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日本薫香師協会。

1.自己紹介。

(1)                   明るいこと、にぎやかなことが好きだった。外側の何かから誉められたり、認められたり、注目されたかった。人がたくさんいて、みんな一緒に楽しそうに何かしている。きらびやかで、明るい場所。自分を注目してくれる、晴れがましい舞台に立ってみたかった。よく見れば、みんな同じ俳優で、自信の無さそうな素顔だった。観客も自分自身、光や安心や居心地の良さは幻想だった。終幕がもう間近、舞台の闇を見渡せば、家族と故人の思い出ばかりだ。もっと早く気がついたら良かったのにと思いながら、これを書いている。

(2)                   遠くからみんなを見守る星になる。香りで心を満たす香炉になる。魂のふる里、言霊の海に帰る。星になって、なにも思わず、ただ光っているだけ、というのが、理想だ。

 

2.薫香師という仕事について。

(1)                   香りを用いて、言霊がこの世とあの世と黄泉(よみ)の国を行き来する手伝いをする。

@    この世とは、生者の一人ひとりの感覚や感情の心が映し出す、具体的な世界。現在の現実となる。

A    あの世とは、生者の一人ひとりの言葉の心が作る言葉でできた世界。抽象的な世界。記憶の過去や願望の未来となる。

B    黄泉の国とは、あの世の一部で、言葉、つまり記憶になっている死者が居る場所。

1)  黄泉の国、つまりあの世とは、生者一人ひとりの言葉の心にある言葉、つまり記憶になっている死者がいる場所でもあり、人類としての記憶、つまり言霊の海でもある。

2)  死者はこの世、つまり生者の一人ひとりの感覚や感情の心が映し出す、具体的な現在の現実には来れない。次元が違う。

3)  生者の体や、感覚や感情の心は、黄泉の国、つまりあの世へは行けない。次元が違う。

4)  生者の言葉の心は、黄泉の国、つまりあの世へ行ける。

5)  言霊、つまり記憶になっている死者は、黄泉の国、つまりあの世から生者の言葉の心へ来ることができる。

(2)                   調香師と薫香師。

@    調香師とは、感覚や感情の心に癒しを与える香水を創作する技術者。

A    アロマ師とは、香りを用いて、感覚や感情の心に癒しを与える技術者。具体的な、現在の現実の中で仕事をする。

B    薫香師とは、香りを用いて、言葉の心に救いを与える技術者。香りを用いて、感覚や感情の心に癒しを与え、さらにその感覚や感情を言葉にして、抽象的な世界、つまり記憶の過去や願望の未来へ導く。

C    ヒトとしての活動の本質は、言葉で抽象的な世界をつくり、あたかも具体的な現在の現実であるかのように思わせて、自身や他者を操縦しようとする点にある。詐欺師とは、その結果、他人の身体や生命や財産に危害を及ぼした者をいい、法律で罰せられる。しかし法律では網を掛け尽くせない。政治や宗教、商取引の大部分が、自由の尊重という観点から、成人については、自己責任に委ねられている。この世のいざこざのすべてはここに発している。いつの時代も、現在の現実と、願望の未来を接続する言葉の心の能力が、ヒトとしての生きる力の要であり、その成長がその人の人生の価値を決めている。祖父が、子や孫に伝えるべき知恵だ。薫香師の仕事だ。

(3)                   この世とあの世。

@    この世とあの世は、一人の人間の中での、脳の働き方の違いだ。脳の働きを切り替えることで、見える世界も切り替わる。つまりそのたびにこの世とあの世という異次元をワープする。

A    この世とは感覚や感情の心が映し出す世界、あの世とは言葉の心が作る世界だ。

B    感覚や感情の心が映し出す世界は、他者とは共有できない。言葉の心が作るあの世は、他者と共有できる。さらに文字や絵や記憶となって時空を越えた他者とも共有できる。

C    感覚や感情の心に映る世界が実像で、言葉の心が作る世界は虚像だと思いがちだ。しかし、外界に真実が在るとしても、ヒトは感覚や感情の心では外界のすべてを把握することはできないし、現在の現実しか見ることが出来ない、つまり過去や未来は見えていないのだ。さらに自分自身も見えていないし、見えている情景の意味も見えていないのだ。外界は、そのままでは世界ではなく、自分とは異次元の虚無なのだ。こう思っている自分は、言葉の心が作り出している言葉の働きだ。だから自分と同じ次元にある言葉の世界が住処だ。しかし、感覚や感情の心でいる間は、感覚や感情の心に映る現在の現実が住処だ。そして感覚や感情の心でいることが多いので、感覚や感情の心に映る現在の現実が本当の世界つまりこの世で、言葉の心が作り出している世界は偽の世界つまりあの世のように思えてしまう。本当の自分はあの世に住んでいる。この世には、偽の自分である感覚や感情の心が住んでいる。だから、自分とって本当の世界はあの世で、この世は偽の世界だということになる。仏教で言う色即是空だ。

D   あの世とは、言霊の海の事だ。その一部が死者の国だ。なぜなら、言霊は、昔生きていた人々が、残したものだからだ。今生きている者は、その言霊によって自分になっているのだ。これまで生きて死んでいった人の数の方が、今生きている人数より圧倒的に多い。体は死んでも言霊として在り続けている。自分は言葉の心の働きだ。その観点から見れば、自分は、死者と共にいる部分の方が大きい。感覚や感情の心だけが現在の現実に居て、生きているのだ。その報いとして、感覚や感情の心にだけ、死がある。言霊には死が無い。という意味で、言葉の心にも死は無い。言葉の心に目覚めた人は、言霊と共にいる。言霊は死者からの贈り物だ。という意味で、言葉の心に目覚めた人は、死者と共に居るのだ。

E    異次元の空間。物理学では、ブラックホールの中心は、高密度の一点とされる。天文学では、ブラックホールは徐々に蒸発している。つまり発熱している。つまり中で運動が起こっている。高密度の一点なのに、中で運動が起こっているという矛盾を説明するために、異次元という考え方が生まれた。この一点は織物状で、織り目の中に異次元の空間が在って、その中で運動が生じているということだ。量子には不思議な性質がある。何らかの方法で関係付けられた量子を引き離すと、距離に関係なく、一方に与えた情報が、瞬時に他方に伝わるということだ。これも時空を超える異次元のつながりを示す現象だと考えられている。(WIQ)

F    体や、感覚や感情の心、つまり動物としての自身が行くのは、虚無の世界だ。本当の自分、つまりヒトとしての自分が行くのは、黄泉の国、つまりあの世だ。

 

3.事業計画。

(1)                   設立の経緯。

@    じいちゃんの風船が割れた日から、毎夜、じいちゃんが、僕の夢の中に来るようになった。

A    或る日の夢はこんな風に始まった。寝床に入って、暗い天井を見ているうちに、木目が浮き上がってきて、体が寝床ごと吸い込まれる。寝ている布団が空飛ぶベッドになって、空中を自在に飛びまわる夢が気に入っていたからだ。その先はトンネルだ。細かい模様や、チラチラする光も、かすかな音も、香りも、風もだんだん薄れていく。言葉の世界の幕が上がる。海の上だ。布団が船になっている。操舵室には、既にじいちゃんがいる。昨日までの旅のことを思い出して、航海日誌で確認する。次の島のアナウンスが流れる。ここは言霊の海。夜の海を航海する。日の出前に、部屋の寝床に戻って、寝ている。言霊の海のことは、すっかり忘れている。ただ、自分や世界や時間が、寝る前より、はっきりしたように思えて、勇気と元気が満ちている感じがする。

B    お寺の改築の時に貰った古い材木で、じいちゃんが作った縁台がある。軒先の庭に置いて、じいちゃんといろんな話をした。僕のお気に入りの話がある。この材木は、お寺の床材で、千年間、仏像の足元を支え続けてきた。仏像を支える仕事から解放されて、千年分のエネルギーが溜まっているので、現在の現実を越えてしまうという、超能力を持つようになった。じいちゃんの言葉の心を乗せて、自由に空間や時間を行き来出来る。という話だ。そこで、別の日の夢はこんな風に始まった。

C    僕はじいちゃんと、団体を作ることにした。じいちゃんの提案は、日本薫香師協会だ。じいちゃんは、「わしは何でも大げさが好きなのさ」と笑いながら言った。どんな仕事を誰のためにするか一緒に考えた。以下の通りだ。

(2)                   事業成功のポイント。

@   言葉の心の超能力を活用する。

1)   言葉の心とは、実現を予告するただの預言者ではなく、願望の未来を作り出し、勇気を湧かせて挑戦し、苦痛や苦悩を我慢し、努力する、実行者のことだ。願望の未来と現在の現実は、互いに異次元に在る。結果として、願望が実現するかどうかは関係ないことだ。

2)   感覚や感情の心が映す現在の現実は、見えたと思ったらすぐに消えてしまう。感覚や感情を言葉に変えて、保存したり再生したりする、言葉の心の力を活用する。

3)   世界を自在に作り出し、変える事が出来る力を活用する。ただしこれは、現在の現実として作り出し、変えるのではなく、言葉として作り出し、変えるのだ。

4)   過去や未来を自在に行き来できる力を活用する。

5)   昼間、感覚の太陽が明るく照らし、感情の花が咲き乱れ、現在の現実を唯一の世界と信じて舞っていたチョウ達にも、夕暮れが近づいてきた。蝶にはもう朝は来ない。夜には夜の花が咲く。色や形は地味だが、香りが強く、濃い蜜を満たした蛾のための花だ。さあ、本番だ。蝶が蛾に入れ替わるように、感覚や感情の心を言葉の心に切り替えて、言霊のための花を求めて、闇の中へ飛び立とう。

6)   老齢期の迎え方。衰えるままに、萎んでいくのでなく、虫が羽化して蝶やトンボになって、まったく新しい次元で生きるように、体から自由になるのだ。心の世界で生きるには、体のしがらみから自由にならねばならない。蝶やトンボが幼虫時代の重たい体液を全部捨てて飛び立つように。せっかくトンボになったのに、ヤゴだった自分を手放せない、水中生活を捨てきれない。人は還暦になったら、羽化したのだと思い、体の変化を受け入れて、心も新しい世界に適応しなければならない。毛虫が蝶になったのに、蝶の姿が醜く思える、花の蜜が葉っぱよりまずく思える、地上の生活が空中よりよく思える、のでは不幸だ。自分は必ず死ぬ存在で、死ぬのは設計通りの完成だと知ると、心の世界に身をまかせやすくなる。

7)  Yesterdayを聴きながら。若い頃は早く歳をとりたかった。早く成熟したかった。この歳になって、ふと戸惑う。身体は老いても、心はそのまま、何も変わらない。若い頃は年長者を尊敬していた。それが自分の世界観にも安心だったから。今自分がそうなってみると、心と体のゆがみに負けそうになる。この先は、暗闇であるかのように思えて、戻れない道を戻りたくなる。

