風だった。「この絵、気持ち悪い色だね」。「どこから来たの。どこへいくの。何なの」という題だ。ずいぶん長い、変な名前だね」。わしはうまく説明できなかった。大きくなったらわかるよ、というだけだった。この旅の目的を、あの時のゴ−ギャンの絵の謎を解くことにした。子供時代の「僕は何なの。どこから来たの。どこへいくの」という疑問は、大人になるにつれ、目先の癒しに目がくらんで、見えなくなってしまう。言霊の海で、答えを探そう。本当は、強く生きるために役立つ、若い時代のための知恵だったのに、わしは今頃、思い出したのさ。おまえがおまえの孫に答えられるようになるために、さあ、これから、ゴ−ギャンの絵の謎を解く旅を始めよう。言霊の海へ行こう。 3) お前に望むのは、パズルを解いて、生きようとする力の源である「パズルの答え」を持ち帰り、この世の孫に渡すことだ。言葉の心の働きである自分を成長させて、生きようとする力をバージョンアップさせることだ。 4) 自分が何なのか分からない。だから、自分が何をしたいのか分からない。だから、苦難に立ち向かう勇気やエネルギーが湧いてこない。だから、生きようとする力が湧いてこない。そのためには、自分が何者なのか自覚する必要がある。自分は言葉の心の働きで、これまでに蓄えた言葉と、今作った言葉でできている。普段の自分は、感覚や感情の心を本当の自分だと錯覚している。見えたり聞こえたりする現在の現実を、本当の世界だと錯覚している。本当の世界は、自分がこれまで蓄えた言葉と、今作った言葉でできている。でもやはり感覚の心に生じる渇きや苦痛、快不快や、感情の心に生じる喜怒哀楽や好悪や苦悩、競争差別などの興奮を、本当の自分の心の働きだと錯覚してしまう。本当の自分の心は言葉の心で、渇きや苦痛、快不快や、喜怒哀楽や好悪や苦悩、競争差別とは別の働き、つまり言葉の心の働きなのに。 5) 本当の自分、本当の世界、本当の時間を生きる、そのためには、日々、どんな努力すればいいのか。感覚や感情として生じる偽の自分や世界や時間を、言葉にすることしかない。日々の生活では、感覚や感情の心に映る現在の現実を、そのまま鵜呑みにしがちだ。見えているからそこにあるはずだと思っている世界が、言葉の心の働きである自分にとっては虚無であるということを発見し、体験し、確認する必要がある。感覚や感情の心と言葉の心の戦い。繰り返すうち、言葉の心の視座が身につく。癒しの悪霊、つまり感覚や感情の心の興奮と、救いの善霊、つまり言霊の戦いだ。癒しの誘惑に勝って、救いを求めよう。そうして得た言葉を発信して言霊にする。体のDNAの海とは別にある、言葉のDNAの海、つまり言霊の海に注ぐ。これが救いだ。 6) このノートで言いたいこと。自分は情報であり、脳の中に世界を作って、その中にいることを知って欲しい。だから、自分の脳の中の世界を土台にして、すべてを組み立てていって欲しいのだ。外からの雑音、つまり、それぞれの人間の都合や私欲にまみれた、既成の世界観を鵜呑みにしないで欲しいのだ。そのためにはまず、自分は何者で、何をしたらいいのか、自分の世界をどのように作り上げていけばいいのかを知って欲しい。この道は絶対的に孤独な道だ。宇宙も世界も、一人一人の心の中に、別々に孤立してあるのだ。この部分で、他者の介入を許してはならない。依存も連携も出来ない。真似も出来ない。細胞の免疫のように、自分以外の異物の侵入を排除し、頑なに、自分は自分だと守ってほしいのだ。この世界については、政党や宗教、結社や団体に拘らない一生であって欲しい。 7)
通夜の夜、祖父が伝えたかったのはこの事だと分かった。 8)
蘭奢待」は香木ではなく、言霊の海だった。香りではなく言葉だった。嗅ぐものではなく、聞くもの、読むものだった。 9) パズルのパーツである12個の香木のうち、自分が探し当てたのは以下の5個だ。残りは孫のおまえに任せるしかない。 10) これでパズルの半分が埋まった。浮き出た言葉は…まだ分からない。 11) 解決した5個のパーツについての、ノートの解説はこうだ。 B
第1の香り。?。「おばけっているの」。 1)
「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。」吉田兼好。徒然草。序段。「暇つぶしに、一日中、香炉から漂う香りを言葉にしていると、感覚や感情の心が映し出すこの世から、言葉で出来たあの世に引き込まれて、怪しく、物狂おしく、生きる力が満ちてくる」。 2)
虚無とは何も無いことではなく、言葉が無いという意味だ。物が在っても、感覚や感情の心が感じても、言葉が無ければ、そこは現在の現実という虚無なのだ。この虚無がこの世だ。本当の自分がいる本当の世界、つまり「あの世」、ではない。本当の世界、つまり「あの世」とは、言葉の心の働きである自分が作っている言葉の体系のことだ。 3)
体のDNAの海は、地上に広がるすべての生物のDNAの集合としての海のことだ。これまで40億年間続く先祖たちの体が得た情報の海だ。未来の体を育む豊饒の海だ。しかし、言葉の心の働きという情報生物である自分とは異次元の世界なのだ。 4)
ここに座って空を見てごらん。雪が一面に舞っていて、ぼんやり明るくて、太陽が明るい銀色の井戸のようだね。あの太陽があの世の入り口だ。おまえの言葉の心だ。あの井戸の底には言霊の海が広がっている。井戸を覗けば、ずっと昔や、遠い未来が見える。あの世では、見たり触ったりは出来ないよ。読むことしかできないよ。 5)
もう一度空を見上げてごらん。巨大な真っ黒な穴が開いているね。その手前に何重にも重なった灰色の穴が見えるね。それらの穴は外側の世界をゆっくり確実に吸い込んでいるのだ。あれが虚無の井戸だ。広大な虚無の宇宙が覗ける。太陽はあと50億年で燃え尽き、その前に急膨張して地球を飲み込む。その前に地上は火の海になって、生き物はすべて死滅する。太陽が消えてからさらに50億年、今度は宇宙が力尽きて収縮を始め、小さな点に戻ってまた爆発して、新たな宇宙が膨張を始める。ちっぽけで短命な私達だが、このことを意識するのとしないのでは、生きている感じがずい分違ってくるよ。 6)
自分をしっかり持っていないと、自分が外の世界の一部のように思えてしまう。世界あっての自分のように思えてしまう。自分をしっかり持っていれば、世界が自分の一部だと分かる。世界は自分が作る、自分と一体のものだと分かる。自分あっての世界だと分かる。 7)
今いるこの自分や世界や時間は、おまえが産まれた時に生じ、成長とともにはっきりしてきて、言葉になって発信されて、人類の誕生以来蓄えられている言霊の海に帰るのだ。おまえの自分は、元々はその海から流れ込んだ言霊だったのさ。 8)
おまえが産まれてすべきことは、自分や世界や時間を育てることだ。それを助けるのがわしの望みだよ。 9) 人の外見は見える。しかし自分と思っている自分は何で、体の何処にいて、どんなものなのか、何処から来て、何処に行くのかは分からない。ゴールも天竺もない。この先は虚空、混沌。仏像が手をこちらに向けている。手のひらには、この先の心配は無用と書いてある。 C
第2の香り。辛。「寒い」。 D
第3の香り。甘。「温かい」。 E
第4の香り。苦。「勉強は嫌だ」。 1)
「何で勉強しなければいけないの。このままではどうしていけないの。ずっと遊んでいたいよ」。お前はウミガメだ。砂浜に生みつけられたウミガメの卵なのだ。お前の居場所はこの浜ではなく遠い海なのだ。お前はサケだ。お前の居場所はこの川ではなく遠い海なのだ。お前は渡り鳥だ。季節が来たら遠い国に旅立たねばならないのだ。おまえはかぐや姫なのだ。つまりおまえはここではない、別の世界の住人なのだ。現在の現実の住人ではなく、記憶の過去や願望の未来の住人なのだ。おまえは、この世に生まれた、あの世の住人なのだ。遊んで楽しい時、おまえは、ここ、現在の現実に居るのだ。でも、空や海、そしてあの世に向かって旅をしなければならないのだ。 F
第5の香り。花。「ずっと遊んでいたい」。 |
11.次の祖父の死。 (1)
以下、その孫の自分が語る。 (2)
12枚の薫香録と「続言霊探香記」と名付けられたパズルがあった。パズルの12か所の穴のうち、5か所には、答えの香木がはめられていた。ノートがあって、同じことを繰り返さないで済むように、仔細な説明が書かれていた。 (3)
ノートには、「この世とあの世を自在に行き来するには至らず、残念だ。おまえが、いつか来てくれるのを楽しみにしている」。とあった。 (4)
5つのワードを引き継いで、残りの7つのワードは自分で探すように書いてあった。 (5)
前書きこうだ。 @
私はその枝に咲いていた去年の桜。おまえに見せたい花吹雪、緑陰、もみじ、木枯らしの声。 A
言霊になること、それは孫たちの北極星になるという事だ。 B
