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魔女の村。

1.    始めに。

昔、絵本で、魔女の村の絵を見た記憶がある。大人も子供も、男も女も、犬も猫も、雀もカラスも、みんな魔女の格好をしている。とんがり帽子に、黒い筒袖の上っ張り、先の尖ったブーツだ。気球くらいの高さから見下ろしている。村を囲む、山や川や野原が魔女の輪郭、碁盤の目のような大通りと裏通り、路地や畑を縫う小道が魔女の体、家や店、学校や教会が魔女の顔のように見える。あちこちに散らばる大きな木は、昔そこにあった水車小屋や、風車の塔のように見える。

この村では、全部の家の屋根に、風見鶏がある。風が吹くと、空気の流れと平行になって、方角を教えてくれる。穏やかな日には、谷間の乱気流と戯れて、クルクルするか、日差しの中で眠っている。その家の誰かに苦難や困難が訪れると、風見鶏は目覚め、魔女の風を読む。風見鶏は願望の未来を指す。苦難の人はその方向に狙いを定め、我慢と努力をする。そのようにして、この村の人々は、戦争や飢饉を乗り越えてきた。魔女とは、言霊の海から吹いてくる言霊の風のことだ。風見鶏は一人ひとりの言葉の心のことだ。

魔女は目に見えない。それは見ている人を包みこんでいるからだ。魔女は香りのようだ。魔女は見えない。とらえどころが無い。しかし魔女はいつも村人の一人ひとりを見守っている。

2.    魔女の組み香。

香道に、組香という遊びが在ります。香りの異なる香木を順番に焚いて、どれとどれが同じか当てっこをするのです。この村を抜ける道路には、信号が2箇所あります。村人は、赤と赤、青と青、赤と青、青と赤、どうなるかドキドキしながら通り抜けます。魔女がくれた、今日一日の、運不運のサインのように思ってしまいます。

3.    魔女の牝牛。

また今年の冬も日本から来た女性が、今回は丘の上の牧場の牛の世話をしています。その牧場には、昔から変なうわさがありますが、その女性は知りませんでした。それは次のような内容です。最後まで読むと明らかになります。

もうそろそろ帰国するというある日、その日も朝から牛達に餌をやったり、掃除をしたり、体をマッサージしたり、乳絞りをして、忙しくしていました。牧場主のおばあさんが母屋から呼んでいます。手を洗って居間に入りました。こんなことは初めてでしたが、テーブルの上には焼きたての香りがするクッキーが山盛りで、ミルクも添えられていました。おばあさんはいつものように、やさしい南部訛りで、「もう帰国なんて、さびしいわ、今日はお礼に、20年ぶりにクッキーを焼きました」と言って、勧めてくれました。一つ食べてみると、それはそれは、うっとりするほど美味しく、何ともいえない幸福な気分にさせてくれる味でした。一つ食べると二つ、二つ食べると四つ欲しくなります。お皿の上のクッキーは取っても取っても減りません。そのうち見る見る太ってきて、今世話をしてきた牝牛ほどの大きさになってしまいました。この先は村人の証言です。

あの日から、日本人の女性はいなくなってしまいました。きっと、急用が出来て、いつものように、知らない間に帰国したのだろうと、誰もがそう思いました。その日、もう一つ奇妙なことがありました。昔、失踪していた女性が牛小屋で見つかったのです。20年も経っているのに、若いままで、保安官が、本人に聞いても「何処でどうしていたのかわからないのですがとても幸福な時間を過ごしていた」と答えるばかりだったそうです。

日本の浦島太郎のようですね。さて賢明な読者諸氏には、この女性がどうなったのか、おばあさんや牛の正体は何なのかは、すっかりお見通しのことなので、これ以上の蛇足は割愛させていただきます。ひとつだけ、後日談をさせていただきます。20年後、この女性の孫にあたる賢い女の子が、祖母の行方を訪ねてこの村へ来ます。牧場主のおばあさんも、牝牛も、子牛も、20年前とまったく同じ、のんびり暮らしています。この女の子は無事に祖母を日本に連れ帰ることが出来るのでしょうか。