(3)                   市場分析。

@    祖父という名の私と、孫という名の私の出会い。昔の私と未来の私の出会い。黄泉の国、つまりあの世、つまり言霊の海は、そんな感じになっている。

A    仏教は生きようとする勇気や気力を得る為の、とても役に立つノウハウだ。しかし、坊さんの、仏教を振り回す言葉は、敬遠されてしまう。仏教の中を流れている考えは好きだが、「仏教」は嫌いだ。2千年間、進化を怠った言葉の化石だ。ある時点で作られた言葉は、その時点の一部なので、日々進化させなければ、使途が消えた古道具になる。宗教となると、一切の進化が止まってしまうのはなぜだろう。教祖とか教団、教義が、進化を受け付けないのだろう。その方が、運営が楽だし、権威も安定し、信者の維持にも便利という世俗的な方便の方が大きいのだろう。

 

4.協会概要。

(1)                   会長挨拶。

@    この夏も、お盆が終わり、日本のあちこちの玄関や駅やバス停で、遠くへ帰る子や孫を、これが永久の別れと思いつつ、黙って見送っている。人は、順繰りに新陳代謝をしていくのだ。別れが近づく夫婦。見送る方は病室の窓から黙って外を眺めている。その時、欲望の輝きは衰え、世界は水底から見上げるように青く揺れる感じがする。この世の海のあちこちで、漂流物や水平線や蜃気楼に欲を駆られてさまよった。そろそろ心の港に碇を降ろそう。子供の頃の忘れ物が、物置からそのまま出てきたようで、わくわくする。幼いおまえに語りかけるつもりで、一つずつ片づけていこう。

A    半生の記、もうこれだけしかない、まだこんなにある。太陽の運行から計った暦が消えて、いつしか、脳内時計のようなものが私の命の時を刻み始める。

B    わが失敗の積み重ねを、わが後悔とともに、ここに記す。やっとルールがわかってこれから頑張ろうと思ったら、もう引き継ぎマニュアルを書く時だ。

C   沈まぬように、水中であがいている脚。ワシや鷹が来ないか、せわしない目、餌をあさるクチバシ。偏西風にのって、生き物がまったくいないヒマラアの高空を飛んでいる時、来し方、行く末を考える。月夜、静かな湖面で、1日の旅と体の疲れを思いながら、ウトウトと浮かんでいる。いっそ、アヒルになろうか。居ついた白鳥は醜いアヒルだ。冬とともに来て、春とともに消える、雪のような鳥、白鳥でいよう。

D   いくら生きしても安住の地を見出せないこの世、つまり現在の現実を離れて、あの世、つまり記憶の過去や願望の未来を作ろう。子作り、子育ての喜びはもう無く、労働力でもない。体の衰えは知恵や気力で補えるが、愛してくれる人は減るばかり。風呂の水が冷めるように、周りがどんどん寂しくなっていく。愛されて生まれたのに、疎まれて死ぬことになる。最後の脱皮だ。

E    現在の現実とは別にある何かを知り、そこに自分や世界や時間を作る。そこでは、体の生死は関係ない。親しかった死者も、自分とともに在り続け、言葉や絵や記憶、つまり言霊になれば、言霊の海で、体の垣根を越えて、旅を続けられる。薫香師になる。和香会でそのことを学ぶ。一人ひとり、別々にあの世を構築する。重なる部分は共通のあの世になる。異なる部分は尊重し合う。

(2)                   事業内容。

@    物でなく情報を発信する。癒やしでなく救いの情報を発信する。政治や経済や宗教にはかかわらない。メインは、哲学や文学だ。トレードマークは百万象。Millions of elephantsだ。以下はその具体例だ。

A    言霊のガソリンスタンド。

1)        僕は空っぽの風船だ。これから言葉の空気を入れて大きくしなければならない。じいちゃんはしなびかけた風船だ。せっかく溜まった言葉の空気が漏れて、忘れてしまったことが多い。じいちゃんは漏れた言葉の空気を探しに行く旅だ。僕は新しい空気を吸い込んで、自分を膨らませる旅だ。途中で、じいちゃんの風船が割れて、残った空気は大気に戻ってしまった。でも一部は僕の風船に入っている。おじいちゃんはもと来た言霊の海に帰って、大きなひとつに混ざってしまった。晴れた日の夕焼けを見ると、うれしそうな笑顔が見える気がする。

2)        空気を入れるスタンドは12か所ある。言霊の海参照。

B    あの世旅行社。

1)        お迎えサービス。

a       お迎えのバス。毎年、お盆近くの、寝苦しい熱帯夜、深川の名もない堀に掛る、名も無い橋のたもとに、立派な観光バスが待っている。天寿を全うした老若男女が、旅支度をして、スーツケースを引っ張って、三々五々、集まってくる。これで最後の人という頃、出発する。真夏と真冬、念に2回だけの特別なお迎えだ。

b       ガードレールの足元に、しおれた、埃のまみれのユリの花束が置かれている。タイヤ痕が生々しい。タイヤの先は、飛行機が離陸したように路肩に消えている。翼が有る何かに乗り換えたのだ。

c       天井に象の目のような節がある。見つめて眠ると、幼いころに手に入れた、勇気の象徴である百万象が現れて、旅が始まった。

d       郊外の、西向きの丘の上に、老人ホームと総合病院が並んで建っている。病院の玄関の前は車止めのロータリーになっていて、木が茂って奥は見えない。門の前は横断歩道で、渡るとバス停がある。バス停には、西の空とはるかな丹沢山塊を背にしたベンチが置かれている。その前を、毎日、車で通る。朝の通勤時間が過ぎて人通りが途絶える頃だ。夜勤を終えた看護師さんや、徹夜の看病に疲れて帰る人々が、信号を渡ってバス停に向かっていく。それも途絶えた頃、正装をした老婦人や老紳士がベンチに腰掛けてバスを待っている。そんな姿を結構頻繁に見かける。決まって、天気の良い、人通りが途絶えた、穏やかな昼下がりや、西の空が夕焼けに染まる頃が多い。立っているのは見たことが無い。迎えのバスが来るところも見たことが無い。

2)        お見送りサービス。

a    駅のプラットホームでの記憶はないが、いつの間にか電車に乗っていた。郊外の田園風景を、都会の屋並みを、電車が通っている。三々五々という感じで座席に座っている。グループもいれば、一人もいる。駅に着くたびに乗り降りがある。グループだった人も下りる時には一人だけだ。喜んで下りる人もいる。眠ったまま運ばれていく人もいる。降りるのを嫌がる人は車掌が来て引き降ろされている。そう言えば、途中で飛び降りた人もいた。乗り込んでくる人は、ここがどこか分からない風だった。駅に着くたびに繰り返される。誰にも、自分が降りることになる駅は知らない。刑の執行を当日の朝知る囚人のようだ。しかしそんな事は忘れ、車窓を楽しみ、駅弁を食い、話に興じている。みんな他人ごとだったが、だんだん状況が分かるにつれて、言葉が少なくなる。どんな駅だろうか、駅を降りてからどうすればいいのか心配になってくる。車内販売から酒を買ったり、ゲームをしたりして気を紛らわしている。

3)        自分探しのツアーガイド。

a       歳をとると、何かを失った感じが強くなる。思い出せば、子供の頃だって、思春期の頃だって、サラリーマンになってからはひとしお、日々何かを失って行く恐怖が強かった。何を失うと思っていたのだろう。外の世界では、自分は川のように流れ、留まれない。自分は欲望そのもので、満たしても満たさなくても、頼りなく消えていくものだ。よく考えれば、失うものは無かったし、変わるものも無かったのだ。言葉で、自分や世界や時間を作っておけば、自然にそのことが分かる。自分が外にいると思うから悩むのだ。

b       夢の話だ。「出張でロンドンに来ていた。半日空いたので、蝋人形館へ行った。人形の悲しそうな、作り笑顔などを見ていた。祖父にそっくりな顔もあった。30年ぶりだ。悲しそうな顔をしていた。その夜、ホテルで夢を見た。祖父が現れた。小さい頃の自分も現れる。二人でなにやら話している。もっと大きな本物の蝋人形館のことを話している。祖父はそこで人形になって固まっている。ロンドンはその入り口の一つにすぎない。そこの人形達は、そこで固まって、そこが世界のすべてだと思わされている。本物の世界は別にあるのに。捕らえられている人形達は、12の鎖に縛られている。その一つ一つを、生きているうちに解かねばならなかったのだが、普通の人間ではその一部を解くのがやっとだ。それでは、そこは誰がつくったのか。どこにあるのか。どうしたら、つかまっているじいちゃんを救出できるのか。救出された人はどうなるのか。ぼくは、どうすれば、生きているうちに、12の鎖の全部を解くことができるのか」。目が覚めてわかったことは、世界は一人に一つずつあること。蝋人形館もその一つずつの中に一つずつあること。これまで、見えて生きていると思っていたこの世界が、蝋人形館だったことに気がついた。

c       最近よく自分を失った男のことを考える。幼いころ、父が本を買ってきてくれた。「影を売った男」という名だ。その物語の主人公が自分の事のように思えて、忘れられない。自分は生まれてきた時に、あの世に影を置き忘れてきた。この世で影を取り返す旅をしている。影とは言葉の心の働きである自分のことだ。西へ伸びる道を、夕日を見ながら、朝日を求めて歩く。東へ伸びる道を、朝日を見ながら、夕日を求めて歩く。地球は丸いので、二人は出会う。朝日も夕日も同じものだと知らせあうことができない。感覚や感情の心からの自由を求める旅の話だ。

d       浦島太郎になって夢旅行。目が覚めて、ここがどこだか分からない。いたはずの妻や息子がいない。 仕方がないので銀座の会社に行く。誰もいない。守衛さんが教えてくれる。私は、おととし定年になって、人事課で玉手箱を貰って、家に帰って、箱を開けて、それから時々、天気がいい日に、こうして会社に来るようになったということだ。騒がせてすまないというと、守衛さんは、他にも同じ人がたくさんいるので、気にせず、来て下さいという。仕方がないので、電車に乗って、父母と暮らした町へ向かう。育った団地は、父が愛した花壇もろとも無くなっていた。側溝の雑草に小さなシジミ蝶が飛んでいる。こおろぎの声もする。人の都合に合わせて在ったものは消え、勝手に在ったものだけが残っている。日が暮れて、寒くなってきた。仕方がないので、電車に乗って帰ることにする。券売機の前で、どこへ帰ったらいいかわからない。どうして昔は帰ることができたのか不思議に思う。一番安い切符を買って、ホームへ上がると、丹沢のほうに夕焼けと富士山。こればかりは変わっていない。来た電車に乗る。だんだん暗くなっていく故郷を眺める。ガラスに映った自分の顔を眺める。携帯電話が鳴る。妻の声がする。頭が昔のようにしゃきっとなる。息子がこの先の駅で待っているとのこと。私がいなくなった日は、いつもこのコースなのだそうだ。 今日は一日、お腹が空かない。喉も渇かない。疲れもしない。浦島太郎のようだなと思う。めでたしめでたしと思う。

e       遠く、前方に石か泥か、廃墟が見えてくる。周りは砂漠になっている。昔、黄金とか権力が溜まっていた場所だそうだ。砂嵐は、そんなところに惹きつけられて襲ってくる。すべてが持ち去られ、残るのは、奪われた者の墓と城郭の廃墟だ。周りの自然は、欲望の対象にならないので、そのままだ。貧しい人々の暮らしもそのままだ。ここで、富や権力に関わった者達の墓場だけが、白く光っている。紙芝居のおじいさんと、数人の貧しい身なりの子供達がいる。鼻水と水あめが、顔や手にテカテカしている。ああ、あの時の自分だなと思いながら、列車は脇を巻いて遠ざかっていく。