言霊の海はどんなところで、何なのか、そしておまえはここで何をしたらいいのか。 1) 月夜に広がる遠浅の海。そのなかに建っているアフリカのドゴン族のわらと泥の家。大きな顔をした満月が、水平線に、半分だけ顔を出している。この世とあの世が一つに見えるイメージだ。 2) 僕たちは情報生命体、つまり言霊なのだ。地上に引っかき傷をつけたとする。いつか何かの情報生命体がこれを見て、この傷が僕たちだと思うことになる。 3) 人生を、何かを求める航海だとする。言葉の心が船だ。自分は言葉の心が作り出す電気の信号で、船長だ。見えている世界は言葉の心に映った言葉だ。前方に見えているのは未来で、自分の願望だ。後方に見えているのは過去で、自分の記憶だ。今生きている66億人、これまで生を受けた人々のすべてに宿った自分が発信した言葉の一つ一つが、海面の波だ。自分のままではバラバラだが、発信して言霊になると、互いの世界を自由に行き来する一つの波になる。さらに海面になる。これが言霊の海だ。言霊の海には個別の名前など無く、みんなの海として広がっている。 4) 孫に、自分や世界や時間を表す航海日誌と航路図を残そうと思う。航海日誌と航路図作りの情報収集が目的だ。おまえは船長で、船長の言葉の心が羅針盤だ。船が進むにつれて、港ごとに、先祖たちが、自分が調べた海図を持って待っている。そのたびに少しずつ自分の航海日誌と航路図にそれを書き込んでいく。残念だか、未完のまま引き継ぐことにする。 (6)
未解決の8枚(1枚増えた)の薫香録の香り、そして自分が見つけたそれぞれの答えは以下の通りだ。 @
第6の香り。渋。「このままではだめだ」。 1)
一人の脳の記憶を蓄えるシナプスは、宇宙の星の数よりもっと多い。だから、一人の欲望の井戸は、宇宙を注いでも満たせないほど深い。だから、脳の欲望を満たすには、脳自身が生み出すもの、つまり言葉でなければならない。 2)
ウィルスに例えて考えた。始めに言葉というウィルスが在った。宿主の中で自分や世界や願望を生み出し、咳で言霊になって、他の宿主に感染し、感染を繰り返して、他の言霊と混ざってそれぞれの宿主の個性は消え、世界に普遍的に蔓延するウィルスの海の一部になる。 3)
ウィルスとは何なのだろう。成分で分析すれば、若干のたんぱく質とその他の成分だ。同じ物を混ぜ合わせてもウィルスにはならない。ウィルスの中でしかできない。ウィルスは成分ではない。水だけでは波にならないし、空気だけでは風にならないように。その意味で言霊と同じ情報生命体なのだ。ウィルスも言霊も、それを解読して取り入れる誰かが必要なのだ。その誰かがいなければ、虚無なのだ。 4)
本が開かれ、読まれるたびに、言霊が目を覚ます。言霊が登場人物や作者の姿になって語り始める。言霊の海だ。 A
第 7の香り。木。「僕は何なの」。 1)
体は、体のDNAの海を出発し、この世で材料を集めて体を作る。そして、体のDNAを海に戻す。体について言えば、1回限りだが、体のDNAの海には、終わりはない。 2)
20万年前、脳や喉の機構を発達させ、言葉の象徴能力、つまり言葉の心を身につけたホモ・シンボリクスという人種が誕生した。僕は、このホモ・シンボリクスの脳が作り出す、言葉の心の働きだ。言葉の心は言葉を発信して、言霊にして、言霊の海に戻す。新しい言葉の心は、この言霊の海から言霊を汲んで、新しい自分や世界や時間を作り、また言葉を発信して、言霊にして、言霊の海に戻す。言霊の海はこのようにして在り続け、広さと深さを増し続ける。個別の体に生じている言葉の心は、体とセットで1回限りだが、言霊の海の言霊として見れば、終わりはない。人は、遠い祖先から引き継いだ、象徴の能力つまりの言葉の心を用いて、自分を言霊に変える事によって、この世とあの世、つまり言霊の海を、自由に行き来している。お前はそんな言葉の心の働きなのだ。そして、お前の本当の自分は、話を聞いたり、学校で習ったり、本で読んだりして得た言霊で出来ているのだ。このホモ・シンボリクスという人種としての自分が本当の自分で、感覚や感情の心が映し出す現在の現実の一部として自覚しているのは偽の自分、動物としての自分なのだ。動物としての自分も本当の自分かもしれないが、飛べるようになった鳥にとっては、空を飛んで居る時が本当の生き方だという意味だ。ヒトは、タイムマシンや魔法を用いて、体や、感覚や感情のまま、この世とあの世を行き来する事を夢見てきた。しかし、それは、物と情報の次元の違いを無視した、虚しい夢なのだ。あの世は言霊の海であり、言葉の心になれば、あの世とこの世を自由に行き来できる。そのことに気づいた人々は、言葉の心になって、言葉を発信して、言霊にして、言霊の海を育ててきた。それが文化や学問や本なのだ。 3)
僕は子供の頃、祖父と花火を見ている時に、言葉の心にスウィッチが入った事を記憶している。 4)
自分はこの体に生じている間、言葉を作り、言霊の海に注ぎ続け、その一滴となる。言霊は熟して、別の言葉の心たちや、これから生まれる言葉の心たちに流れ込む。 5)
この体を自分だと思っているのは誰なのだろう。こんな会話を思い出したよ。「このスイカ、とても甘いね。朝からずっと虫取りで、喉が渇いていたからね。スイカはどうして甘いの。実験しよう。先にこのアイスクリームを食べてごらん。もういいよ。口が冷たくて、体も寒くて、もう食べられない。さあ、もう一度、スイカを食べてごらん。生ぬるいし、甘くないし、きゅうりを食べてるみたい。この塩をちょっとなめてごらん。しょっぱい。もう一度、スイカを食べてごらん。さっきより、甘くなった。スイカが甘いのでなく、舌が甘みを作り出しているんだよ。だから、アイスクリームや塩や暑さ寒さで、味は変わってしまうんだよ。そんなどうでもいいことで、おいしい、まずいと好き嫌いを言う人は、まだ子供なんだよ。さあ、歯を磨いたら、一緒に寝よう。お部屋の電気を消してね。真っ暗だ。真っ黒だ。じいちゃん、何にも見えないよ。じっとしていてごらん。机が見える。布団が見える。じいちゃんの頭も見えてきた。だんだん、明るくなってきた。部屋が明るくなったのでなく、目が明るく見えるように変わったのさ。スイカの甘さと同じ、机や布団や頭が勝手に光っているのでなく、目がそのように見ているのさ」。 6)
したいようにしたいおまえと、そんなおまえを観察して、叱ったり、励ましたりする、もう一人のおまえがいる。どちらが本当のおまえなのだろう。 7)
「ご本を読んでるね。面白そうだね。さっき、ママが呼んでいたのに、ぜんぜん気がつかなかったね。本当に何にも聞こえなかったよ。その時、お前は、体を残して、どっか別の場所に行っていたんだよ。どこに行ってたのかな。僕はずっとここにいたよ。ご本の物語の世界に行っていたのかな。ご本には、紙と字と絵ばかりで、入れる場所なんかないよ。そうだね。ご本の絵や字をおまえが一生懸命読んだので、おまえの脳の中に物語の世界が映し出されて、おまえの心はその世界にいたんだよ。そうなると、こちらの世界の体は、見たり聞いたりできないし、時の経つのもわからなくなるんだよ。脳の中には小部屋があって、時々そこに閉じこもるんだ。そこには本棚があって、経験を積むと一冊づつ増えていくんだ。蔵書が増えると、滞在時間が、長くなってくるんだ。それが大人になるということさ」。 8)
「体と心は別々なの。僕は心なの。心ってどんなものなの。心はどこにいるの。僕はどこに居るの。僕を観察して、叱ったり、励ましたりする、もう一人の僕は、何なのだろう。今、考えているのは誰なの」。 9)
双子の実験を見た。別々の部屋で、蛇のおもちゃでドッキリさせたら、同じ驚き方をした。お笑いのビデオを見せて、同じ場面で笑うか観察、結果、別々だった。驚き方は本能によって決まり、笑い方は、その後の経験で決まるということだった。つまり驚きは感覚や感情の心の働きで、笑いは言葉の心の働きだ。別の番組で、絵本が紹介されていた。子供を笑わす本だ。「達磨さんが」というページをめくると、言葉の心が予想している「転んだ」ではなく、「どてっ」とか「ポニョーン」とか、意表をつく言葉が現れ、笑いを起こさせる。自分は言葉の世界にいる。体つまり感覚や感情の心がいる現在の現実を踏みはずすと、世界が崩壊した気分になる。危険なら恐怖が、そうでなければ笑いが生じるのだろう。階段を踏みそこなった時、他人ごとなら笑うし、自分ごとなら恐怖だ。 10)
僕は、何をすればいいの。 11)
成功や失敗って何なの。 12)
幸福や不幸って何なの。 13)
どうしたら成功や幸福が得られるの。 14)
失敗したり、不幸になったりしたらどうするの。 15)
働くってどういうことなの。 16)
どう働けばいいの。 17)
お金って何なの。 18)
社会って何なの。 19)
本当の自分は、今どこにいるのだろう。 20)
僕が見ているこの景色は、何なの。世界は脳の中の映像の写しだ。 21)
本当の自分は、どこから来たのだろう。 22)
本当の自分は、どこへ行くのだろう。 B
第8の香り。橘。「ここはどこ」。 1) 電話で遠くの相手に、今、自分はどこにいるのか、ここはどこなのか、説明してみよう。地図や住所や目印が必要だ。初めての場所だったり、道に迷っている時だったりしたら、説明は難しい。新幹線や飛行機に乗って移動中なら、地図や住所や目印は役にたたない。今、僕たちは、地球とともに、時速○万Kmで自転している。そして、時速○万Kmで公転している。そして、属している銀河とともに、時速30万Kmで、宇宙の中心から飛び去っている。 C
第9の香り。乳。「昔はどこへ行ったの」。 D
第10の香り。銀。「未来はどこにあるの」。 1)
僕は、どのように生きればいいのだろう。 1) 生きる目的。 2) 言葉の心の働きである自分を成長させて、生きる力を得ること。 3) 言葉の心って何なの。脳の中に世界の地図を持とう。現実の世界を歩きやすくしよう。自己修正プログラムを持とう。そのためには、自分が何者なのか自覚しよう。 a.