4.    魔女の口笛。

この村では、都会的な言葉遣い、例えば、みなさんとか、私達とか、幸福とか、世界とかですが、流行り始めると、村人に、遠くから口笛が聞こえてきます。都会者の口車に乗ってはだめだと村人に警告しているのです。

5.    魔女の裳裾(もすそ)。

村の中央に、小さな池が在ります。暑い夏の午後、涼しい風が、普通の風と違って、木の葉や小川の水面を揺らして、心も揺らします。ああ今、魔女の裳裾が通り過ぎて行ったのかなと思うのでした。風そよぐ、奈良の小川の夕暮は、みそぎぞ夏のしるしなりける。

6.    魔女のチョウ。

昔、大学の博士が、チョウの研究のため、この村に滞在していました。野山をかけて、結局、一頭も捕まえることが出来ませんでした。気配を察して、高いところへ舞い上がってしまいます。網をかぶせても、花を残して、消えてしまいます。それで、新種発見の論文は発表できませんでした。標本にしたり、繁殖や食性を観察したりができなかったのです。

普通、チョウは主に翅の形や色で分類できますが、このチョウは皆同じ黒色で、大きさも形も似たり寄ったりなのです。皆さんはご存じないと思いますが、実はどのチョウにも、固有の香りが有ります。でもチョウをつかまえて匂い嗅ぐなんて、変態趣味だ、くらいの評価でしょう。このチョウは、近くを通っただけで香りがします。それも、チョウの種類によって、異なる香りがします。博士は、チョウを、12種に分類しました。

実はこのチョウは魔女が飼育して、放し飼いにしているのです。このチョウは村人にとってとても大切な働きをしているのです。その働きについては、後ほど説明致します。言霊の海、参照。

7.    魔女の木枯らし。

この村の木々は、秋が深まるにつれて、上からだんだん、時間をかけて黄色くなっていきます。村人は、マダラ模様の木の葉が、「裏を見せ、表を見せて、散る」のを眺めながら、「喜びも多かったが、それだけ悲しみも多かった。楽しみも多かったが、それだけ苦しみも多かった。幸や不幸、苦や楽は、木の葉の裏表のようだ。喜びを求めるとかえって悲しみが、楽しみを求めるとかえって苦しみが生まれるような仕掛けだったのだな。もう年をとったし、求めるものを減らせば、悲しみや苦しみも少なくなるのだろう」などと、暗い気分になりがちでした。

ある朝、村中の木々が、一晩で、一気に、みごとな黄金色になっていました。村人は、「虫食いでも、縮れていても、結局最後は、みんな金色に染まるのだ。良いことも悪いことも、みんな良かったことになるのだ」と悟ったような、明るい気分になりました。一人の主婦は、その前日、白髪を1本見つけて、「樹だって頂上から色が変わってくる。私の秋は、髪から始まるのね」と、ちょっと憂鬱でしたが、一晩で金色になった木々を見て、「白髪もまんざらではないわ」と、少し気が晴れました。「そろそろクリスマス。自分や家族の願いを思い出す季節だわ。雀のお宿ではないけれど、今年は小さいつづらにしよう」。と思いました。

8.    魔女の喫茶店。

キノコのようなお店。木のドアの鈴を鳴らせて、中に入ります。お茶でなく、香りのカフェです。

9.    魔女の駄菓子屋。

西部劇なら酒場、ギャング映画ならストリップをやっているバー、時代劇ならお城の広間、子供の僕には駄菓子屋が、この世の最高の場所でした。くじが好きでした。お菓子を買うと、おばあさんが、三角に折ったたくさんの紙のくじが入った箱を差し出します。くじは未知の状態に価値が在ります。一等賞でも、中身が分かれば光は消えてしまいます。くじのありがたみは、賞品にあるのでなく、未知の可能性にあるのです。駄菓子屋の、割烹着のおばあさんは、魔女だったのです。幸福のレシピ、つまり願望、勇気、我慢、努力の大切さを教えてくれたのです。

10.  魔女のクリーニング店。

消したい思い出。しなければよかったこと。消すことも洗い落とすことも出来ない思い出を、きれいにしてくれる魔法、言葉にして魔女に託してしまう。言霊にして、言霊の海に流してしまう。いなくなった家族が、残していった物たち。分かち合った感覚や感情の心の、喜びや興奮の残り香を、言葉にして、魔女に託してしまいます。言霊にして、言霊の海に流してしまいます。村人は心の衣更えが必要になると、記憶の洗い張り、シミ抜き、穴かがりなど、この店を訪れるのです。