C    郵便配達。

1)     あの世へのポストマンとして配属された。一番幸福な時間を配達する仕事だ。前任者から引き継ぐ。前任者はそこの村の一員になる。しばらくするといきさつを忘れる。父の見舞いに行く。毎年記念写真をとる。昔の写真。卒業生だ。祖父母も父母も写っている。いつか子供とポストマンを交代する日まで。

2)     母方の祖父からの依頼だ。日本最後の戦争の戦闘機乗りの生き残りだった。戦友たちに届ける手紙の仕事だ。退役して30年余り、二人目の妻も身罷って、海辺の老人ホームで10年、一人で石に文字を刻んだり、海に沈む夕日を見送る日々を過ごした。卒寿の祝いをされて1年後、ベッドの角に頭をぶつけ、入院してから老衰の急な下り坂だ。もう退院は無理だろう。ここが何処だか定かでないし、寝てる合間に点滴や採血で看護士に起こされてこの世に戻るという具合だ。もう針を刺されても自分の体という感じがない。最近は車椅子どころかベッドで身を起こすことも難しい。そんな祖父が書いた手紙は次の通りだ。「寝ていると白い雲の上をヒコウキ雲を引きながら飛んでいるようで、なんとも言えないいい気分だ。シーンとしている。聞こえるのはエンジンの爆音だ。耳鳴りのように聞こえてくる。心臓の鼓動かもしれない。友軍の機影も、とっくに散り散りで、まだ飛んでいるのは自分だけだ。後部座席に部下が乗っていたはずだが居ない。上は永遠の蒼穹、下は綿畑のような雲の海、地平にはこちらを見ている雲の峰。どれも知った顔になって微笑んでいる。お世話のなった、迷惑をかけた、お詫びもお礼もできないままで申し訳ないという気持が溢れてくる。眩い太陽が照らしてくる。みんなが見守ってくれて、孤独なんて嘘のようだ。耳元で、幼い頃聞きなれたヒバリの声がする。こんな高い所まで上がるのかと思う。子供の声になる。目を開けると空の代わりに病室の天井、雲の代わりのベッドの上だ。娘が、孫夫婦やひ孫を連れて笑っている。笑顔は作れるが話す力が出ない。うなづいたり笑い返しているうちに眠くなる。高射砲が茶色い花火を打ち上げる。後続の爆撃機が振り撒く爆弾が雲の畑に吸い込まれていく。雲の下で暮らす孫たちのことを思う。戦争はもう嫌だなと思う。駆け足をしている足音と掛け声に混ざって、オーイと呼ぶ声がする」。

3)     昔から、墓石に布団を掛けてももう遅いと言われる。最近、墓に携帯電話をONにして、置く話を聞いた。みんな本気なのだ。

4)     体を失った言霊たちの願望の未来を、この世に持ち帰り、この世のだれかに引き継ぐ仕事。言葉の心の働きを捨てた自殺者の言葉は、消えて残らないので、この世に持ち帰れることもない。

5)     写真館物語。写真に映っているのは、本当は過去なのだ。しかし、見る側の気持ちで、現在の現実に見える。時には願望の未来に見える事もある。記憶の中では、過去の出来事はみな、快くなっている。なぜか。心が前向きになって、生きようとする力が増すように、脳が作り変えているからだ。過去の記憶には、欲望が関与しない。いつでも何でも受け入れてくれる母親が待って居るようだ。居心地がいい。老いた母が、昔を美化して話す。実際の記憶がそのように置き換わっている。幸せな一生だったように仕上がっていく。こうやって幸福な人生を作り上げていくのだというお手本を見せてもらった。幸福だった人生とは、他人に見えているようなものでなく、自分の心の中に作るものなのだ。

6)     昔の写真。この小鳥も、魚も、木も、人物も、風景も、撮影者すらもうない。それにしても鮮やかに残したものだ。この写真もいつか被写体と同じように、風化してしまうだろう。この写真を写すことで、作者はどのように報われたか。生活の糧、無聊の慰め、永遠の刻みを残したという幻想。見知らぬ未来への伝達本能。私は今その恩恵を受けている。

D    あの世の登記事務所。

1)     胡蝶の夢。俗名、生年月日、儚年月日、青春時代の写真、思い出(家族、あの日、あの場所、あの人、あの出来事、あの言葉)、おすすめ(気持ち、暮らし、本、菓子、料理、音楽、映画、芝居、旅、スポーツ、趣味)。

2)     終生の記、作成のためのHPSNS.

a       電子情報になった言葉が、SNSの言霊の国の扉を越える。

b       世界初の本。作者が体を越えて引き継がれ、追加、修正が続く。蟻の地下世界のように、それぞれの部屋が細いトンネルでつながり、果てしなく広がっている。小部屋の一つ一つが、香席「和香会」になっている。クリアして進み続ける。

E    引越事業。

1)        送りの片道だけ。この世では葬儀屋という。

2)        昨夜は、同級生の通夜でした。斎場で、ほろ酔いで見た、桜の木。「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」(西行法師)。満月とまではいきませんが、桜が満開。これでご破算、うまくやったね。サイタ サイタ サクラガ サイタ。サイタ サクラハ 散る桜。散る桜 残る桜も 散る桜今は箱 明日は小箱に 花吹雪

3)        父の葬儀を思い出す。お別れは、病床で、看護や見舞いで、数ヶ月やった。死後の体は、本当はもう空(くう)なのだと思いながらも、割り切れなかった。何かしなければならないという強迫観念と、葬儀社の商魂にあおられた。葬儀騒ぎは、冷静になった今、まったく余計だった。家族の心身を消耗させただけだった。お別れは、家族だけで、生きているうちにする。死んだ体と儀式をさせても無意味だし、冒涜だ。そっと始末するのがよい。盛大な葬儀は、社会関係調整のセレモニーだ。堅気の一般人には無用だ。みんなの心に、そのまま居続ければよいのだ。役所ではないから、死亡通知など不要だ。現実の接触が必要になった時に「ああ死んだのか」と知ればよいのだ。

4)        本人も家族も、感覚や感情の心では、まさか死ぬとは思っていない。一縷の望みで見守っている。医師や看護士はすでに死の準備に入っているが、おくびにも出さない。言いにくいことは計器が代弁してくれる。発車時刻が来て医師や看護士が駆けつけ、脈や瞳孔を診て、ご臨終ですと言う。心が消え、体も冷めていく。言葉は変わらない。看護士が体の支度を整えて、顔に布を掛け、葬儀屋の台車に移してくれる。遺族は、感覚や感情が映すまま、遺体を本人だと思っている。法律の定めにより24時間以上どこかに保管する。野辺送りや荼毘の儀式を通して、遺体への執着が薄れる。消しきれない執着は遺骨とともに墓に埋める。みんなこれが事実のすべてだと思い込んでいる。しかし一方で、どこかおかしいとも気付いている。その人には、体だけでなく、心があったはずだ。心は何処へ行ったのだろうと思う。でも心が体を離れてフワフワ漂っているとも思えない。心は体とともに死んで消えてしまったのだろうか。

5)        死ぬと、生気が失せて、木が枯れていくように干乾びていく。木彫りの仏像のような感じだ。あらゆる欲が消えている。立っているか、寝かせられているかの違いだ。両方とも、生きている人間の形をしているところは同じだ。

6)        客から、{医者にもうそろそろ今日あたりと言われた}と電話があって、下のロビーで待機。隣の席に、金縁めがねで、古風なスーツ姿の、誰かを待っている若い男がいる。着物姿の美人が降りてくる。銀座のママさんがお客の見舞いに来たのかな。会釈される。ドギマギする。男の方にまっすぐ近寄り、言葉を交わして、一緒に出て行く。モボとモガ。同時に、客が降りてきて、今、母親が亡くなったと知らせる。振り向くと二人は消えている。次の日の夕方、通夜の準備。故人の希望で若い時の写真にしたいとのこと。遺影にする写真を受け取る。結婚前に、父と写した写真です。母親だけを引き伸ばして使って欲しいとのこと。昨日、会釈してくれた美人だった。横に金縁めがねの男も写っている。死ぬ時、望む姿で、望む人に出迎えてもらえるのだと思う。あの会釈も、葬儀万端よろしく頼むという事務的な意味だったのかと、理解する。

7)        車に乗っている。暗い路地から、広く明るい大通りに顔を出したところで一時停止する。ああ今日は客として乗っていたのだと思う。いつも、このように自分が運転して、人を乗せていたのに、今日は乗せてもらっていたのだ。昔のお客のことを思い出す。みんなニコニコ微笑むだけで口はきかない。こちらも何も尋ねない。それでも何処かに向かい送っている。あの車も寿命が来て、とっくに車屋さんに返してきたんだっけ。今は、やはり自分もニコニコして、迎えの車に乗り込んで、どこかへ送られていくところだったのだ。

F    お詫び代行事業。弁護士。

1)        この世の人の、過去の人への感情の清算。

2)        車での帰路、夜道を狸が横切った。避けたが尻尾を轢いた小さな振動があった。振り返ったが、居なかった。その後その場所を通過するたびに、心の中に異世界が生じる。交通検問の明かりが行く手をさえぎったり、小さな明かりが、林の奥を、並走したりする。

3)     「子供のころ言えなかったこと」。おじいちゃん、おばあちゃんありがとう。お礼がいえなくてごめんね。

4)     この世とあの世にまたがった宿題を、抱えてしまった人々。この世の人があの世に作った宿題の片づけ、あの世の人がこの世に残した宿題の片づけ。感情の心の苦悩を言葉にできないまま、この世を去ってしまった人。心の重荷を背負わせたまま、あの世に行かれてしまったこの世の人。

G    言霊探偵事務所。

1)     感覚や感情の心が起こす幽霊を言葉の力で解決する。

2)     未来が現在の現実を妨げる事件。過去に生じた感覚や感情が言葉にできずに過去に埋もれている。感覚や感情として、時間の無い世界を漂って、時々、現在の現実によみがえって事件を引き起こす。願望が感覚や感情のまま現在の現実に紛れ込んで、時々、現在の現実によみがえって事件を引き起こす。