自分は言葉の心の働きで、これまでに作った言葉の蓄積と、今作っている言葉を見ている者だ。 b.
普段の自分は、自分を感覚や感情の心だと錯覚している。世界を、見えたり聞こえたりする現在の現実だと錯覚している。本当の自分や世界や時間は、自分がこれまでに作った言葉の蓄積と、今作っている言葉だ。感覚の心に生じる渇きや苦痛、快不快や、感情の心に生じる喜怒哀楽や好悪や苦悩、競争差別の興奮を、本当の自分の心だと錯覚している。本当の自分の心は言葉の心で、渇きや苦痛、快不快や、喜怒哀楽や好悪や苦悩、競争差別とは別の脳の働きだ。 4) そのためには、どんな努力すればいいのか。 a.
自分や世界や時間を言葉で構築する。日々の生活では、感覚や感情の心に映る現在の現実を、そのまま鵜呑みにしがちだ。見えているからそこにあるはずだと思っている世界が、見えているだけでは、言葉の心の働きである自分にとっては虚無であることを発見し、体験し、確認する。そのうち、その視座が定着する。 E
第11の香り。金。「勇気はどうすれば湧いてくるの」。 F
第12の香り。白金。「じいちゃんはどこに居るの」。 1) 体も消えて、自分も消えて、生きていた間に話された言葉、書き残された言葉たちがどうなるのかを、言葉たちを擬人化して語らせる物語。 2) 今、自分はうまくいっているという気分になることが在る。反対の気分の時も在る。それは、自分が願望の未来を物語としてもっていて、それに照らし合わせているのだ。 3) これまでの人生の評価も、自分が過去の記憶を、この物語に照らして、判定しているのだ。 4) 渋。現在の現実の生活より物語の方が、生き生きとして、楽しく、充実しているように思われるのはなぜか。現在の現実の生活より物語の方が、本当のように迫ってくるのはなぜか。それは、現在の現実の生活より物語の方が、本物だからだ。言葉の心の働きである自分にとって、感覚や感情の心が映し出す現在の現実は虚無で、言葉の方が本当だからだ。 5) 納得のいく人生とは、納得のいく物語によってもたらされる満足のことだ。 6) 言葉の心が育ち、言葉が生まれ、自分や世界や時間が作られる。自分や世界や時間は一人に一つずつある。これがこの世の出口であの世の入り口だ。言葉は発信されると言霊になる。言霊は個人の垣根や時空を越えて、人類全体で共有される。これがあの世、つまり言霊の海だ。言霊は、情報のウィルスだ。いつまでも在り続け、この世の新しい宿主を見つけると、よみがえって、新しい宿主に移って、その自分になってしまう。 7) 言葉の旅の果てには、40億年積み上げられ、これからも天を目指す言霊の塔がある。レンガのように積まれて、塔の一部になるのが救いだ。この塔は、言霊の光を発して、生きとし生けるものにあまねく言霊を届けている電波塔なのだ。 G
第13の香り。「死んだら僕はどうなるの」。泥沈香。 1) 死が恐ろしい理由を知ろう。 2) 死を言葉にしよう。 3) まず、わしの死をこう受けとめてくれ。そして自分もいつか死ぬことを受け入れてくれ。 4) 死ぬってどういうことなの。 5) 死んだらどうなるの。 6) みんないつか死んじゃうの。 7) 死ぬのは何で嫌なの、死にたくないの。死が恐ろしい理由を知ろう。 8) 死ぬのは、痛いの、苦しいの、さびしいの、悲しいの。 9) 星になるの。ならない。死を空想する能力。 10) 死が怖くなくなる為に、生きるのが明るく楽しくなる為に、自分が死ぬことを言葉にしておこう。 (1)
これでパズルのすべてが埋まった。浮き出た言葉は百万象だった。意味は、言葉の心の事、生きようとする力の事、苦難に挑戦しようとする勇気の事だ。 |
12. 次の祖父の死。沈香の宿。時空を飛び越えて、つながる心。 (1)
祖父は、晩年、何もしていなかった。というか、本人は、あの世という仮想空間で、言葉の心や言霊を相手に、カフェや旅館を経営しているのだと言っていた。 (2)
祖父は、沈香の宿主人というペンネームで、本を書いていた。その書名は「沈香の宿」だ。以下その本を転記する。 (3)
ここから先は、この世、つまり感覚や感情の心が映し出す現在の現実ではなく、あの世、つまり言葉の心、言霊、言霊の海に場面が移る。現在の現実ではなく、記憶の過去や願望の未来が舞台になる。初めに、3つのキーワードを確認しておく必要がある。 @
言葉の心とは。 1) 言葉はまだ持ち主の殻をつけている。へその緒をつけている。競争差別心や損得利害心などの感情を着ている。持ち主の殻が障害になって、互いの心を自由に行き来できない中途半端な情報にとどまっている。所属欲、承認欲、自己実現欲の癒しを求めてさまよっている。だから、死を恐れたり、本当の自分を探して迷ったりして、救いを求めている。 2) 感覚や感情の心は今日を生き抜くための心だ。言葉の心は、昨日を支えとし、明日に挑戦する心だ。感覚や感情の心には昨日も明日も見えない。しかし言葉の心だけでは、今日を生きていられない。 3) 癒しは動物としての心を満たすもの。救いはヒトとしての心を満たすもの。もし、体つまり感覚や感情の心の癒しか、言葉の心の救いか、どちらかを選べと言われたとする。体は癒しを必要としている。だから、体の代弁者である感覚や感情の心は癒しを求める。言葉の心は救いを必要としている。自身を体だと考えれば、癒しが優先だ。現在の現実が優先だ。自身を言葉の心だと思うなら、癒しを抑えて、救いを図ることになる。現在の現実を犠牲にしても、願望の未来に挑戦することになる。 4) 自分は心、それも言葉の心だ。記憶の過去や願望の未来についての言葉だ。自分は、記憶の過去や願望の未来の言葉という形で存在している。元をたどれば、言葉の心の働きが宿った最初の体、猿人にたどり着く。さらにたどれば、すべての命の源になった最初の一個のDNAにたどり着くのだろう。 5) DNAには、殺したり、傷つけたり、裏切ってはいけない相手が記載されている。そむけば、ヒトなら記憶となって、その後、感覚や感情の心を刺激して、現在の現実を掻き廻し、さらに言葉の心を委縮させて、願望の未来が見えなくしてしまう。 6) 記憶の過去が現在の現実に現れ苦しめる。未来が見えなくなることがある。それは、過去の感覚や感情の心の体験が、言葉になりきれずに、中途半端な形で漂い、現在の現実の感覚や感情となって現れる、つまり成仏できないで居る。供養する、つまり言葉にすることで救われる。 7) 感覚や感情の心に映る現在の現実、つまりあの世は、みんな別々の、孤立した水たまりで、すぐに蒸発して消えてしまう逃げ水のようなものだ。 8) 幽霊は感覚や感情の心から湧いてくる。虚しい気持ち、いたたまれない気持ち、不安で仕方がない気持ち、恨んだり、悔やんだり、悲しんだり、悩み苦しむ気持ちは、感覚や感情の心の水たまりだ。感覚や感情の心の興奮は、どんどん消えていくように出来ている。大切なことは言葉にして残さなければならない。幽霊とは、大切だが、中途半端なまま滞留している未完の言葉のことだ。言葉に完成することで、成仏させる必要がある。 A
言霊とは。 1)
言霊は現在の現実とは異なる次元に居る。発信した誰かが、現在の現実において生きていようといまいと、言霊は言霊だ。何も違いはない。言霊は情報だから、言霊に生死は無い。言葉の心の働きである自分も、言霊になってしまえば生死は無い。自分が言葉の心の働きである事に目覚めた人は、生死を越えた言霊の海にいることになる。 2) 感覚や感情の心が映し出しているこの世には、言葉の心の働きである自分を支えてくれるものは何もない。異次元、つまり虚無なのだ。自分が作っている言葉の世界、つまりあの世は、自分と同じ次元の言葉でできているので、支えになる。言葉は情報で、情報には体や、感覚や感情の心の様な生死も時空の限界もない。言霊は、体や、感覚や感情の心が居るこの世の次元を越えた、言霊の海として存在している。そして本当の自分、言葉の心の働きである自分は、言葉を発信して言霊となって、この世の自分と言霊の海を行き来している。言霊の海には時間も空間も無い。過去も未来も区別なく、みんな言霊となって、循環している。だから望む時に、記憶の過去にも願望の未来にも自由に行ける。 3) DNAは30億年間、自身の体の情報を写した同じ自身を作り続けている。DNAは増えるが、仲間に食べられたり、環境変化に耐えられず消えていくものも多い。結果、競争や変化を乗り越えたものだけが今の地上に広がっている。DNAは次の体へ移るが、体はその体限りだ。桜に例えれば、DNAは木で、体は毎年の花だ。感覚や感情の心は、体から生じ、手足と同じ体の一部だ。他の体に移ることもない。その体とセット、その体が終点だ。桜に例えれば、一つ一つの花のようなものだ。ヒトは脳の働きを進化させて、言葉の心を持った。体から体へ移れる言霊を作り出せるようになった。心のDNAだ。個別の体や世代を越えて、心を一つにつなぎ、種としての情報の蓄積を続けている。 4)