11.  魔女のブテイック。

店主の魔女は、赤ちゃんには白、子供にはグレイ、若者には黒、熟年には銀色、老年には金色を薦めます。名画の額縁のように、中身を光らせるために、中身よりちょっと渋い服を薦めるのです。人は、第一印象の奥に隠された、予想より良いものを発見すると、奥床しく、美しく感じるからです。不幸な気分の人は、暗い色を選ぶ傾向があります。明るい色を着ると、気分も明るくなるのに、残念ながら本人にはそういう選択はできません。客の気分より明るい色を薦めてあげるのです。幸せな女は、心まで暖かくなるダウンジャケットでも、冬が進んで、バーゲン品になるまで、買わずに待っていられるのは、こういう理由です。店主の魔女は「あなたには、この188ドルのダウンジャケットは、今は必要ないわ」と思いながら、客を見送るのでした。ということで、その幸せな客は、今年もダウンジャケットを買いそびれて、本格的に寒くなって「どうせすっぱい葡萄よ」みたいなことを言いながら、心暖かい冬を過ごすのでした。

12.  魔女のカレンダー。

クリスマス、家族の誕生日。村中のお母さんは、今夜だけ魔女の技を使えます。クリスマスや誕生日のケーキ。子供達は、ご馳走に大喜び。カレンダーは魔法の調味料です。美味しさは、材料ではなく、食べる者の心のあり方にあったのです。今は、一緒に喜ぶ家族もなく、喜ぶ理由もない人でも、魔女のカレンダーは、在りし日の思い出で、味をつけてくれるのでした。

13.  魔女のリサイクルショップ。

新しい物には光が在る。古い物には香りが在る。光り輝くと新しく見え、香りがすると懐かしく思える。光の中には未来が見え、香りの中には過去が見える。光の中には欲望が見え、香りの中には言葉が見える。骨董や古書、リサイクルの家具や衣装の店には、記憶の過去の香りがする。物を通り過ぎて行った人々の喜怒哀楽の記憶から立ち上る香り。自分と同じように古びていく世界の姿が見える。若者や、病気をしたことの無い者、大切なものを失ったことの無い者、孤独を味わったことが無い者には理解できない香りに溢れた、魔女のリサイクルショップだ。

14.  魔女のレシピ。

夕べ残った春巻きを使います。どんぶりに入るよう、春巻きを少し曲げておきます。ねぎと卵で、とじます。ご飯に載せたら、「ハルマゲ丼」の出来上がりです。

15.  魔女の豚肉料理。

「豚の夫婦がのんびりと 畑で昼寝をしてたとさ 夫の豚がおどろいて 女房の豚に云ったとさ 今見た夢はこわい夢 俺とおまえが殺されて こんがりカツに揚げられて、みんなに食われた夢を見た 女房の豚が驚いて あたりの様子を見るなれば 今まで寝ていたその場所は キャベツ畑であったとさ」(歌笑純情詩集より)(日本の豚の夢の話「豚の夫婦がのんびりと 畑で昼寝をしてたとさ 夫の豚がおどろいて 女房の豚に云ったとさ 今見た夢はこわい夢 俺とおまえが殺されて トマトとグツグツ煮込まれて みんなに食われた夢を見た 女房の豚が驚いて あたりの様子を見るなれば、今まで寝ていたその場所は 大豆畑であったとさ」(南軍の豚)According to the 1975 Better Homes and Garden Heritage Cookbook, canned pork and beans was the first convenience food. According to Conagra Foods, Frank Van Camp sold pork and beans with tomatoes to the US Army during the American Civil War. Wikipediaこれは、(米国南部の豚の夢の話)。