H    リサイクルショップ。

1)        古書店。

a       昔のヒトと和香会。和歌の謎解き。

b       物語。

(ア) 銀河鉄道。いろいろな駅に止まる。別冊参照。

(イ)桃太郎伝説。夕べからトシちゃんとママが熱を出して、大変でした。朝何とか起きて、山梨の桃園にカブトムシと桃を採りに行きました。高速道路を降りると、四方を山で囲まれた盆地で、一面に桃やブドウの畑が広がっていて、広い道をしばらく行くと、右に赤い大きな鳥居がそびえていました。道路を降りて、車ごと鳥居をくぐり村の小道に入ります。正面は大きな神社の正門で、そこで村の神様に挨拶をして、村の中へ進みます。着いたのは大きな欅と土蔵のある家でした。木にはトトロの妹のとろろが宿っているとのことでした。庭に年老いた犬がいます。倉には石になったサルの神様が祀られていました。桃畑には年老いたキジがいるそうです。おじいさんが笑って言いました。ここは桃太郎軍団の老人ホームだ。さっそく、小さなトラックの荷台に乗せてもらい、畑へ行きました。普通の桃とこうもりの桃がたくさん成っていました。たくさんのカナブンと少しのカブトムシがいました。戻って、桃をむいて食べました。桃太郎のおじいさんにさよならをして山奥の温泉に行きました。谷川に面したお風呂に浸かって、さっぱりしてから、家に向かいました。大変な渋滞で、6時間以上かかりました。トシちゃんは、前半は最高の一日だったのに、「今日は最低の一日だった」と言いながら眠ってしまいました。子供には、一日をいい部分といやな部分に分けることが無理なんだなと思いました。今日、保育園で桃太郎のお話を聞いてきたよ。先生は桃太郎を良い人だと言ったけど、僕は悪い人とだと思うよ。桃太郎が悪い人で鬼は犠牲者だと思うよ。じいちゃんの話はこうです。桃太郎が自分の心の中の悪を退治した、精神修養のお話かもしれないね。鬼は何で鬼と呼ばれるの。人は目や耳や鼻で、どこかの何かが自分と違うと、相手を鬼だと思ってしまうのだよ。じゃあ、おじいちゃんは僕を鬼だと思っているの。おじいちゃんはおまえを心で見ているから、そうは思わないよ。桃太郎が宝を持って帰還した。目出度し目出度しで終わらなかった。桃太郎の頭に角が生え、おじいさんもおばあさんも、犬やサルやキジにも角が生えて、桃太郎の家が鬼が島になった。遠くの国に住む第二の桃太郎が軍勢を連れて、第二の物語が始まった。桃太郎はこの世の地獄の始まりの物語だったのだ。
(ウ)注文の多い湯屋。番台は宮沢賢治。山猫の着ぐるみ。脱衣場。鏡を見る。たくさんの浴槽。別々の薬湯。幸福の湯。時間の湯。砂漠の湯。→と高札。寒さと足の裏の痛み。湯の香り。湯気の視覚的な温もり。近づいていく喜び。最後の障害。かけ湯と体操、さんざんじらされて、最後の高札。本当はここまでが幸福なのです。この中に入ると、幸福は消えてしまいます。よろしければどうぞ。入る。気持ちがいい。しばらくすると、熱くるしくなってきた感じがして、出る。涼しくて気持ちがいい。しばらくすると寒くなってきて、入る。何度か繰り返すうちに、喜びも薄くなり、心細くなってくる。

2)     持ち主が死んで、プライバシーが消えて、引き継がれるごとに、代々の持ち主の言霊が蓄積するパソコン。時間と共に、本当の意味での性能が向上する

a       マンションの管理人をしていた頃の話だ。女性が小学生の男の子に付き添われて、外出するのを見かけた。日に日に瘠せていくのが痛々しかったが、目が合うと笑顔で挨拶をしてくれた。暑い日が続いたころ、外出もなくなり、どうも家にも居ないようだ。男の子が最新のパソコンを管理人室に持ってきて、母が良ければ使って下さいと言っていたので、と言って置いていった。以前立ち話で、掲示物をパソコンで作るのに、旧式で困っていると話したのを覚えていてくれたのだ。お母さんのことについては何も話さなかった。翌月、ゴミ置き場に、たくさんの生花や供物籠、本や雑誌が出ていた。今そのパソコンでこの文章を書いている。持ち主の名前は変えずに元のままにしてある。気のせいか、行き詰ると、自分とは思えない良いアイデアが湧いたり、眠くていい加減に打っていると、翌日、良い文章になっていることが多かった。書きたかったこと、息子に伝えたかったことがあるのだろう。

I    和香会のケータリングサービス。

1)        老人ホームの和香会。夏祭り。

2)        公園の和香会。

a       公園で不思議な友達と遊ぶ。賽ノ公園。僕はどうしてここに居るのだろうと思う。不思議な子供と遊ぶ。遊ぶうちに、会話の中で、その子が僕や家族の事をよく知っていることに気づく。逆に僕は彼の事は何も知らない。何となく、この子は僕の祖父なんだなと思う。その子も、自分の孫かもしれないと思ったようだ。言霊の海では、時空が無いので、互いにそのように見えるのだ。幼くて聞けなかったこと、思うだけで書き遺さなかったことなどだ。この公園は、体がいるこの世ではなく、言霊がいるあの世、言霊の海だったのだ。だからこういうことも起きるのだ。公園の奥の木陰の石に座って見渡している。小川が流れ下っていて、その岸辺にシートが敷いてある。水曜なので、母子ばかりがいる。若い頃の母と幼い頃の自分のように思える。タイムマシンの旅行者が、自分に出会うと世界が崩壊してしまうという物語を思い出した。時間の壁の向こうの、異次元を見ているようだ。後ろの茂みから「デデッポデッポー」という山鳩の声がする。セミの合唱が、永遠の現在の現実を響かせ。草や木は真夏の太陽を反射して、命の息吹を充満させている。ここには王禅寺という名の、奈良時代から続く大きな寺が在ったそうだ。この広場は、昔は境内で、修行僧たちもこんな時間を過ごしていたのかしらと思って居ると、一陣の風が吹き抜けた。千年前の世界が吹き寄せた感じがした。あちこちの木陰に修行者が座っている気配がした。千年前の過去が現在の現実によみがえった感じだ。

b       河原で石を拾うのが楽しみだった。色々な形や色や模様がある。ある日それらが語り始めた。最初に話したのは地蔵の姿をした石だった。物語の始まり。ここは昔、この地方の賽の河原と呼ばれていたのだよ。・・・

c       大きなイチョウの樹がある。向こうに病院のビルが見える。各階に非常口があって、黒い鉄骨の踊り場と螺旋階段が、外壁に張り付いている。所々の階で、白い服の人がこちらを眺めたり、喫煙したりしている。正午をすぎると、下から日陰が満ちてきて、階段には誰もいなくなくなる。母が入院中だ。昼間、弁当持参で見舞いに行く。母は給食で済ましている。一緒に屋上に出る。母の足取りはゆっくりフワフワ、雲の階段を昇っているようだ。一人で弁当を開く。母は、弁当を作ってやれなくてすまないとしきりに詫びる。私が黙々と食べるのをじっと見ている。うちの家系は太らなければ長生きするよと、短命だった祖父の話をする。太りすぎの私に、今ちょうどいいからこれ以上太らぬように注意しろとも言う。来るたびに同じことを聞かされる。病院のICUには新生児用と成人用がある。わが子を訪ねる若い母親が、入口で手を洗っている。皮がむけそうになるくらい丁寧に洗っている。成人用を見舞う家族達も同じだ。ICUはこの世とあの世のがけっぷち。死ぬことばかり気にしていたが、生まれてくるのも結構大変だったのだと思う。

d       公園の手品師「公園の手品師」という歌が好きだ。イチョウの老木の、葉の色を変えたり、カード配りをする手品師に見立てている。秋晴れの日曜日、息子夫婦に誘われて、ズーラシア動物公園へ行った。家族連れがたくさんいた。若い夫婦とヨチヨチ歩きの子供の家族は、自分や妻が若かった頃を思い出させる。祖父母も加わった三世代組も多い。皆同じ人生なんだなと思う。芝生の広場。テーブルで昼食。寂しげな人もポツポツ。ベンチにはおじいさんひとり。この場所では、見えるもの、聞こえる声、すべてが、孤独を感じさせる。秋の向こうに冬が透けて見えるようだ。皆が珍獣オカピを見に行くと言い、私は留守番をする。ウトウトするうちに、向かいのベンチの一人ぽっちのおじいさんの気持ちが乗り移ってくる。子供の声がする度に、いるはずのない家族を探して目を開く。目を閉じれば紛れもない孫の声なのに、目を開けば現実だ。寂しさを噛み締めて目を閉じる。小さい子がヨチヨチ寄ってくる。大げさに、明るく、笑いかけてみる。精一杯微笑むだけで、何を話してよいかわからない。若いお母さんが引き取りに来る。きっとピエロのように見えているだろう。寂しい時、悲しい時、他人に知られまいとおどけていた小学校の友を思い出す。飛び交うはしゃぎ声がミツバチのようにハミングする。陽射しも快い。ベンチがふわふわで雲のようだ。天に吸い込まれていく感じ。冷たい風が吹いて目が覚める。幼い私と父母の笑顔。かすかに残る夢の余韻だ。秋の公園は家族の四季も見せてくれる。幸福の真っ只中の若い家族。この世にはこれ以上の幸福はないんだよ。若い父親の君には、今は野心しか見えない。それでいい。幸福は、通り過ぎてしか見えない。そうできている。秋の公園に流れる時間は、種明かしが上手な手品師のようだ。でも種明かしは、手品が終わった後にしか見せてくれない。逆じゃあ、人生つまらないものね。