言霊とは、発信された言葉のことだ。体やそれに宿る自分から自由になった言葉のことだ。言霊は人類の歴史と共に蓄積され、空気や水の様に人々を包み、人々の心から心へ、出たり入ったりしている。海水が海の一部であると同時に海そのものである様に、体のDNAが個別の体に属すのと同時に人類そのものである様に、個別だった言葉も、発信されれば人類全体の言霊の海そのものになる。 5)
体のDNAに例えれば、言霊は心のDNAだ。体のDNAがその属する個体の為に働くのと同様に、言葉もその属する個体の為に働いている。体のDNAが割れて生殖型になった状態が、言葉が発信されて言霊になった状態だ。体のDNAが冷凍保存されている状態が、言霊が本などの記憶媒体に保存されている状態だ。 6)
言葉と言霊について。ここで言う言葉とは単なる言語ではなく、言葉の心が生み出すすべての情報のことだ。言葉と言霊は、形は同じだが、特定の自分に囚われた状態か、その束縛から自由になった状態かの違いだ。 7)
輪廻を、体が生まれ変わっても、変わらずに在り続けるという意味に用いれば、体は輪廻をしないけれど言霊は輪廻をする。しかし、言霊は個別の体とセットではない。すべての体の垣根を越えて輪廻する。 8)
言葉は、発信されると、自分という殻を脱ぎ、誰でも受け入れられる普遍的な言霊になる。体や個性の垣根を越えて、心の間を自由に行き来できる、共有可能な言霊になっている。 9)
言霊はどのように存在しているのか。あらゆる形の言葉のやり取りとして心の間を行き来したり、記憶や記録として冬眠したりしている。 B
言霊の海とは。 1)
言霊と言霊の海について。言霊は、時空を越えて、人類全体が共有している情報だ。言霊は、今いる人も、過去に居た人も、未来に居るであろう人も、この人もあの人も、ここに居る人も地球の裏に居る人も、あらゆる体の垣根を越えて共有できる情報だ。という意味で、言霊はそのまま言霊の海なのだ。 2)
言霊の進化。体がDNAとなって、世代を重ねるごとに進化するように、言霊も受発信を重ねるごとに進化する。もし言葉や言霊が、寒い朝の息のように見えたとしたらこうだ。誰かの脳の中に黒い色の言葉が渦巻いている。その誰かが話すと、口から濃い灰色の息つまり濃い灰色の言霊が出て、別の誰かの耳から脳に入る。そのままその誰かの黒い言葉になる場合もあるが、さらに別のだれかに話されることもある。もっと黒くなる場合もあるが、少し黒さが薄くなる場合もある。繰り返すうちに、黒さは浄化されていく。最後は真っ白になる。霧の海のようになる。もう誰が吸っても吐いても白いままになる。これが言霊の海のイメージだ。 3)
言霊の海には個別の自分も、個別の生死も、昔も今も未来も無い、という意味で、死者の言霊と生者の言霊が入り混じっている。生者にとっては、言霊の海は死者の国への入り口でもある。ヒトは言葉の心になることで言霊の海とつながり、死者の国にもつながるのだ。 (4)
沈香の宿とは。 @
沈香の宿は、この世の人々の言葉の心と、あの世、つまり言霊の海に居る言霊たちが、和香会という香りの温泉で語り合う宿のことだ。 A
そこで開かれる和香会の薫香録が、言霊となって、言霊の海に流される。 B
この世の言葉の心たちが、本当の自分を探し、自信や勇気や気力を得るために、湯治に来る。 C この宿は、言霊の温泉宿だ。湯ではなく香り、つまり言霊が湧いている。人の体の70%は水だ。しかし水は心ではない。勿論、水以外の成分でもない。体は30兆個の細胞からできている。しかしそのどれかが心というわけでもない。このような見方では、心は見つからない。細胞の中に小さな袋がある。そこに長さ4mほどの糸がある。DNAだ。これが水や栄養素を集め組み立てて細胞を作り、体を作って生かしている。DNAが働かなくなると、細胞つまり体は死ぬ。DNAが、体を生み出し生きさせている、いわば体の心なのだ。体の心は物ではなくDNAの働き、電球でなく光のようなものだ。ここまでは「体の心」の話だ。この体の心は自分には見えない。自分とは別に、勝手に働いている。「心の心」は、細胞のうちの神経細胞が生み出す働きに居る。これが「心の心」だ。この心は脳で生じる電気の信号だ。外界に刺激された神経細胞が、興奮して発する電気の信号だ。その信号を受けて脳に生じる心には3種ある。「感覚の心」、「感情の心」、「言葉の心」だ。自分は言葉の心の働きだ。言葉を作り、記憶し、仮想現実として演習したりする働きだ。感覚や感情の心には見えない、記憶の過去や願望の未来を見ることが出来る。現在の現実を乗り越えて、未来に立ち向かうための心の働きだ。感覚や感情の心に映る、現在の現実の苦痛もあえて冒さねばならない。一番新しく備わった脳の働きなので、未熟だ。生まれた後に努力して、言霊で補強しなければならない。この宿はそんな言葉の心の為の宿だ。 (5)
言霊の湯とは。 @
ヒトには3つの心がある。感覚や感情の心の、好悪や競争差別や不安や恐怖に邪魔をされない、言葉の心だけが入れる会議室がある。そこには、現在の現実は無い。記憶の過去と願望の未来しか無い。 (6)
沈香の宿の由来。 @
由来は祖父のノートを写す。 1)ノート発見。 a. 筆者が子供の頃、祖父が死んだ。祖父の行李を開けた。不思議な匂いがした。 b. ノートが見えた。蘭奢待と書いた桐の箱もある。蓋を取ると、不思議な匂いが強くなる。絹の布に、見かけより重い木片が、たくさん包んであった。ふしぎな光沢がある、ガラスのような木片だ。夕暮れの部屋で、不思議な匂いを放っている。 c. ノートには、細かい字で、香木の用い方が書いてある。香道具も一式入っていた。 d. 香木を焚く。香りが出てくる。ノートをさらに読む。 2)内容1。これまでの話と重複するので、題だけを記載する。 a. 何代も前の祖父が、孫を求めて旅をした話。 b. 孫からの疑問に答えられなかった話。 c. 何代も前の祖父が、老病死の恐れを紛らわす薬草をアマゾンで探しているうちに、東南アジアの国に、あの世へ連れて行ってくれる香木があるという情報を得て、実際に沈香を求め、手に入れた話。 d. 香木は、そのままでは、あの世からこの世に死者を連れてくる役には立たないと悟った話。 e. その次の祖父が、香木を自分の為に用いているうちは、効果は得られないことを悟った話。 3)内容2。孫への伝言。 a. 生きてみて分かったことを、孫に伝えたい。誰だって、自分が何で、どこから来て、どこに居て、何をしたらいいのか、どこへ行けばいいのかを、言葉にして明らかにしたい。自分についての取扱い説明書くらい欲しかった。が、誰も教えてくれなかった。孫のおまえの為に、自分が生きてみて分かったことを、ここに記そうと思う。 b. 「現在の現実を逞しく生きて欲しい。その支えは、自分の言葉の心で作るあの世、つまり、しっかりした自分、世界、過去や未来だ」。そのためのレンガが言霊で、基礎工事の現場が言霊の海、つまり沈香の宿だ。 c. 大切なのは、物ではなく言葉だった。現在の現実ではなく記憶の過去や願望の未来だった。感覚や感情の心の癒しではなく言葉の心の救いだった。求めていたのは、感覚や感情の心の癒しではなく、言葉の心の救いだった。香りとしての香木ではなく、言霊としての香木だった。沈香の宿は、そんな一片の香木の中にあるあの世の宿だ。 d. 強い人、弱い人という。腕力、免疫力など、体力について言われる。ここでは、生きようとする心の力の強弱について言いたい。自分の心、時には家族や仲間の心の働きを、生きようとする方向に導く力だ。変化や苦難に際して、考えることを放棄せず、言葉を生み出し、号令を下す力だ。37億年の生命の歴史は、大変化や大苦難の連続だったろう。人類はその都度、変化や苦難を乗り越えてきた。