16.  魔女のお父さん

村の木の葉が散り尽くす頃、渡り鳥に乗って、北風とともに帰ってきます。これから春が来るまで、この村は、楽しいお祭りと悲しいお祭りが、打ち消しあうように目白押しです。楽しいお祭りは村中総出で祝います。悲しいお祭りは家族でひっそり祝います。この冬、魔女のお父さんのお客様第1号は、村はずれの家の、ヤギのメエでした。世話をしていたのは、皆さんとは面識がない女の子です。メエは5月生まれですから、半歳でした。幸福だった死者ほど、自分が死んだことに気がつきません。メエの心も、女の子のそばで甘えて離れたがりませんでした。女の子は、悲しみが消えず、食事ものどを通らず、このままでは、お客様第2号になってしまいます。見かねた魔女が、三日月の晩、大きなキノコに乗って飛んで来て、メエの心を乗せ、そのまま風になって、舞い上がって、偏西風に乗せてくれました。その日を境に、女の子は、ご飯が食べられるようになりました。偏西風になったメエの心は、女の子が思い出した時にだけ、甘い風になって、記憶のアルバムをめくりに、吹いて来るのです。

17.  魔女の贈り物。

この村の人々は、みな幸福な気分で朝を迎えます。お母さんが、子供たちが明日も楽しく遊べるよう、眠っている間に、散らかったおもちゃを片付けておくように、魔女は、一人一人の脳の中に散らかった、昨日の記憶を整理してくれます。脳はゴチャゴチャ散らかっていると悲観的に、きちんと片付いていると楽観的に働きます。嫌なこと、今考えても仕方がないこと、嫌でも大切なことは、捨てずに、箱に蓋をして、見えないように保存してくれます。夜が明けます。光、空腹、新しい気分、つまり新しい一日が枕元に置かれています。みんな、すっきりした気分で目を覚まします。牛乳屋、新聞屋、郵便屋が届けてくれた、ミルクと新聞と手紙を味わいます。

18.  魔女のクリスマスツリー。

毎年11月、あちこちのバザーやボロ市、時には街角のゴミ集積場に出される、使い古しの、小さくて、安っぽい、クリスマスツリー。飾りも、しわしわの折り紙の人形などで、箱はあり合わせ、レジ袋のこともあります。ツリーを買いたくても買えなくて、よほど困って、しかたなく持って帰るお父さんのために、毎年登場します。それでも、子供にとっては、この世で一番美しい、初めて飾ったクリスマスツリーだ。親は、あまりの貧相さに、翌年、がんばって、新品を買って、用済みにして、バザーやゴミに出します。毎年毎年、百年以上も、たくさんの人がこのツリーのお世話になって、皆すぐ忘れるのです。でも、大人になって、クリスマスが近づくと、心の中で、光を取り戻してよみがえります。ワンマンで有名なNY市長が、中央公園に巨大なクリスマスツリーを建てたり、高層ビルの窓の明かりでツリーを演出させたりしたのも、昔もらったあのツリーの輝きを求めてのことなのでしょう。彼の心でそのツリーは、それほどまでに巨大化したのでしょう。今年は100年ぶりの大不況。世界中で、職を失った若い父親が、このツリーを持って、子の待つ家に向かっています。三日月の空から、All you need is love. 魔女の歌が聞こえてきます。

19.  魔女のアレルギー。

吾輩は、人間にいじめられすぎて、心はトラウマ、毛皮は虎猫になった。ある日、小さな庭に入ってバッタをいじめていると、ドアの隙間から、キャットフードの皿を持った白い手が、招いていた。空腹に耐え切れず、部屋に滑り込む。よほど嬉しかったのだろう、吾輩を見て、涙や鼻水まで流して、喜んでいる。吾輩の肖像を描いている。何日か通ったが、絵がほぼ完成して、emi-chanとサインを入れたころには、もう涙や鼻水の歓迎はなくなった。吾輩も、人間へのトラウマが消えて、毛皮の虎模様も消えた。ある日、訪問したのに、無視された。猫の町内会の集まりで話したら、「そうさ、人間は目で物を見ているから、模様が変わったら、誰だかわからないのさ」と眼鏡屋のブチが言った。「そうよ、餌も、脳で食べているから、偽装に騙されるのよ」と、レストランに居ついているサラが言った。「そうさ、パンだって、香りで食べているのさ」と、パン屋のパンが言った。「トラウマもアレルギーも、自分自身だから、仲良くするしかないのさ」と、医者の家のドクが偉そうに言った。