3)        睡眠中の客へ

a       自分の死で悲しませたくないという気持ちがある。幼い頃、祖父が死んだ時、悲しみでなく、不気味さに囚われ、情緒不安になった記憶のせいか。明け方に、ウツラウツラそのことを考えて、見た夢の話だ。自分の葬式なのに、孫に一生懸命説明している。夢だからその矛盾に気がつかない。通夜の客がいなくなって、二人で棺の方を見ながら話している。葬式は誕生会と同じだよ。違うのは、誕生会には本人がいるけど、葬式には本人はいない。その箱の中の体は、じいちゃんが昨日まで鳥や牛や魚や野菜から借りていたものだから、借りたところに返さなければいけない。鳥や牛や魚や野菜も他から借り、他は別の他から、つまりは太陽や地球から借りたものさ。今日は借りた体の返還式だよ。こんなことをするのは人間だけだけれどね。ゲーム機が体で、ソフトがじいちゃんだ。ゲーム機ならソフトをセットしなおせば動くが、鳥や牛や魚や野菜から借りていた体は精巧すぎて、一度きりしか使えないのさ。ゆうべ、じいちゃんは光になって、おまえの心の宇宙へ飛んで行ったのさ。光はこの世で一番速いから、後姿も見えない。何億年も前に燃え尽きた星の光が、今頃地球に届いて、私たちに見えていることは知ってるね。そんな感じだよ。その目は信じてないな。作り話だと思っているんだな。宇宙は私たちの外側と内側に別々にある。外側の宇宙はみんなで共有だが、内側の宇宙は一人に一つずつある。そう、心と呼んでいる宇宙のことだ。その正体は脳の働きだ。脳には細胞が○個あって、その組み合わせて、記憶の糸を編んで、内側の宇宙を創っている。糸の編み目の数は、外側の宇宙にある星の数より多い。だから内側の宇宙のほうが、外側の宇宙よりずっと広いんだ。おまえは、今見えているのは外側の宇宙だと錯覚しているけれど、本当は全部、おまえの脳が内側に創った宇宙だよ。じいちゃんも、最初からおまえの内側にいたんだ。外側にあるのに見えないものがあるね。他人の心だ。外側に無いのに見えるものもあるね。おまえの心だ。幽霊が見えるのもそういう訳だ。おまえは内側の宇宙を見ているのさ。ゆうべ、外側のじいちゃんは消えちゃったけど、内側のじいちゃんはそのままだ。いつでも会ったり話したりできるよ。花や虫とお話したり、アルバムをめくる感じかな。じいちゃんの方からおまえが見えるかって。おまえの内側にいるんだから、前よりずっとよく見えているよ。おまえの目や鼻や耳は、外側の世界にしか使えないから、これからは、直接、脳で、内側の世界のじいちゃんを感じ取るんだよ。お葬式は、「体は借り物だ」という大切なことを学ぶために、人間が考え出した儀式なのさ。じいちゃんが外の世界では見えなくなって悲しいというのは、お腹がへったり、寒いのと同じ、あたりまえのことだから、我慢できるよね。そのうち慣れて、今までのようにお話ができるようになるさ。こんなレベルでは、まだまだだなと思いながら、なんとか孫を安心させようとして、あせっている自分がいる。

b       今日の明け方に、いつになく鮮明に思い出せる夢を見た。大きく古い木造の温泉旅館に、一人で泊まっている。修学旅行の時のように、広い畳の部屋に、布団がたくさん敷かれている。まだ誰もいない。真ん中の一つに寝ていると、二人連れが来て、私を挟んで両側の布団に入った気配がする。左側の上司と思われる男が、右側の男に大声で話し始める。説教をしているようだ。ビジネスのあり方といった内容だ。納得できるなと聞いているうち、飽きてきたし、タバコ臭いので、なぜわざわざ隣に来たのか腹立たしくなってきた。場所を代われというのも面倒だし、いつまでも終わりそうにないので、起きて温泉に入ろうと思う。廊下は暗く迷路のようで心細かったが、思ったより近くに、大きな黒い木戸の入り口があって、隙間から明かりが漏れてきた。開けてのぞくと風呂の脱衣場だ。こんな夜更けなのに、たくさんの人が居て、大混雑だ。裸になって湯殿に向うと、光が溢れる渓谷の露天風呂で、足の下には白い砂利が敷き詰まって、湯の川が流れている。混雑を避けて上流に向っていると、急に絶壁の岩棚にいて、進退窮まってしまう。これはきっと夢だ、こんな夢はよくあったと、夢の場面から逃げ出す。今度は神社の境内に居る。石があちこちに転がっている。銘石が好きなので、目を凝らして鑑賞すると、どれもこれもすばらしい形なのに、どれもこれも頭骸骨の形をしている。剥き出した歯並びと、2つの眼孔が印象的だ。人ではなく類人猿のようだ。銘石としてはいい形だが、こんなにたくさんあると不気味だなと思う。本殿に上がる木の階段の隅にも1個木の葉にまみれて転がっている。掃除人がいないのかと思う。そこに偉そうな男が現れたので、その旨を話す。笑いながら聞いてくれたが、どこかの病院で検査を受けるように勧められる。いい加減なことを言うなと内心で思う。目が覚めた。脳の中にはたくさんの自分がいて、起きている時には、他の自分に押し殺されて、出番が与えられない自分が、夢をみさせている。それも、昼間の自分が、認めたくない、否定したいことを、洗い出して突きつけている。嫌なことから逃げて、逃げて、とうとう断崖絶壁まで追い詰められて、又逃げて、静かな境内で、どくろ達と遊んでいる自分をよく見てみろということか。

c       カーテンを開けて寝ている。毎朝5時に目が覚める。暗い東の空を見ながら、いろいろなことを思い出す。もう会えない人や悔いの多い日々を思い出して、慙愧の念が湧いてくる。窓に日が昇るまで、夢を見ながらウトウト、浅く眠る。孫の声がする。じいちゃん、具合どう、苦しい?見たり話したりできない自分に気がつく。背中がふんわり暖かく、眠いだけだじいちゃん、満足だった?そういうおまえは孫ではないな。誰だ、と心の中で言う。ずっと孫だったよ。正確に言えば、孫の姿になって、おじいちゃんの脳の中で遊んでいたよ。それで、心で話ができるのだな。もっと生きていたかった?やりたいことはあるけれど、もういいや。したいことが無くなれば、生きるとか死ぬとか、からっぽと同じだよ。孫とは何だろう。子供のうちは、周囲に生きる力をくれる。成長にしたがって鬼になって、歳とともにお地蔵様になっていく。鬼は欲望を鼓舞、生きろと命じる力だ。お地蔵様は欲望を否定、安らかに命を手放させる力だ。おまえは孫に化けたお地蔵様だな。ひどく眠くなってきた。「ひとしきり眠って覚めると、きっと光になって、何億年も前に消えた恒星の光と並んで、宇宙の果てに向かって進んでいるのだろう」と思いながら背中に感じるベッドのやわらかい感触が、まるで雲の中に沈みこんでいくようだ。今度目を開けたら、初めて見るものばかり、白い部屋、白い壁、白いカーテン、すべてが白い光に包まれて、母と思しき人の横に置かれていたらいいな。

d       病室のベッドで目が覚める。白い布団、白い天井。こちらを見つめる白い人。そういえばあれから60年、途中が在ったような無かったような、夢のようだ。腕に繋がれた管から薬が流れ込む。しばらくうとうとして、また目が覚める。やはり白い布団、白い天井。こちらを見つめる白い人。違うのは、横に誰かいて、乳を含ませてくれる。乳とともに、私だった記憶が真っ白に溶けていく。

e       夜、床について、夢を見た。周囲の畳は、浅い清らかなせせらぎになって、自分を載せたフトンが小船になって、運ばれていく。枕元に白い紙と筆があって、何かを書いて流れに浸すと、文字だけが流れていく。自分は何を書いていたのだろう。という夢だった。

f        床の間にかけられた掛け軸の絵の記憶がある。上部に山波の地平線が描かれている。地平線の背景の空は夕焼けだ。山頂からこちらまで一本の道が続いている。一番手前に背中が見える。その前もその前も背中が見える。道にだんだん小さくなる背中が連なっている。先頭は米粒のようになって、山頂に至り、山頂から黒い鳥の影になって舞い上がり、徐々に小さい点になって、さらに上へ画面の上端にはみ出るように連なっている。絵の中の自分は、そうとは知らず、山頂に着いてやれやれと、荷物を降ろして休んでいる。山頂からは360度、あらゆる方向に道が延びているのが見える。それぞれの道を登ってくるヒトが見える。途中で休んでいたり、倒れたり、転落するヒトも見える。山頂にどんどんヒトが到着する。しかし一向にヒトは増えない。振り返ると、大きな岩が西の空に突き出ている。一服した人々が、身支度をして鳥のように西の空へ飛び立っていく。この先は羽がいるなんて思いもよらなくて、不安になって、隣の人に聞いてみた。自分のリュックを空けて、道々摘んできた花を出して御覧なさいという。出してみると花だと思っていたのが無数の羽だった。羽で体を包み、自分の重さが消えて、空中に舞い上がっていた。

g       横たわったまま目が覚める。仄かな香りがしてくる。仰向けになって、軽く脚を開いて、両手を広げている。左右に人がいる。暗い中、衣が蛍のように光っているが顔は見えない。隣の人の頭の下で、一人先の人の手に触れている。皆、同じようにしている。大きな輪になっているようだが先が見えない。手を繋ぐ人々が、ひとつの卵の殻の中で、同じ映像を一緒に見ていて、感情の光が、手の指を通じて行き交っているように感じる。誰かに、感情の起伏が起きると、発信した人の脳の世界が,全員に見えてくる。ただただ心地よい。体の世界ではバラバラでも、心の世界では1つに溶けている。「望み」がないので、退屈も不安もない。

4)        入院中の客へ

a       香りの国のアリス。アリスは生まれつきの病気で、病室のベッドから離れられません。仕切りのカーテンの内側が、アリスの世界です。アリスは、病院で生まれて、そのまま一歩も出ることなく病室のカーテンの中で育てられたのでした。時々、カーテンの向こうから、両親や医師、看護士が現れては消えていくのでした。アリスの世界はこのカーテンの内側と言うことになります。アリスは、自分は一生入院したまま、外の世界に出られないと分かっていましたが、つまらないとか悲しいとは思ったことはありませんでした。自分は体ではなく心だと知っていたからです。注射や手術は辛いけれど、自分が感覚や感情の心ではなく、言葉の心だと知っていたからです。世界はカーテンの外に在るのでなく、自分の中に自分が作っているのだと知っていたからです。そして何より、この不自由な現在の現実より、記憶の過去や願望の未来の方が大切だと知っていたからです。アリスは、誰かが知らせてくれるニュースなどの糸で編んだ、世界に住んでいます。天井の石膏ボードが空で、蛍光灯が太陽で、カーテンが地平線で、朝焼けや夕焼けを見せてくれます。夜は、消灯、天井の常夜灯が月のように見えます。そして、病室にも時は流れます。両親もいつか来なくなり、医者や看護士も若くなって、アリスも年をとってきます。死を思うようになります。アリスが死んで、アリスの香りの国は消滅します。本が残されます。アリスの不思議な国はそこに残ります。言霊の海のことです。

b       病室での出会い。北里大学病院に入院中の話です。夜中、あまりの空腹に耐えかねて、飲み物の自動販売機のあるロビーに行きました。病院全体は消灯で、廊下とここだけが明るい。昼間は面会スペースなので、テーブルといすがたくさん並んでいる。眠れないのか、本を読む人がいることもある。長期の療養の人も居る。何度も出たり入ったりしている人も居る。点滴や手術の繰り返しであきらめ顔の人も居る。薫香師の出番は、こんな場所や時間だ。