遺伝子を変化させて対応するには100万年単位を要するが、言葉の心で知恵や道具を作り、その時々の変化や苦難を乗り越えてきた。変化や苦難に立ち向かうのが人類の種(しゅ)としての特質で、言葉の心の働きがそれだ。言葉の心の強さ弱さは生まれながらのものでなく、蓄えた言霊の質と量による。西郷隆盛の「子孫に美田を残さず」という言葉について考えた。変化や苦難は言葉の心を鍛え強くするが、与えられた美田、つまり感覚や感情の心のままでも安楽に居られる美田は、その機会を奪うということだ。変化や苦難に際して、言葉の心がどんな働きをしなければならないのか、どうやって鍛えれば良いのかを、伝えたい。体のDNAでなく、美田でもなく、言葉のDNA、言霊を伝えたい。 e. 言葉の心は、言葉で説明できない場面に出会うと恐怖を生じ、時には全面降伏、絶対的な帰依をしてしまうようにできている。死は言葉で説明できないから怖い。死を言葉で説明できるようにすれば、恐れることがなくなり、冷静に対処や工夫が出来るようになる。人だけが死者と意思疎通できる。死んだ家族や仲間が残した言霊と意思疎通できる。死者の言霊は生者の言葉の心の中にある。香木、つまり言葉の心を、温めて薫らせるだけでよい。そこから死者の言霊が語り始める。「死後はどうなるか」は、答えを言葉にしなければ、自分を恐れさせ、無力にする疑問だ。言葉にすれば、勇気付け、強くする疑問だ。 f. 自分の死は、みんなの問題でなく、自分だけの問題だ。だから自分の死の事を考える時、人は孤独になれる。死は、時には、みんなの問題にもなる。だから死の事を考える時、人は平等になれる。自分の死は、体の問題でなく、心の問題だ。だから自分の死の事を考える時、人は自分の心を見ることができる。自分の死は、獲得の問題でなく、喪失の問題だ。だから自分の死の事を考える時、人は無欲になれる。自分の死は、答えが出る問題でなく、解けない問題だ。だから自分の死の事を考える時、人は謙虚になれる。 g. 人一倍、競争や差別の心に囚われていた。しかし48歳で、事業に失敗、心臓を病み、大手術を受けた。やっと目が覚めた感じがした。体は不自由になり、活動する気力を失いかけた。できるのは書くことだけだった。孫の未来のために書き残す。自分を作りなおすつもりで、この物語を書く。妻に支えられながら、子や孫に、何も出来なかった爺さんの最後の挑戦だ。 4)沈香の宿を開いた動機。 a.
香木の正体は言霊の海の入り口だった。それを見つけた。沈香をみなのために役立てる。それを実現する宿を開いた。 b.
先人が言霊の海に沈めた、「記憶の過去」が貯まって固まった化石と「願望の未来」が貯まって固まった宝石、それが、ここでは香木のことだ。感覚や感情の心で焚けばその場限り感覚や感情の心を刺激する香りだが、言葉の心で焚けば、言霊となって、その言葉の心の働きである自分の一部になる。 c.
香りはこの世で迷う言葉の心と、あの世の言霊を集めるための手段だ。 d.
探し求めていた答えは、みんな、ここに、ある。 e.
これまでは、この世は眼前に見えたり聞こえたりするままにあると信じていたが、ある日、それが感覚や感情の心が映し出している虚無であることに気がついた。自分が居るべき本当の世界ではないことに気がついた。本当の世界は、既にある何かではなく、自分が言葉で作るものだと気がついた。それならいっそ、100%自分好みの世界をつくろうと思い、この宿を開いた。いつからか、こんな妄想を抱いた。その後益々深まって、いまでは、確信に変わっている。この世界そのものが、私の言葉の心が描いている、私だけの空想だ。 (7)
客。 @
客は、この世の人々の言葉の心だ。 A
感覚の心や感情の心は、動物としての心なので、こことは別世界の虚無なのだ。 B
毎夜開かれる和香会のたびに、焚かれる香木が変わり、その都度、客も湯も入れ替わる。 (8)
客のニーズ。 @
メニュー。 a
孫の疑問文への答え。 b
現在の現実に居場所や目標が見つからず、自分や世界や過去や未来を探し求めている。 c
感情の心に翻弄され、現在の現実で溺れかけている。 d
悲しさや怒り、虚しさや恐れの感情の沼にはまっている。 e
困難に途方にくれている。 f
苦難を乗り越えたい。 g
そろそろ夕映え、自分を永遠の存在、つまり言霊にしておきたい。 h
死者に会いたい。話をしたい。 i
死者に恩返しをしたい。 j
死者に罪滅ぼしをしたい。 k
喜ぶ力や生きようとする気力、挑戦しようとする勇気が枯れかけている。取り戻したい。 l
自分の死を恐れすぎている。言葉にして、納得しておきたい。 m
感覚や感情の心が見せる退屈と興奮、渇望と癒しの繰り返しに疲れて、この宿を訪れる。 A
心の切り替え。 1)
言葉の心の働きである自分が、肉体の無い、心のようなものになって、感覚や感情の心の束縛から離れ、自由気ままに、ふわふわ浮かんで、眺めている。香の力で、宙に浮いて、普段は目にすることのできない高い場所から見下ろしたり、広い視野で眺めたり、互いに乗り移ったり,共感したりする。 2)
これまでは、この世は眼前に見えたり聞こえたりするままにあると信じていたが、ある日、それが感覚やの心感情の心、つまり動物としての心が映し出している虚無であることを知って、本当世界を知りたいと思い、この宿を訪ねてくる。 3)
家族などの死で、自分の正体は「波だな」と思い至る。宮沢賢治が「私は、交流電灯…だ」と言っていた。遺伝子や光の勉強をしたがぴったり来ない。般若心経を読んでいるがよくわからない。この世が夢か現かわからなくなった。昼間も、夢の中にいるような時間が増えてきた。 4)
心のスウィッチを、偽の自分、つまり体や、感覚や感情の心から、本当の自分、つまり言葉の心に切り替える。 5)
偽の世界や時間、つまり感覚や感情の心が映し出す現在の現実から、本当の世界や時間、つまり言葉の心が作り出す、記憶の過去や願望の未来に、心の在りかを切り替える。 6)
偽の生き方、つまり現在の現実で快楽や安楽という癒しを求める気持ち、苦痛や苦悩や困難から逃避しようとする気持ちから、願望の未来の実現のために、苦痛や苦悩や困難に挑戦する、勇気と気力に、気持ちを切り替える。 7)
偽の救い、つまり感覚や感情の心の癒しを求める気持ちから、本当の救い、つまり言葉の心が欲する言霊を求める気持ちに、心を切り替える。 (9)
和香会。 @
沈香の香りが招待状だ。言葉の心が留守中は、感覚や感情の心が自由にしようとするので、そうならないように、招待は瞑想中か睡眠中に訪れる。湯治の間、残された感覚や感情の心は夢を見る。悪夢だ。しかし言葉の心が留守なので記憶できない。思い出せない A
届いた香りの力で、心が感覚や感情の心と言葉の心に分かれ、言葉の心は香心門をくぐって、そこにある沈香の宿の香炉に吸い込まれる。そこは、湯をたたえた浴槽のある浴室だ。湯とは言霊のこと。入浴とは聞香のこと。来た言葉の心は、感覚や感情の心のしがらみを落とし、新しい言霊である移り香を得て帰る。湯はその日によって入れ替わる。或る日は自分の湯。自分を言葉で作る助けをする言霊の湯だ。別の日は世界の湯。世界を言葉で作る助けをする言霊の湯だ。さらに別の日は時間の湯。時間を言葉で作る助けをする言霊の湯だ。祈りの湯というのもある。勇気や気力を言葉で作る助けをする言霊の湯だ。言霊の移り香を得て、沈香の宿を出る。目覚める。移り香を得た言葉の心は、生きようとする力がバージョンアップしている。 B
和香会とは、香木や香道具や作法から離れて、感覚や感情の心から離れて、言葉心ので楽しむための方便だ。 C
瞑想とは、感覚や感情の心から言葉の心に切り替えて、言霊の声に耳を傾ける心の態勢のこととする。和香会は、香りを用いた瞑想法の一つだ。 D
香元は主人。その日の香木を決める。香を焚くと、その香りに惹かれて言葉の心と言霊が集まってくる。 E
聞香。香木の香りで、香炉に言霊の湯が湧く。浴槽が香炉、湯気が香り。 F
最後は白金香を焼香。勇気の象徴である百万象の移り香を帯びさせる。 G
言葉の心たちは、苦難に挑戦する勇気の象徴である百万象の移り香を帯びて、この世へ戻る。 H
自分を言葉にして、発信して、言霊になって、焼香の湯に来る言葉の心もいる。自分を残り香、言霊にして、言霊の海に戻るのだ。 I
言霊は言霊の海へ戻る。 (10)