20.  魔女の芝刈り。

人間が、暇な日曜日に芝刈りで気晴らしをするように、魔女も時々芝刈りをします。爪痕を残すこともあります。去年、魔女カトリーナが刈ったのは、ニューオーリンズ全部。今もまだ、元に戻りません。人々はその爪跡を、Heritage of Bushとか、The Tragedy of Chrisと呼んでいます。

21.  魔女の眠り話。

この村の少女は、特別な誕生日に、魔女から魔法の粉をかけられます。その日から少女は輝き、子供から老人まで、男という男のまなざしを集めます。そして、ある年の特別な日に、魔法の雨に出会います。魔法の粉は、特別な男一人分だけ残して、流れてしまいます。そして、ある年の特別な日に、母になります。もう魔法の粉は光らず、子供を暖めるだけになります。子供が巣立ち、夫婦二人になります。魔法の粉は少し光を取り戻しますが、熾き火のようです。やがて一人になります。毎夜、じっと、熾き火を見つめます。真っ白な灰が、屋根に積もった雪のように、時々ふわりと崩れます。やがて、命とともにすべてが、灰になります。魔女が灰を集めに来ます。魔女はいつもこの村の女、一人一人を見守っています。この村の少女は、特別な誕生日に、魔女から魔法の粉をかけられます。その日から少女は輝き、子供から老人まで、男という男のまなざしを集め・・・。

22.  Desperate Housewives of the village.

今年のハロウィンは、地元婦人会で企画した、夫婦だけのパーテイーをするそうだ。妻が夫をエスコートするとのこと。タキシード着用だそうだ。私も、髪を整え、妻が、念入りにブラシを掛けてくれる。今夜は、艶が勝負だそうだ。会場に着くと、40組ほどの、ラフないでたちの妻たちが、着飾った夫を連れて待っている。興奮して、身を震わせたり、大声を出す若い夫もいる。妻たちは先に会場に入って待つ。時間が来て、夫たちが一人ずつ招きいれられる。中で待つのは妻たちだけ。みんないつになく興奮して、無遠慮なまなざしをかけてくる。あけすけな言葉も聞こえてくる。隣家の奥さんなんかは、近づいて来て、髪や首や、特にお尻の周りの筋肉の盛り上がりを、撫でまわし、足の間のものをぎゅっと掴んて、うっとりしている。「こんなすごいのは、日本ではなかなかお目にかかれないのよ」などと、笑いながら私の妻に言っている。私の妻も、誉められて、素直に嬉しそうにしている。向かいの家の、大柄な奥さんが、私の妻に、ちょっと乗せてもらってもいいかしらという。100kg以上はありそうだ。背後から首に太い腕を廻して、負ぶさってくる。背中から手が伸びてきて、あちこち撫でまわす。市場に出されているようだ、と思った瞬間、気が付いた。今日は、この村の、お祭り、馬の品評会。私は馬で、妻だと思っていたのは、魔女だったのだ。

23.  秋。魔女の家来の冬支度。

この秋の日曜日、不況や選挙で、教会の墓地には誰も来ない。枯れ芝に、落ち葉と小さな花がチラホラ。草むらで、蛙のケロとコオロギのコロが話をしています。 独立戦争、南北戦争、日本、朝鮮、ベトナム、アフガニスタン、イラク。だんだん戦いの間が短くなってきたな。ケロケロ。平和にするために戦って、平和を守るために戦って、結局ずっと戦って、人間から恐怖心が消えるまで終わらないね。コロコロ。人種差別も、無くならないな。ケロケロ。見せ掛けの体しか見えないからね。これは独立戦争で死んだ君の骨、あれはベトナムで死んだ僕の骨、そこらに埋まっている骨の色なんて、誰も気にしないのにね。コロコロ。今年も終りだな。その体、もう君には必要ないだろう。美味しいうちに戴いちゃっていいかな。空腹では冬眠できないからな。ケロケロ。どうぞ、どうぞ。来年はヘビになって、君を食べに来るよ。コロコロ。ありがとな。モグモグ。こうして、村人以外の生き物も、冬の支度をするのでした。