c       手術を終えた夜の話だ。絶対安静で、首も動かせない。切り開いて縫合した傷跡が痛い。喉もカラカラだが、水は飲ませてくれない。とても辛い。大きな部屋がカーテンで仕切られ、向こうに何人かの病人が寝かされているようだ。その夜、奥のカーテンの向こうから、懐かしい気持ちにさせる香りが漂って来た。痛みも渇きも薄れた。数人がひそひそ話している。春の砂浜にヒタヒタ寄せる波のようで、快い。話を聞いているうちに、夜明けのカラスの声がして、香りも消え、聞いていた話の内容も消えて、眠ってしまう。その日も絶対安静は続き、点滴で食事も無いまま、一日中眠り続けた。その夜も、同じ香り、同じ声、同じ夜明け。同じ眠り。そんな1週間を過ごして、起きられるようになって、看護師に、隣のベッドにいる人たちはどんな人か、それとなく尋ねた。看護師は、あなたは絶対安静だったからずっと個室に入っていたのだといった。そして午後、別の階の大部屋に移動させられた。そういえば、声は隣ではなく、ベッドの中から聞こえていたように思えた。別に気味が悪いとも思わず、夢だと思い忘れた。それから10年、同じ病が再発した。同じ病院で治療を受けた。部屋が同じかは分からないが、同じことが起きた。違うのは、こっちへ来ないかと声をかけられたことだ。行くと、男が3人居た。ベッドに丸く胡坐をかいている。真ん中の男が、ここは黄泉の国だ。そことは次元が違うのだ。この香りが立つ間、君はここに居て、香りが消えると、元の現在の現実の戻るのだという。自分たちも君と同様に、この世とあの世を行き来していたが、体が死んで、今はこちらだけに居るのだ。そして探香談が始まった。この世で迷う若者を励ます言霊探しだ。

5)        幻想の和香会。

a       高速道路を走行中に、上に掛る陸橋に人影が居るのが見えた。真下を抜ける時、目が合ったような気がした。一瞬何かが伝わってきて、暗く冷たい気持ちになった。

b       十三夜の月が冴える夜遅く、帰宅、駐車場からマンションの入り口に歩いている時でした。反対側の闇から黒い猫がぽっかり明るいエントランスに入っていく後ろ姿が見えました。私の方向からはエントランスの奥は死角で見えません。その先はポストが並ぶ密室でオートロックのドアに続いています。入ると、黒い服装の女性が背を向けてポストをのぞいています。猫は見えません。私は暗証番号を押してドアを開けてエレベーターに向かいました。振り向くと猫が階段を駆け上がっていくのが見えました。十三夜らしい不思議な気分になりました。

c       夢の交差点で二人が出会う。ベッドに横たわる末期の病の実業家の夢と、自殺を考えている若い男の夢がつながった。以下はその対話である。いらないなら、ワシにくれ。代わりに金を全部やろう。こうなってみると、金は何の役にも立たない。稼ぐのは楽しかったが、金はそのために使った時間の領収書だった。蝉取りと同じだ。蝉をかごに入れたらおしまいだ。稼ぐことに没頭して、家族と過ごす時間を忘れてしまった。

d       落ちはぜ物語。ある晩秋、木陰の岩の上で、上げ潮のほんの一時に、大釣りをした。翌日も、その翌日も、その潮どきに合わせて釣りに行くが、そのたびに老人の釣り師が座って釣りをしていて、入れない。釣れている気配がない良く見ると釣り針がついていない。。潮どきが過ぎて、釣れなくなる頃に、居なくなる。翌年の晩秋、久しぶりに釣りに行く。その場所が空いていたので、入る。日が傾く頃、その潮時が来て、入れ食いになる。もがく餌のミミズを針に刺したり、暴れるハゼを針から外したりしているうちに、自分が、餌のミミズやハゼになった気分がしてくる。晩秋の日没は早く、あたりが暗くなってきたので、もうやめようと思っていると、ひときわ大きなハゼが釣れた。冷たい夜風が吹き寄せ、木立や水面を波立たせ、空にはオレンジ色の三日月が冴えている。お坊さんに化けたウナギの話を思い出した。気味が悪くなる。あわてて道具を片付け、まだ生きている大きなハゼや餌のみみずを暗い川面に戻し、逃げるように町の灯を目指した。

e       「遥かなる山の呼び声」という西部劇が在った。旅立つ主人公の、遠くの後ろ姿に、牧場の少年が、帰ってきて、と呼びかけるのだ。今年は、猛暑が早く来て、真夏日が10日連続の新記録になった。その分、秋が早まるらしい。例年、種類ごとに順番に鳴き始めるセミたちが、我先にと、ごちゃごちゃに鳴いている。蝉は地上に出ると、あわただしく交尾や産卵をして、1週間ほどで死ぬ。鳴くのはオスの蝉だけだ。オスはメスを呼ぶために鳴いている。それにしても大きい声だ。身近なメスに聞かせるには大きすぎる。昆虫採集の子供や、カラスに聞きつけられて、危険だろうに。地下の、羽化間近のメスに聞かせているのだ。メスにしてみれば、オスが地上に居るかどうかわからないのに、危険な地上に出ても仕方がない、ということなのだろう。メスにとって、オスの呼び声は、繁殖と死への呼び声だ。セミにとって、本当の国は、地下と地上のどちらなのだろう。

f        日光の奥の小さな沢に、温水が湧いて、沢の水と混ざって、冬でも温かい小さな淵になって、2月下旬に蛍が飛ぶそうだ。去年の2月に、釣り人が見つけたとのこと。私も、地元の友人と、翌年の早春に、渓流釣りを兼ねて見に行く約束をした。しかし、その年末に友人は死んで、今年は自分が心臓の手術。見つけた人も行方知れず。蛍より人のはかなさを思わされた。

g       救急車。4月半ばの春だった。夜中の2時、眠っていた時に、起こされて、妻が心臓が苦しいから救急車を呼んでと言ってきた。普段我慢強いので、よほどの事だと思い、あわてて電話をした。すぐに向かいますといい、症状やかかりつけの病院の事を聞かれた。10分ほどで、サイレンの音が遠くから近付き、建物の下で消えた。靴と保険証を持って、病院に一緒に来て下さいとのことだった。急救病棟の当直の受け付けや看護師が対応してくれ、妻は5つある診察室の一つに入って行った。受付を済ませ、廊下の椅子に腰を掛けて待つように言われた。小学校低学年くらいの女の子がパジャマ姿で、一人で座っていた。ドア越しに、かすかに妻と医師のやり取りが聞こえる。大事はなさそうでほっとした。その時、警察官が2人、ドアから入ってきた。物々しい制服の大男達だ。受付で、女の子の担当の看護師と話している。看護師が「発作を起こして…お父さんがお金も残さず・・・」と話すのが聞こえた。警官が看護師に「ジソーはどこか」とたずね、「綾瀬です」と答えていた。看護師が女の子に「もう落ち着いたから大丈夫」と言い、警官に宜しくお願いしますと言った。警官は女の子に「ジソーのことは知ってるね」「これからジソーへ行こう」といい、女の子がうなずいた。「明日は学校があるけど」というと、女の子は「自分で電話できます」と言った。パトカーに乗せられて行った。ジソーとは、児童相談所の事だとか、大変な状況なのに、しっかりしているなと気を取られているうちに、妻が戻ってきた。

J    花火大会。

1)        疑問の花火。

a       初代の孫、記

(ア) 祖父が死んだ。

(イ) 父の田舎へ 葬儀に行った。

(ウ) 父が、僕宛の荷物を、柳行李に詰めて、押し入れに入れて、大人になったら来て、開けて見ろと言った。

(エ) 大人になって、子供が出来て、しばらくして、父も死んだ。田舎のいとこから行李を送ってもらった。開けた柳行李から、不思議な香りとともに、祖父が書いた、ノートが出てきた。

(オ) 題は、「疑問」だ。下記の通りだ。

b       ノート

(ア) 記憶か夢か、判然としないが、これが、孫と花火を見ながら話したことだ。

(イ) 幼い孫と花火を見ている記憶がある。色々話した。暗い川面に、街の明かりがチラチラして、火花が吸いこまれて行く。わたしは火花の先端になって、別の世界に吸い込まれて行くように感じた。

(ウ) 花火の帰り。孫を肩車。二人で交わしたなぞなぞを思い出す。わしの心の香炉に灯が燈る。孫もまたいつか、まだ見ぬ孫の心の香炉に、灯を燈せ。明るく生きる知恵を燈せ。儚く消える火花の精が、夏の夜空に光を燈すように。

(エ) 孫の質問はこうだ。

I.      僕はどこから来たの。

II.    おとうさんとお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんと僕はどういう関係なの。

III. 生まれる前は、何処で、どうしていたの。

IV.  僕は何なの。

A)    ドーンという音が響く。大輪の花が開く。シュルシュル、パーンという音と共に火花が散って、闇に吸い込まれる。しばらくして、風に乗って、パチパチはじける音がする。ドーンというのは、40億年前のDNAの誕生だ。大輪の花が、地上の全生物で、火花の一つ一つがその体だ。わしやおまえの体は、その火花の一つだ。感覚や感情の心は、火花の色だ。言葉の心はパチパチはじける音だ。わしやおまえはパチパチはじける音なのだ。

V.    みんな死んじゃうの、死んだらどうなるの。

A)    昼間、玄関先の地面の、セミと蟻の塊りを見ながら、おまえが突然、聞いてきた。僕はどこにいて、死んだらどこに行くの。それならまず、自分はどんなものなのか考えて、どんな場所にいるのか考えてみよう。その上で、死んだらどうなるのか考えよう。おまえはどんなものなのか。言葉の心の働きが作り出す、電気の信号だ。ここはどんな場所なのか。おまえが言葉で作っている言葉の世界だ。おまえは、目に見える外の世界でなく、脳の中にいる。体が死んだら一緒に消える。おまえだけが、この世界からつまみ出されて、一人さびしく、どこか遠くに行くのでなく、おまえのこの世と一緒に消える。つまり、どこかに行くのでなく、世界とともに消える。その時、体は、他の生き物を食べて身に着けた借り物だから、全部地球に返す。DNAはおまえの体を生み出した力だが、人類というDNAの海として在り続ける。おまえは情報だ。おまえの世界のすべても、おまえが作り出している情報つまり言葉だ。死んだら、体は元の元素に戻る。DNAはそのまま転写を続けていく。おまえは、発信した言葉、つまり言霊になって、言霊の海へ帰る。おまえは元々そこからその体に流れ込んだ言霊だったのだ。