湯と効能。 @
湯。 1)
湯とは言霊の海のこと。先祖たちの知恵の海のこと。 2)
沈香を焚くと、その香りに応じた言霊たちが集まって、湯になる。 3)
湯とは言霊の海のこと。物語や断想。温泉の湯が体を芯まで温めるように、客つまり言葉の心を芯まで温める。 4)
この世の湯は感覚や感情の心を癒すが、あの世の湯である言霊は言葉の心の救いとなる。感覚や感情の心が癒やされるのはこの世の湯だが、言葉の心が救われるのはあの世の湯だ。あの世の湯とは言霊のこと。香りはあの世、つまり言霊の海、つまり竜宮城へ連れて行ってくれる、亀だ。 A
湯の効能。 1)
言葉の心にとっての言霊の海は、温泉だ。香(こう)に例えれば、香炉が浴槽で、香りがお湯だ。香りによって感覚や感情の心の凝りがほぐれて、言葉の心が開くのだ。 2)
この宿の名物は、沈香浴だ。外界で肥大した感覚や感情の心の興奮をゆっくりほぐして、少しは減量する助けになる。孫への土産の言霊もある。沈香の香りに,一時、身を任せてほしい。 3)
言葉の心の働きである自分が、言霊の海から言霊を取り入れる。言葉の心の温泉浴。 4)
客はまず感覚や感情の心のなごり、競争差別の情動や癒しへの欲求を洗い落とし、浴槽である香炉に移り、香りの奥の言霊の湯に浸る。 5)
宿は海辺にあって、海からは潮騒が聞こえ、潮の香もする。湯で癒され、祖先の囁きのような潮騒や潮の香りに心を傾け、浜辺で、貝殻や小石つまり言霊を拾い、残り香として、海を自分の一部にするような気持ちで、持ち帰る。 6)
香を点てる。点香。心を点てる。点心。感覚や感情の心が映し出す現在の現実の苦しみや迷いの霧の奥に、言葉の心の故郷である記憶の過去や願望の未来への入り口が見えてくる。 7)
この世、つまり現在の現実の宿や温泉は、体や、感覚や感情の心の癒しのためにある。癒しの湯だ。すぐに冷めてしまう。沈香の宿や温泉は、言葉の心の救いのためにある。現在の現実に在る癒しではなく、記憶の過去や願望の未来に在る救いの湯だ。薬効とぬくもりが、言葉の心に染み渡り、いつまでもぽかぽかしている。つまり救いをくれる。この世の心が蛍になって、言葉の心の働きである本当の自分を光らせながら、入りに来る感じだ。 8)
体は、この世、つまり現在の現実に生きている。感覚や感情の心は、この世に生きているための心だ。生きているために必要な癒しを求める心だ。大きな変化や苦難に出会って、現在の現実を乗り越えて願望の未来へ進まなければ生きて居られない時が在る。ヒトにはそのための言葉の心の働きである自分が備わっている。目先の癒しの誘惑を捨て、あえて苦痛や苦悩を受け入れ、我慢し、努力する、勇気と気力の源となる心の働きだ。それは、先祖が蓄積した知恵である言霊の海から引き入れた言霊によって支えされる。それがこの湯の効能だ。 9) 生老病死の輪廻から離脱したい、不老不死を求めたい。そう願っている主役は、言葉の心の働きである自分だ。そしてそんな自分の中身は言葉だ。情報だ。情報生物である自分には、元々、始まりも終わりもなく、生も死もなく、勿論老病も無い。始めから生老病死の輪廻から自由で、不老不死なのだ。しかし自分を言葉の心だと自覚するのは難しい。感覚や感情の心に囚われて、自分を体だと思い込んでしまい、生老病死の輪廻や老死への恐れに囚われてしまう。何か特別なこと、つまり薬や温泉などの効用で、体を守りたいと願うのだ。言葉の心の働きである自分は、命などない情報だと言う意味で、そもそもそのまま、不老不死で、生老病死の輪廻など関係なく、始まりも終わりもないという意味で永遠なのだ。そのことに気がつけばいいだけの話だ。体と、言葉の心の働きである自分を、同じ次元に生じている現象だと思い込むから、両者の在り方が矛盾しているように思えるのだ。互いに異次元の存在なら、両立できるのだ。香薬も温泉も、体を不老不死に変身させるものでなく、言葉の心の働きである自分に、自分が元々不老不死であることに気付かせてくれる手段なのだ。自分は体や、感覚や感情の心ではなく、言葉の心の働きであることに気付かせてくれるのだ。救いは、体や環境が変わることで得られるものでなく、気付くことで、つまり自分が変化することで生じる心理現象だ。ということで、この旅は、不老不死の実感による心の平安を得ることが目的であるが、現実の薬や温泉を求める旅でなく、香りつまり言霊による言葉の心の進化を求める旅なのだ。 10)
車で帰宅途中の丘の上で、西の空に広がる夕映えを見た。心が洗われる気持ちになった。しかし、どの心の、どんな汚れが洗われたのだろう。感覚や感情の心の汚れは、不快や怒りだから、同じ次元の快さの刺激で洗われるのだろう。これが癒しだ。言葉の心の汚れは、納得できていない、中途半端になっている言葉だから、納得できる言霊に置き換えることで洗えるのだろう。言霊との出会いが救いだ。 (11)
湯あがり。 @
香元である主人が薫香録を作成し、原本は宿帳として保管する。それぞれの言葉の心たちは写しとしての移り香を身につけてこの世に戻り、言霊はあの世、つまり言霊の海へ戻る。 A
薫香録には、言葉の心が持つ疑問への答えつまり移り香が記される。 B
移り香の内容は以下の通りだ。 1)
癒しつまり偽物の幸福から自由になる。 2)
見せ掛けの自分や世界や時間から自由になる。 3)
競争差別の感情から自由になる。 4)
生老病死への恐れから自由になる。 5)
願望の未来つまり本当の幸福のために、生きようと努力する心の力を得る。 6)
自分や世界や時間は言葉で、一人に一つずつ別々にあることに気がつく。 7)
自分は言葉になって、発信されて言霊になって、言霊の海、つまり天国の図書館で自分も本になることによって救われることに気がつく。 C
薫香録は言霊の海だ。薫香録を読むとは言霊を読むことだ。言葉の心が必要とする時、言霊が現在の現実によみがえる。薫香録を記すということは、子孫に対して、私に会いたい時には、私の助けが必要な時には、これを読みなさい。心の香木を焚きなさいということだ。 |
13.祖父が死んだ。 (1)
祖父のノートが残された。 (2)
祖父は、引き継いだ知識をまとめる形で、言葉の心の修行のための手引書を綴っていた。題は香心門と記されていた。僕もそれを引き継ぐことにした。 @ 香心門を学ぶ。香木の使い方、薫香録の作成法などを学ぶ。 A
理念を香心門とし、手段を和香会とする。 B
感覚の心は香りを嗅ぐ。感情の心は香りを楽しむ。言葉の心は香りを聞く。 C
現在の現実に、次元を異にする記憶の過去や願望の未来が重なっている。光がプリズムで分光するように、刺激が感覚の心、感情の心、言葉の心の各層を屈折して通り抜け、それぞれの層がそれぞれの像を映し出す。香(こう)はこのすべてを体験させてくれる。 D
香における香りは、外から鼻に取り入れる微粒子でなく、言葉の心の中から湧き出る言葉だ。 E
香心門は祈りの香道だ。祈りとは言霊の海と交信する事だ。鳥にとっての空を飛ぶことと同じ、ヒトとしての基本的な行為だ。言葉の心を育てる。生物は、何度も絶体絶命の状況に追いこまれる。そのたびに、あきらめずに方策を求める個体だけが生き延びて子孫を残してきた。これが進化の過程で生じる言葉の心の起源だ。ヒトはその最高峰だ。生き延びよう、何とかしようという言葉の心が人類を発展させてきた。その言葉の心を育てて、心に刻む作業が祈りだ。 F
自分を世捨て人だと思っても、最低限の衣食住だけでなく、子孫のことや、自分が存在したことの証などについての思いは捨てきれない。事業や資産や地位が有る人ならばなおさらだろう。みんな現在の現実の中であがいて、一瞬の喜怒哀楽を繰り返して、最後は虚無に吸い込まれていく。そんな現在の現実を少し離れて見れば、現在の現実の中に居ながら、世捨て人として生きる道が見えてくる。世捨て人とは、現在の現実に身を置きながら、感覚や感情の心に惑わされず、記憶の過去や願望の未来に重心を置いて生きる生き方のことだ。その後ろ姿や言霊が、現在の現実に重心を置いて生きている人々に、各々の記憶の過去や願望の未来を思い起こさせ、救いになることだ。人類の進化とは生活態様より、精神態様に在る。ヒトの心の進化は、現在の現実から距離を置く世捨て人によって、言葉で作られるのだと思う。現在の現実を支配する力は心の進化を弾圧し、世捨て人の現在の現実の体の多くは消されていった。現代、民主国家では、弾圧は無く、仮想空間が、現在の現実の代わりとなって、世捨て人の生存基盤を支えるようになっている。世捨て人が増殖している。きっと大きな人類の精神の進化が起こるだろう。新しい香の道もそこを目指したい。 G