24.  秋。魔女のインフルエンザ。

魔女は、この時期、この村だけに生える、きのこが好きで、天日で干して、スープやピザに振り掛けます。干すと大量の胞子が舞い、村人が吸うと幻覚を起こし、何かを探さないではいられない気分になります。村人は、何を探したいのか分からないまま、冬眠前の熊のように、家中ウロウロ、あちこち塗ったり、修繕したり、不安な気分を紛らわします。犬たちは、飼い主が遊んでくれず、不機嫌。魔女の後をつけまわしたり、靴を森の中に隠したり、精一杯嫌がらせをします。教会の墓から吹く風は、木の葉を転がして、「外には何も無かったよ」、「幸福は探すものじゃないよ」などと囁いているようです。空気が乾いて、遠くが近くなる頃、この変な風邪も消え、村人は「ああ、今年も魔女がきのこを干したんだな」と気がつきます

25.  秋の魔女の馬牧場。

この村には、もう一つ、秋についての不思議な話があります。村はずれの、牧場とは名ばかりの草原に、小さな白い家があります。女主人がいて、農作業で疲れた村人の関節を、ポキポキ曲げる仕事です。あの魔女も時々来ます。4頭の馬を放し飼いにしています。みんな年老いて、背中の骨が下がっています。馬たちは、秋の空のような、悲しそうな目をしています。絶望しているような目の色です。馬の名前がとても変です。一番若いのがスターリン、あとの3頭も口にするのも嫌な名前ばかりです。その魔女が、ポキポキしに来るたびに、つけたらしいのです。なんで、馬たちは、そんな名前なのか、馬のスターリンは、あのスターリンとそれによって苦しんだ人々の記憶を一手に背負わせられているのか、それとも、目に秋の高い空が映っているだけなのか、名付けた魔女にしかわかりません。女主人は、万事大雑把で、全然気にしてません。退屈な秋を、もう少し我慢すると、冬が来て、楽しいクリスマス。みんなが冬に飽きた頃、魔女も交代です。

26.  この村には、昔から伝わる、こんな話があります。

「初めて黒人大統領が誕生した年の秋、西よりもっと西、東よりもっと東の果てから、白人よりも白い、子供のように小さな魔女がやって来て、村中の犬を手なづけてしまったので、その冬は、犬が吠えなくて、牛も馬も鹿もヤギもイノシシも、そしてお墓のご先祖も、心安らかに眠れたとさ。でも一番喜んだのは、犬に吠えられなくなったサンタクロースだったかな」という話です。秋が深まって、木の葉が色づき、冬の気配はするのに、クリスマスはまだ先という、1年で一番寂しい季節になって、村中の犬たちがなんとなくおとなしくなると、人々は「今年もまた、あの魔女が来たのだな」と思い、お墓の掃除や、大豆の収穫、干草のロールケーキなど、冬の支度を始めるのでした。

27.  夏の魔女。

日本の御茶ノ水の裏通りで、強い日差しの中を歩いてくる女性とすれ違いました。正面を向いて、急な坂を早足でした。満面に抑えきれない笑みを浮かべていました。彼女が来た方向に、とても良いことがあると思わせて、すれ違う人々に喜びのお裾分けをしているようでした。

28.  魔女の忘年会。

「年を取ると、だんだんやりきれない事が多くなって。今日はそんな気分の総決算。みなさん楽しく過ごしましょう。」「ミートローフを召し上がれ。」「京都はケチやから、こんなに厚く切って出しまへんで。このテーブルかて、木が厚すぎて、普通にしたら4卓もつくれるわ。」「あなた、みっともないこと、かんにんどっせ。」「今、江戸時代の小説を書いてるんだけど、さすがにミートローフを登場させるのはむずかしいな。」「あなたには無理でも、池波正太郎ならできるわよ。」こうして、森の宿の夜は、一触即発ながらも、楽しく更けていくのでした。

食事が一通り済んで、お話も一段落、社長の目配せで彼女の息子が「男性のみなさん、そろそろ本日のメインイベント、オオカミ男の時間ですよ。オオカミの尾根で満月がお待ちですよ」。「この良い香りのするマフラーして、いざ出発」。この宿の横を抜ける小道を登ると尾根に出ます。そこは昔オオカミが盛んに遠吠えをした場所で、オオカミの尾根と呼ばれています。満月の夜、そこで叫ぶと、オオカミ男の気分になって、パワーがつくということで、荒々しさを失いかけた男性には大変魅力的なイベントです。みんなうれしそうに出て行きました。