VI.  僕は何が見えているの。

VII.    どこから見てるの。

VIII.  僕は心なの。

IX.  僕は何処にいるの。ここはどういう場所なの。

X.     心はみんな同じなの。

XI.  みんなと僕の関係。

XII.    僕と心の関係はどのように働くの。

XIII.  僕はどうできているの。今、僕は何をしてるの。僕の心はどのように働くの。

XIV.   脳が見たり感じたり、考えること。

XV. でも、僕が心だと思うと頼りない変な感じがする。

2)        答えの花火

a       二代目の孫、記。

(ア) 祖父が死んだ。

(イ) 柳行李があった。

(ウ) 祖父とその祖父の名が書かれた、2冊のノートが出てきた。

(エ) 新しい方のノートの題は、「答え」だ。下記の通りだ。

b       ノート

(ア)     先月初孫ができ、祖父になった。幼い頃、一人で放り出されたり、子供同士で争ったり、理不尽に叱られたり、世の中、訳の分からない事ばかりで、恐怖や不快な目に会う事が多かったことを思い出した。自分は何処から来て、何をどうすれば良いのか、知りたかった。子供のころに歯が立たなくて放り出した宿題に、半世紀以上たって書いた答案用紙だ。提出先が、神とか先生とかでなく、孫になるとは、思いもよらなかった。このノートは、知っていることを伝えるために書きたかったのだが、知らないことばかりを書くことになった。孫のためというより、自分の為に書くことになった。

(イ)     孫に伝えたい、生きるということ。生きることに付きものの、心の苦しみから楽にしてやりたい。まだ見ぬ、成長した孫へ、そしていつかよみがえるだろう私ではない私へ。見えるままを信じてはいけない。感じるままを信じてはいけない。言葉しか信じてはいけない。

(ウ)     どうなるのか、何なのか、言葉にできないから、迷ったり、恐れたり、騙されたりするのだ。

3)        自覚の花火。

a       粗筋は次の通りだ。

(ア)     救い。

(イ)     結論。

(ウ) 死からの自由。死を受け入れて、つまり言葉にして、生きる。

(エ) 自分が、体や、感覚や感情の心でなく、言葉の心の働きだということを受け入れよう。感覚や感情の心が映し出す現在の現実に居るのでなく、言葉で作っている世界、つまり記憶の過去や願望の未来の住人だということに気がつこう。

(オ) 感覚や感情の心は癒しを求め、言葉の心の働きである自分は救いを求めている事に気がつこう。

(カ) 死に方というのは無い。生き方しか無い。

(キ) 老いからの自由。

(ク) どう生きればいいのだろう。

b       3代目の孫、記。

(ア) 祖父が死んだ。僕が中校生の夏だった。

(ウ) その夜は、花火大会だった。

(エ) 音のない花火が、病院の窓から、遠く、小さく、光っていた。じいちゃんの声がした気がした。

(オ) 父が遺品整理をして、柳行李を見つけた。

(カ) 父が、柳行李を持ち帰って、大人になったら来て、開けて見ろと言った。

(キ) 大人になって、子供が出来て、しばらくして、父も死んだ。

(ク)     20年余りがたって、改めて、押入れから、祖父の行李を取りだした。ふたを取ると、かび臭いの中に、不思議な匂いが混ざっていた。祖父の匂いかと思った。

(ケ) 香炉と、香道具と、蘭奢待(らんじゃたい)と書かれた桐の箱が入っていた。箱を開けると、不思議な香りが強くなる。古い布に重たい木片が包んであった。光沢があるガラスのような肌をしている。香木には、それぞれ、○○香という名前と、用いた日付が書かれた帯封が巻かれていた。

(コ) 祖父とその祖父とそのまた祖父の名が書かれた、3冊のノートが出てきた。

(サ) 一番新しいノートの題は、「自覚」だ。下記の通りだ。

c       ノート。

(ア) もう中学生だね。自分の死を恐れすぎないように、他者の死を悲しみ過ぎないように。自分の生きようとする力を損なわないように。死を言葉にしよう。

(イ) 普段考えている死とは、他人の命の終りを観察して得た言葉だ。ろうそくの炎や花火を見ている感じだ。自分の死とは全く別だ。自分については、死にたくないというより現在の現実を手放したくないという感情だ。自分の死は、死自体でなく、現在の現実を失わせるものとして見えている。死そのものを考えているのではない。

(ウ) 桜と花火。私は、去年その枝に咲いていた、桜の記憶。おまえに見せたい40億歳の桜の木。花吹雪、緑陰、もみじ、木枯らしの声。知っていた方がいい事がある。後から来るおまえのために、花火の見方を記してやろう。人生の障害は恐怖だ。未知のものは恐ろしいが、正体を知れば何とでもなる。見えないトラは恐怖だが、見えたら捕まえて毛皮の敷物にすればよい。恐怖に打ち勝つには、相手を知ることだ。知ってしまえば、おまえは無敵だよ。

(エ) まだ見ぬ成長した孫、いつかよみがえるであろう私ではない私へ。花火の帰り、今は私、いつかはお前、が、月夜の道で孫を肩車。儚く消える火花の精が、夏の夜空に光を燈す。みんな明るく生きてほしい。

(オ) わしは星になりたかった。星とは言霊のことだ。そして最後には本当の星になるだろう。星は遠くから愛する者を見守っている。わしは孫を見守る星になれると思うと、とても幸福な気持ちだ。一隅を照らす香炉になる。

(カ) 心臓の発作が起きたので、病院の待合室で、呼び出しを待っていた。1時間近く待った。居眠りをしたり覚めたり、ウツラウツラしているうちに、これは、いつか来る死を待つのと同じではないかと思った。

(キ) 入院になった。

(ク) 香を焚いたのだと思っていた。実際は、その日、心臓の手術で、手術室の入り口を家族に見送られ、麻酔をかけられて眠ったのだ。その間、人工心肺だったそうだ。手術が終り、気がつくと、6時間が経過して、ビニールハウスの中にいた。言霊の海にいるようだ。父と最後に話した場面にいる。笑っている。父の声が、音ではない言葉になって、伝わってくる。父が言っている。「自分も手術でこの川を下った。自分は残念ながら生きて退院することはできなかったが、おまえの手術が成功して、とてもうれしいよ。いつかお前も、子や孫の水先案内をする日が来るよ」。

(ケ) 香りを焚くたびに、遠い日々の色々なことが思い出される。言葉にしておきたいという、強い願望が湧いてきた。簡明な文章にして、将来自分も息子に読ませてやろうと思う。

(コ) 庭で、セミが鳴いていたり、かねたたきのか細い声がしていたことを思い出す。ヒヨ鳥の鋭い声が響く。

(サ) 従兄がいた。彼は、小学2年生の夏、死んだ。僕は思っていた。祖父が「おまえ」と呼ぶ孫は、彼のことだろう。祖父が思い浮かべる彼は、きっと小学2年生のままなのだろう。今頃、黄泉の国で、祖父とその子は旅をしているだろう。「沈香の国先遣隊」参照。

(シ) 祖父がくれた手乗りの小鳥の事も思い出した。

(ス) 昔の自分との出会い。言霊の海には、自分が発した言霊がいて、そんなことも起こるのだろう。

(セ) 人は歳をとっても、感覚や感情の心は子供と同じだ。脳はバッタのように、完成して生まれてくるのだから。その証拠に、おまえが良く言う「手を繋いで」「こっちを見て」「聞いて」という気持ちを今も持っている。小さい時、6祖父に肩車をしてもらって、さっき見た花火の話をしながら夜道をブラブラ、ここまで来たような気がするよ。

(ソ) 人は死ぬと神や仏になるのは何故か。残された者が、「この世のどこかにいるはずだ」「いつも自分を見守っているはずだ」「どこにいるのかはわからないけれど、どこかにいるずだ」と思ってくれるからだ。

(タ) 窓の外に見える交差点を、小さな白い蝶が越えて行く。車の間を縫ったり、バスの屋根を越えたり、障害物競走のようだ。ジグザグの軌跡を描きながら、向こう側に渡りきると、今度はビルが立ちはだかる。ためらい無く上昇飛翔を始める。ビルが何階建てで、向こう側に何があるか気にせずに。たった数日の命を支えるために、自然はこれほどまでに強い勇気を与えたのだ。みんな、自分がいつか死ぬはずとわかっていても、平然と生きている。具体的な死因と時期がわかると絶望する。抽象的な死と具体的な死の違いだ。昔は、皆、訳も判らず、まさか自分が死ぬとは思わずに、何となく死んでいったのだろう。今は医学の発達で克明に告知される。不確実な死なら希望は消えないが、100%の死の宣告は絶望させる。胎児の性別がわかるのと同じ、医学の変な成果だ。もうすぐ100%死にますと宣告されたら、どう思うのだろう。心は抵抗するだろうが、じきに諦めて絶望するだろう。昔は、不確実な死を、希望を持ったまま死んだ。この原因で、この時期に、100%死にますと宣告されて、絶望して死ぬのは現代人の変な幸福だ。絶望と、一縷の希望をもったまま、分けがわからないままと、どちらがいいのだろう。絶望しても、残していく家族に何かしてやりたいと思うだろう。しかし、何もできないだろう。家族も同じ気持ちだろう。そしてやはり、何もできないだろう。

(チ) 正解は教えてもらえない。自分で作るしかない。自分の死を空想して、言葉にする。それができれば、恐れが無くなる。

(ツ) 病院の窓から花火を眺めながら、後書きを考えた。それはこうだ。「今、病院にいて、窓から、音のない花火を見ている。僕はもうすぐ火花の先端になって、別の世界に引き込まれて行くのだろう。みんな明るく生きてくれ」。それまでゆっくり、思い出したり、書いたり、推敲したり、旅の支度をしていよう。

(テ) 生きているうちに身に付けたものを総て失い、元に戻る。肉体は地球に戻す。言葉にして発信した記憶の過去や、願望の未来は、言霊になって、言霊の海に戻り、また新しい誰かの自分に入って、その一部になる。感覚や感情の心は、それが映していた現在の現実とともに消える。

(ト) 死体は死者ではないという事を理解しよう。死者は心だからだ。情報だからだ。体は心ではないからだ。言葉の心の働きだった死者は、言霊になって、残された者たちの中にいる。何処にも行っていない。いつも近くに居る。もともと、言葉の心で見ていたのだから、体がどうなっても、言霊になったその人に変わりは無い。かえって、感情の雑音無く話し合うことができる。

(ナ) さらに20年、仕事漬けの日々が過ぎた。

(ニ) そろそろ暇も出来たので、懸案の執筆に取り掛かり始めた矢先、発作で、即入院、手術。もう半年も入院中だ。ここ数日、具合が良くない。医師に止められた、というか、だるくて考えがまとまらなくなった。妻に、書き貯めたノートを、家の押し入れの行李に入れてもらった。息子が暇になったら、見せてくれるように頼んだ