釈迦が説いたサンガに属する僧の使命について読んだ。香心門について考えた。 1)
僧は「自己の救いを目的とし律を守ることに専念するため、経済活動ができない。そんな姿を示し、その共感として布施を受ける」。香心門人は、自己の救いを目的とし、自己負担でボランテイア活動をする。布施は受けない。という立場だ。 2)
「あらゆる人を傷つけない。あらゆる人を助ける」。香心門は、香りと言葉という手段が通用する範囲で、人を傷つけない、人を助けることに、努力をする、という立場だ。「心があなたを生きている」など、意味不明な言葉による癒しで満足できる人が大部分だ。それで、満足できる人はそれでよい。香心門は、「ヒトは救いを求めている。癒しでは救われない。救いは、外からもらえない、自分で作る言葉だ」という立場だ。その言葉は、哲学でも科学でも、宗教でも構わない。さらに、自分を言葉にして発信して、言霊にして、言霊の海に戻すことが究極の救いだと考える。しかし、抽象的な、香りや言葉ではどうにもできない、現在の現実で苦しみ、具体的な助けを必要とする人には何が出来るのか。日ごろの、香りを言葉にするという言葉の心の鍛錬を通じて、苦難を言葉にする力を発揮させ、願望の未来を言葉で作り、現在の現実の活動に必要な、知恵と、生きようとする気力、挑戦しようとする勇気を得る助けになる、という立場だ。 H
自分の正体は言葉の心の働き、つまり言葉、つまり情報生物だということ。だから自分は、快楽や安楽を犠牲にしても、言葉による納得を目指す。感覚や感情の心は動物の心だ。だから、感覚や感情の心は、快楽や安楽を目指す。体の正体は細胞、細胞の正体はDNAだ。だから体つまり細胞は、自己保存を目指す。人間はこの3つの総合だ。香でそのことを体験しよう。 I
思い出、記憶、自分、香りの関係について考えた。記憶には3種ある。感覚の心の記憶、感情の心の記憶、言葉の心の記憶だ。どれも、脳に刻まれて生涯消えない。感覚や感情の心の記憶は、同じようなを受けてよみがえる。言葉の心の記憶は、望めば、いつでも自在に思い出される。自分は、言葉の心の働きという情報生物だ。自分を作るとは、言葉の記憶を積み上げる事だ。感覚や感情の心の体験を脳に刻むだけでは、動物としての自身を作るだけだ。ヒトとしての自分は、言葉の蓄積によって成長する。聞香の目的は、香りを、感覚や感情の心の興奮から、言葉の心に届かせて、言葉の記憶を創り、自分を育てる事だ。 J
香炉が、香りを宿す場所であるように、脳は、心を宿す場所だ。炭団(たどん)の火が、香木から香りを引きだすように、感覚や感情の心は、環境の刺激から、現在の現実を映しだす。言葉の心は、香りつまり現在の現実から、言葉つまり自分や世界や時間を作り出す。 K
アロマは感覚や感情の心の興奮で終点だ。香(こう)は言葉の心に至る。感覚や感情の心を働かせてお終いか、言葉の心まで働かせるか。癒しで立ち止まるか、救いまでを求めるか。現在の現実にとどまるか、記憶の過去や願望の未来に進むか。 L
一片の香木も、用い方次第で大勢の心を満たせる。香木のままだと所有できるから個々の欲望の対象になって、共有は難しいが、香りにしてしまうと、所有できないから、欲望が消えてしまい、和やかに、分け合い、楽しむことが出来る。 M
香道に憧れて、教えてもらいたいという人が多い。何にあこがれているか聞くと、源氏物語が一番多い。香心門では、香は自分を作り育てるため、つまり記憶の過去や願望の未来を作るための手段だ。そしてそれは、生きる知恵、生きようとする力を得るためだ。 N
香道に興味を持つ人は多い。私が、香心門の目的は、貴族文化を味わう事を越えて、ボランテイアをするための香道だという話をすると、離れていく人も多い。でも、と思う。香道とアロマの違いだ。アロマの目的は体の健康や、感覚や感情の心の具体的な喜びで、香心門の目的は、言葉の心の喜びつまり抽象的な喜びだ。抽象的な喜びは、言葉で出来ている。言葉は、作り、伝えることで力を得る。自分に喜びを得るためには自分に向かって言葉を発しなければならない。さらに他者に伝えることで自分の中で増幅し、結実するのだ。そして、話を最初に戻せば、英国的に言えば、貴族とは、自分が優雅に快楽や安楽を楽しむことではなく、他者の為に率先して身を呈する、自己犠牲の心を言うのだ。その結果得られる喜びを貴族的というのだ。 O
虚無に言葉の舗装をして道を作り、後進の人々が歩きやすくする。それが香心門の目的だ。 P
「マズローの欲求段階説」。生理的欲求(Physiological needs)安全の欲求(Safety
needs)。所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)。承認(尊重)の欲求(Esteem)。自己実現の欲求(Self-actualization)。香心門に対応させてみた。生理的欲求は感覚の心、安全と所属と愛と承認の欲求は感情の心、自己実現の欲求は言葉の心と対応する。所属と愛の欲求は和香会の客となることで満たされる。承認(尊重)の欲求は、和香会の香元となって満たされる。自己実現の欲求は薫香録を書くことによって満たされる。所属の欲求は、和香会に参席したり、献香をしたり、香心門の門人になったりすることで満たされる。 Q
氷が水蒸気になると1600倍の体積になる。物質がエネルギーになると無限大になる。香木が香りになると、どうなるのだろう。気体か。いやもっと考えれば情報になって、物質がエネルギーになるように、無限大になるのだ。さらに、香りが言霊になれば、ヒトからヒトへ遷り続ける本当の無限の存在になる。いつかは消えてしまうエネルギーより、もっと無限大なのだ。 R
和とは、一人でも、心穏やかにいること。複数の人々が、なごやかに、仲良くいること。和香会とは、香の力で、和やかに、仲良く過ごすこと。現在の現実の事物には限りがある。感覚や感情の心の欲望には限りが無い。全員の欲望を満たすには足りない事物は、競争差別の心を生じさせる。風景や日差し、水や空気は充分にあって、独占できないから、皆で和やかに分かち合うことが出来る。これを無尽蔵という。和は無尽蔵から湧き出る。香木は希少な財物だ。香木そのものはヒトの欲望をそそる。昔、大名の入手をめぐる争いに敗れた武士が責任を取って切腹した話もある。所有する人も、盗まれはしないか、もっといいものは無いかなどと争いの心を駆り立てられる。香木を焚いたとする。香木は消え、生じた香りは、もう誰も所有できない、言わばあの世の物となる。皆のものとなる。誰もが平等に得られ、和やかな気持ちになれる。無尽蔵になって、そこは和(なごみ)の場となる。和香会はそれを目指す。だから香道具なども、欲望をそそらないように、簡素な方が良い。物は欲を駆り立て、争いの感情を生じさせるからだ。香による和を邪魔するからだ。 S
せっかくヒトの脳に宿ったのだから、孫や後世の自分達のために、心の使い方の、マニュアルのようなものを書いておこうと思う。 21
誰だって、自分が生まれて、生きて、死ぬ理由が知りたい。せめて、体と心と社会についての取扱い説明書くらい欲しい。が、誰も教えてくれない。孫のおまえの為に、生きてみて分かったことを、ここに記そうと思う。 22
まだ早いが、何のために勉強するのか書いておいてやろう。国語。伝える訓練。自分の望みを相手に伝えたり、相手の望みを理解したりして、仲良くするための道具だ。すでに仲が良い親とは以心伝心で通じるが、その他の人とは言葉が必要だ。自分でも自分の望みがわかっていないことが多い。そんな時、自分と言葉で話しあう。誰かが書いたものを読むと、その人のパワーがもらえる。理科。自然を観察し、理解する。道具を作ったり、自然を利用したりする知恵もあったほうが良い。その対象が人間社会の場合は、社会科という。心の世界なら道徳という。算数。考えて推測する訓練。リンゴとミカン、物としては見えても、意味は見えない。量や数なら数字に、姿かたちなら線や図形に、意味なら記号に置き換える。その訓練が算数だ。みんな、何かを言葉に変える訓練だ。世界のすべては言葉なのだ。世界を言葉にすること。それが勉強だ。 23