男たちが去った部屋で、改めて、女4人が食卓に着きます。社長が口を開きます。「さあ、これから本当の忘年会を始めましょう」。「みなさん、今年はどの犬がお気に召しましたか」。「うちは、やさしい○○にさせていただきまひょ」。「私は、元気な△△でいいわ」。「では支配人、男の人達には魂と体の結合が緩むようにたっぷりお酒を飲ませたし、犬たちは日ごろから沈香の香りのする人に跳び付いて嘗め回す様にしてあるし、息子から携帯で合図があり次第、すぐ○○と△△を放しておくれ」。ということで、まもなく合図の携帯が鳴り、支配人は2頭の犬を放ちました。犬たちは香りを追って一目散に尾根に向かう闇に消えました。

40億年前、やっと固まった地上のこの場所に、小さいけれど大変重要な隕石が衝突して、今も地下に埋もれています。地球のあらゆる生命の先祖になった、心を生み出す物質を運んできたのです。独自の進化を遂げ、今もこの地の犬たちの脳の嗅覚野の中で生き延びているのです。みなさんは、世界一の珊瑚礁グレートバリアリーフをご存知でしょう。1年に一度、満月の夜、一斉に小さな珊瑚色の丸い卵を、何兆個も放出するのです。このバクテリアの一種も1年に一度、満月の夜に犬の唾液とともに放出されますが、隕石から1km以上離れると、繁殖力を失います。人の脳には外敵の侵入を防ぐバリアがあるのですが、酒や沈香、そして極端な興奮状態が重なると、ゲートが開いてしまうのです。結果、バクテリアは、人が原始的な動物だった頃に形成された大脳辺縁系の一部に進入し、犬の性格をうつして消滅してしまうのです。犬の寿命は短くて、全ての時間と愛情を独占的に飼い主に奉げるのに、飼い主は長生きで多忙で、何分の一かの時間しかくれないし、次の犬が来たら忘れられてしまうので、自然が哀れんで生じた節理のひとつなのかもしれません。

1時間後、息子が男たちを連れて部屋へ戻ってくる。寒さと、味わった興奮の名残でぎこちなく、何だか魂と体がチグハグな感じがします。いやー大変な体験をさせてもらったよ。オオカミ男になりきって吠えていたら、暗闇から本物のオオカミが飛び掛かって来て、危うく顔から飲み込まれそうになってね。気を失いそうになったんだ。そしたら息子さんの、○○、△△と制止する声がして、ああ宿の犬だったのかと安心して力が抜けて、それからは顔中舐めまわされるまま茫然自失だったよ。

29.  魔女の就活。

車の前方に、短大生らしき女性が、スーツ姿で、キャリーバッグを引きながら、夕暮れの町を歩いていました。今年は就職氷河期とか。大変だなと思いながら追い抜くと、手にリボンの付いた白い箱を持っていました。ああ、今日はクリスマスだった。待っている家族がいるのだなと、少し気持ちが楽になりました。

30.  記憶の魔女。

7月に入って、毎朝小鳥の声に起こされます。5種類くらいの鳴き声がします。同じ小鳥が、いくつかの声を鳴きわけているような気もします。数日前までは、ヘイミスターかヘイ、ミステイク、スピーチかスピークなど、英語に聞こえました。これはヒヨドリだと思います。もっと前は、四十ガラが澄んだ声で叫んでいましたが、今はもう鳴き声を思い出せません。このところは、午前中に、イイエガカケルヨと聞こえる力強い声が混ざります。小鳥の声を死者の魂に例える話が在ります。英語の国から来た教師の魂なのだろうか。売れなかった絵師の魂なのでしょうか。聞こえた瞬間、言葉に変えることが出来た小鳥の声は、いつでも思い出せます。聞き捨てた声は思い出せません。昔の記憶は、こんな風に出来ているのでしょう。

31. 魔女の煙突。

新月の夜、6歳の子供が、この煙突を登ると、竜になって、大空を自由に飛びまわれるという伝説がある。ただ日の出とともに神通力は消え、落ちるとも言われている。落ちたあと少年はどうなるのか、そこまでは伝えられていない。きっと、挑戦した少年が、未だ一人もいないということなのだろう。