4)        香葬の花火。

a       四代目の孫、記。

(ア) 祖父が死んだ。

(イ) 祖父が死んで50年経った。

(ウ) 定年になって、暇になって、柳行李を開けた。不思議な香りがした。

(エ) ノートパソコンが出てきた。

(オ)     スィッチを入れた。軽やかな音がした。じいちゃんの笑い声が聞こえた感じだ。黄色い光が画面を通り過ぎて消えた。電子の蝶だ。趣味や仕事のファイルに混ざって、私の名前を付けたファイルがあった。ドキドキしながら開いた。

(カ) 祖父は葬儀屋だった。葬儀屋は、三途の川の船頭だ、と見出しに書いてあった。

(キ) 祖父が、その祖父とそのまた祖父とさらにそのまた祖父の文章をインプットして、自分の文章を加えた、大きなファイルがあった。

(ク) 祖父が、幼かった私に語ってくれたことも思い出された。幼い自分や祖父が生き返ったようだ。懐かしかった。

(ケ) パソコンの画面を読むうちに、祖父と会話をしている感じがした。

(コ) 祖父のファイルの題は、「香葬」だ。下記の通りだ。

b       ファイル。

(ア) 40億年待って、セミのようにやっと地上に出て、見たり聞いたりすることが楽しくて仕方が無いだろうが「実はこの見えている世界は実際には無く、おまえの脳が作り出しているもので、見えていることで生じる感情も実際には無く、おまえの脳が作り出しているもので、見ていると思っているおまえも実際には無く、おまえの脳が作り出しているものだ」と言われても、にわかには信じがたいだろう。いつか、どこかで、自分の脳の感情が原因で自分自身が苦しくなった時、そんな自分から逃れたいと思った時、このことが分かるだろう。年齢と、体験と、考える時間が必要だ。今でなくてもよいから、そんな話があったことだけ覚えていてくれ。

(イ)     「僕は死んだらどうなるのだろう」と考えたことを思い出す。答えを探そう。そのためはまず「誰が、なぜこんな疑問を持ってしまうのだろう」と考えてみよう。この「誰」とは、言葉の心の働きである自分だ。体は勿論、感覚や感情の心は何も考えないで、すべてをあるがままに受け入れている。言葉の心は、言葉を組み立てて考える、ヒトに特有な脳の働きだ。すべての変化や活動に、言葉で目的や意味をつけなければ気が済まない。そうしないと未来が見えないので、工夫も対策も出来ないことが不安だからだ。そうやって、他の動物とは異なる、生きようとする心の力を作り出している。

(ウ)     死後の世界は、死んだ人しかわからない。この世では作り話にならざるを得ない。生死の疑問はヒトだけが持つ。DNAには経験は書きこめない。経験を子孫に伝えることは至難だ。

(エ)     今日は、実家の近くの病院で、インフルエンザの予防注射をした。ふと気が付くと、待合室の奥にやせて白髪で、大きなマスクをした人が、こちらを見ているのに気がついた、去年の春に死んだ弟かと思った。この人の肉体や心について考えれば別人だ。しかしその瞬間の自分の心の在り方について考えれば、弟その人だ。はてどちらが正しいのだろうと考えているうちに、その人が窓口へ呼ばれて目の前に来た。体つきも声も弟とは似ても似つかなかった。でも、あの瞬間は弟だったのだ。自分は言葉の心の働きで、外界とは別の世界、言葉の世界に住んでいるのだ。

(オ)     悲しい正月の話や花火大会の話が書かれていた。おぼろげに思い出されてきた。

(カ)     翌朝、目覚めると、匂いが変わっている。風景も変わっている。祖父が舵を取ってくれていた。幼いわしと交代する。旅を続ける。ゴールインする。桟橋に、父が迎えに来ていると思って、目が覚めた。香木を焚いていた小一時間の出来事だった。

5)        冬の花火。

a       五代目の孫、記。

(ア)     じいちゃんが死んだ。

(イ)     3回忌のお盆に一人で墓参りをした。僕が高校生の夏だった。一人で花火を見た。じいちゃんを思い出した。じいちゃんの気配がした。自分の中からした。

(ウ)     父が、代々伝わるファイルを、僕のパソコンに移してくれた。

(エ)     祖父のファイルの題は、「冬の花火」だ。下記の通りだ。

b       就職して、結婚して、子供が生まれた。その年のお盆に墓参りした。その夜、新しい家族で花火を見た。祖父の話を思い出した。この子が大きくなった時、祖父の話をしてやりたいと思った。

c       ふと思い出す。

(ア)     忙しかった。祖父のことも、話したことも、すっかり忘れていた。

(イ)     息子が結婚、孫が生まれた。

(ウ)     祖父の言葉を思い出した。自分の思いも付け加え、孫あてに書き始めている。孫に残すのは、素直に楽しい。自分の欲望が消えて、未来を託す気分になる。

(エ)     毎朝、鏡の中で祖父が髭を剃っている。髪に霜。祖父がそこにいる。

d       秋祭り、父と見た遠くの花火。

(ア)     幸福や不幸という幻想に惑わされないために。

(イ)     幸福って何なの

(ウ)     どうしたら幸福になれるの。

(エ)     幸福になろうとしなくても、いいんだよ。不幸を恐れなくてもいいんだよ。

(オ)     不幸な気分の時はどうすればいいの。

e       オリオン座、父と見た最後の花火。

(ア)     生き方について。

(イ)     僕はどう生きればいいの。

(ウ)     脳の中に世界地図を持とう。現実の世界を歩きやすくしよう。自己修正プログラムをダウンロードしておこう。

(エ)     般若心経。

f        息子と見た初めての花火。花火を見ながら話した。

(ア)      わあ、大きな花火がドオンと開いたよ。

(イ)     これは、137億年前の宇宙の誕生だ。

(ウ)     沢山の火花が広がって行くね。

(エ)     宇宙は今も、星や暗黒物質を撒き散らしながら、益々速度を増しながら、広がり続けている。これからもずっと広がる。でもいつか花火のように終わりが来るのさ。

(オ)     火花の一つが燃え残って宙に浮いているね。

(カ)     あれが銀河だ。今○○億歳だ。その一粒が地球だ。今○億歳だ。あと○億年で消えると言われている。

(キ)     うわあ、今度は地上から尾を引いて上って行く花火だ。箒のように、天に向かって、細かく分かれながら昇っていくね。途中で消えたり、色が変わったり、にぎやかに昇って行くね。

(ク)     あれが命だ。40億年前の地球で、自分のコピーを作りつづけようという意思を持った物質が生まれ、自分と全く同じコピーを作りつづけながら、今日までずっと地上に広がり続けている。コピーを繰り返すうちに、伝言ゲームのように、写しそこないもそのままコピーされ、多種多様なコピーで地上が満ち溢れ、おまえもその1つなのだよ。飛び散ってまた開いた火花と前の火花は、見えないけれどつながっていて、空いっぱいに広がったすべての火花は、元々一つの玉で、前に咲いた火花から順に、次の火花にバトンを託して消えていくのさ。私とおまえは、あの花火の先っちょの火花なのさ。この先も子や孫にバトンタッチして、どんどん上って行くのさ。おまえは○億歳で、私はそれに60歳を加えた歳なのだ。

(ケ)     死ぬのが怖くなくなるために。

(コ)     僕は何処へ行くの

(サ)     死とその他の出来事の違い。

(シ)     死ぬのは嫌だ。死にたくない。

(ス)     痛くない。苦しくない。

(セ)     さびしくない。悲しくない、怖くない

(ソ)     死が恐ろしい理由を知ろう。

g       お盆、息子と見た最後の花火。

(ア)     お盆に墓参り。その夜、新しい家族で花火を見た。祖父の話を思い出した。この子が大きくなった時、祖父の話をしてやりたいと思った。

6)        冬の花火。

h      第五代目、孫記。

(ア)     熱海の港を望む伊豆山の中腹の老人ホームに、父を訪ねた。

(イ)     今日は、熱海港で、冬の花火大会だった。真っ暗な海を、熱海の町の灯が、夜光虫のように縁取っていた。山の上にある老人ホームのベランダから、2歳半の孫を抱いて、見物した。空気が冷えて、乾いて、透明な分、夏よりくっきり見えた。一通り終わって、暗闇が戻ると、何とも言えない喪失感が湧いた。コンサートの終わりと同じ気分だが、花火にアンコールはない。花火や音楽は、終わると同時に、淡雪のように、消えてしまうところが、見るものに、虚脱を感じさせるのだろう。この部屋で終日、ウツラウツラしている父の脳裏には、もう何回となく、この恒例の冬の花火が焼きついている。この眼下の暗闇に、灯りの数よりたくさんの人がいて、この花火を、それぞれの心の世界の中で見上げているのだと思って、不思議な気がした。父にも、私にも、孫にも、たくさんの人々にも、この花火は鮮明な記憶となって焼きつくのだが、それらすべてのはかなさを思って、何とも言えない気分になった。

(ウ)     幼稚園に入った孫へ。

   (たけとし)寒いよ。

   (沈)何処が寒い。

   (たけとし)首と手。

   (沈)襟を立てて、手はポケットに入れてごらん。

   (たけとし)変だな、顔は裸なのに、寒くない。

   (沈)そんなもんだ。

   (たけとし)寒いのは嫌な感じがする。

   (沈)さみしい感じかい。

   (たけとし)ううん、お腹が空いた感じ。

   (沈)情けないね。

   (たけとし)寒いのは、心かもしれない。

   (沈)心を温めるのは、言葉だよ。

   (たけとし)爺ちゃんも、寒そうね。

   (沈)言葉で温めてくれないか。

   (たけとし)どんな言葉がいいの。

   (沈)自信が湧く言葉がいいんだよ。

   (たけとし)爺ちゃん、ラーメン上手ね。

   (沈)おまえが言うと、本当に暖かいよ。

   (たけとし)さっきより暖かくなったでしょう。

   (沈)じゃあ、ブランコに乗って、体も温めよう。

(エ)     高校生になった孫へ。

I.   もう高校生だね。生きようとする力が増すように自分を言葉にしておこう。

II. 「生きている」という言葉は、現在の現実の状態そのものだ。生きているのは、予め与えられている根本的な状態で、自分の意思でどうするという問題ではないということだ。自分の意思でどうこうしてはいけない問題だ。その体を守るために脳が進化して生じた言葉の心の働きである自分、つまり本当の自分は、「生きようとする」ことだけが許されている。自殺は許されないということ、そして生き方は自由だということだ。死に方は、成り行き任せにしなければならない。自分は言葉の心の働きで、体が作り出している情報だ。体が主人で自分は体を生かすために進化した情報だ。だから自分が体を殺す自殺は、主客転倒、存在意義に反する事なのだ。こうなるように生きようというのが自分の在り方だ。自殺について、大切な事だから、別の表現で繰り返す。体をテレビの機械だとする。自分はテレビに映っている登場人物だとする。自分が宇宙征服をたくらむ悪人だとして、画面の中で、地球や月や太陽や宇宙をぶっ壊したとしても、テレビそのものを壊してはいけないということだ。