自分の脳の中に、絵や音楽や物語を描く。それを紙に写して、他人にも見えるようにする。 24
現在の現実が、容赦なく、目や耳や鼻や口や皮膚から押し寄せてくる。自分は今、狸か狐に化かされているのだと思うのが良い。現在の現実は木の葉の小判なのだ。そう思うと、現在の現実から一歩下がって、冷静に観察したり、工夫したりできる。 25
本を読んだり話を聞いたりしている時と、目や耳で現在の現実を感じている時と、心の働き方はどう違うのだろう。現在の現実は、見るともなく見ている時の、車窓を通り過ぎる景色のようだ。作り変えたり乗り越えたりする余地の無い、あるがままの絶対的な存在として、信じ切って受け入れている。日常の些細な事でも、変えたり工夫したりしようとする意欲が湧かないのはこのような心の状態だからだ。動物としての感覚や感情の心は、与えられた現在の現実を受け入れるだけだ。ヒトとしての言葉の心は、現在の現実を言葉に作り変え、より良い言葉、つまり願望の未来にしようと工夫や努力をする。生きようとする意欲や挑戦する勇気を作る。香(こう)は、香りを言葉にすることで、言葉の心を育て、動物としての心をヒトとしての心を成長させるのだ。 26
4歳になる前の記憶は、思い出せない。言葉の心が未熟だからだ。香りを聞いても、言葉にしなければ、これと同じだ。 27
見えているからあって、見えないから無いと思ってはいけないよ。この世は、無限の次元からなっていて、私に見え、理解できているのは、その一部に過ぎない。見えなくても、私を左右したり、支えたりしているものが無限にあると言うことを理解しなければいけないよ。次元とは、脳の働き方の種類のことだ。脳は、密林のように奥が深く、自分では意識できない働きが無限に層をなしている。世界は、それらの脳の働きが感知している情報だ。意識できるばかりが世界ではないということだ。 28
地獄極楽。地獄は虚無の事。極楽は言霊の海の事。 29
香木がくれる感覚の心の喜び、感情の心の喜び、言葉の心の喜び、について考えた。哺乳類は甘味が好きだ。子供も甘いもの、単純明快な図形、鮮やかな色が好きだ。感情の心は快楽や損得の刺激が好きだ。言葉の心が育つにつれて、苦さ、辛さ、複雑さ、地味さ、曖昧さ、侘び寂び幽玄などを好むようになる。ブドウが、果汁から、酒、酢へと変わるように人の心も熟成するのだろう。香木についていえば、甘い香りから、辛さ、苦さ、渋さ、へと好みが広がる感じがする。 30
感覚。快の癒し(甘)を得る。苦痛(辛)を得る。感覚の心が映す現在の現実に流される。感情。喜怒哀楽。愛競争差別。楽の癒し(花)を得る。苦悩(苦)と迷い(人)を得る。感情の心に流される。 31
麝香を嗅いだ。悪臭だが仲間の匂いのような安らぎも感じる。幼児の頃を思い出させる懐かしい気持ちにもさせる。心の警戒を緩ませる感じだ。動植物が繁殖のために出す匂いや音は、ヒトにも同じ効果があるのかもしれない。沈香の香りにも、母親や幼児の体臭のような、そんな部分がある。沈香の魅力は、芳香より、ヒトくささに在るのだと思う。しかし沈香は木が害虫から身を守るために分泌する防虫、防カビのための物質だ。ヒトを喜ばすのは神のいたずらだ。 32
したい事も、しなければならない事も無い時の心の状態。動物としての感覚や感情の心に従うなら、ただ安らかに眠ればよい。ヒトとしての言葉の心は目標を見失った状態にある。することがなければ、しないでいればよいのだが、言葉の心は退屈という禁断症状、苦痛に襲われる。動物のように、現在の現実の中に安住する事はできない。言葉の心は記憶の過去や願望の未来に住んでいる。現在の現実には居場所がないのだ。そんな時にはどうすればよいのだろう。香木で何が出来るのだろう。香りを言葉に変えるという使命を与え、活動させれることだ。 33
ふと、昔の一場面を思い出して、怒りや憎しみや恨み、後悔の念が湧くことがある。昔の記憶を言葉で思い出すことはいいことだが、マイナスの感情をよみがえらせることは、無駄なエネルギーを消費し、思考を妨げ、生きる力を削ぐという意味で悪いことだ。反対に、生きようとする意欲を湧かせる記憶もある。感情の心について考えた。感覚の心が初めにあって、それが言葉の心に至る進化の途中が感情の心なのだろう。感覚の心には迷いは無い。言葉の心にも迷いは無い。感情の心は感覚の心や言葉の心に刺激されて喜怒哀楽の興奮を生じる。迷い、怖れや苦悩、競争や差別はこの感情の心の働きだ。感情の興奮を言葉に収めることが成仏だ。その訓練が香の目的だ。 34
五感の呪縛とは、五感の優勢のことだ。快楽や苦痛に支配されることだ。五感の牢獄とは、現在の現実のことだ。冒険とは、言葉の心が困難や苦難を乗り越えて生きようとする意思なのに、危険によるスリル、つまり快感にすり替わってしまう。勇気とは、苦難へ挑戦しようとする意思なのに、苦難からの逃避にすり替わって、弱い仲間との競争差別や、自殺につながる。五感の呪縛を解く方法。読書、思考、学習、瞑想。五感の牢獄からの解放。その先の世界。言葉の心。言霊の海。不死、永遠。 35
毎朝、血圧と体重を計って一喜一憂している。昨日と同じだと、安心と落胆を感じる。テレビで、今朝地球の裏で、世界大戦が始まったというニュースをしていたとする。感覚や感情の心でいれば、すべて世は事もなしという感じだろう。そして昼になれば、すべてを忘れているだろう。香では、香りを言葉にして記憶する。嗅覚ばかりではない。言葉の心も働かせなくてはならない。 36
歯が痛い。世界が割れるような感じがする。自分も、世界も、過去も未来も、どうでもよくなる。現在の現実だけになる。感覚や感情の心、つまり偽の自分になってしまう。医者へ行って治療する。さっきまでの痛みが嘘のように消えてしまう。もう、痛みを思い出そうとしても思い出せない。あの時のたうちまわっていた偽の自分、感覚や感情の心も消えてしまう。今、何事もなかったような自分が戻る。痛みは本当の自分ではない。記憶できない。記憶できなかったその時の偽の自分は、今となればもうどこにもいない、偽の自分なのだ。同じことが、快不快、つまり暑さ寒さや、空腹や、喜びや悲しみにも言える。香では、香りを言葉にして記憶する。嗅覚ばかりではない。言葉の心も働かせなくてはならない。 37
昨日は息子一家と熱海へ釣りに行った。帰路、途中の回転すし屋で夕食をした。安いと評判のチェーン店だ。孫たちは最高のお寿司を食べているように食べていた。早死にした友人のことを思い出した。美食家で、妻子を離縁し、若い妻と再婚し、毎日、銀座の高級店で食事をして、糖尿病が悪化、60歳で死んだ。美味しいお寿司を食べるのでなく、お寿司を美味しく食べる、それが、本当のお寿司の食べ方だ。孫達を見て、美味しく食べる能力というものがあると思った。空腹や育ち盛りの食欲、一家団欒などだ。歳をとるとそれらが身の回りから消えていく。それを補うのが美食だ。グルメを語る人々が侘しく見えるのはそのためだ。 38
幼児に香りを聞かせても、持っている、せいぜい2,3種の言葉でしか、違いはわからないだろう。其の他の香りは虚無の闇の中だ。世界のすべてについても同じことが言える。つまり世界は、そのヒトが持っている言葉の集合なのだ。 39
禍福は糾える縄の如し。悲観も楽観も続かない。それは悲観も楽観も感情の起伏にすぎないという意味だ。感情は山が来れば次は平らになって谷になる。谷も平らになって山になる。生きている限り静止は無い。だから、暗い気持の客には明るい甘い香り、楽しそうな客には辛い、苦い、渋い香りで中和する。まるで言葉の心が感覚や感情の心を制御するように。 40
香を聞く3段階。感覚の心で匂う。快不快を知る。感情の心で嗅ぐ。喜怒哀楽を起こす。言葉の心で聞く。記憶の過去が呼びさまされ、願望の未来が生じる。 (3)
私も、死んだ祖父の年齢に近づいている。今、老人ホームを廻り、祖父たちから引き継いだ香木を焚きながら、和香会を開いている。せめて、幼い孫たちの為に、新しいパズルを作って残そうと思う。香木ではパズルは1セットしかできない。香りならたくさんのセットがつくれる。言葉なら無数のセットが作れる。多くの人が楽しめるように。しかし、残された時間では絶望的だ。いつか、孫が完成することを望む。 |