好香爺の日めくり

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1.母が、父にもうずっと会っていない気がするというので、20年前に死んだよと言う。ずいぶん早死にだったんだねというので、75歳だったから男の平均寿命だよという。私とずいぶん歳が離れていたんだねというが、無視する。自分がもう90歳だという自覚が無いからだ。お酒をたくさん飲んだからかねと聞くので、お酒を飲まなければ、ストレスで胃癌になってもっと早く死んだと思うよという。父が死んだ頃は、感覚や感情の心の出来事のまま、悲哀の気持ちがぬぐえなかった。今自分は、織田信長などの歴史上の人物の死のように、母に話している。言葉の心の出来事になったのだ。救いとはこのように、言葉にして、感覚や感情の心から言葉の心に移すことだ。

2.今日、母をデイサービスに迎えに行って、早めの夕食に、夢庵に入った。大きな座敷に、先客は一組だけだった。母には、小鉢が6つついた和定食、私は焼き魚定食を注文した。呆け気味の母と私では作れない、手の込んだ家庭料理だ。食べていると、先の女性客の声が聞こえた。「ふとした時に、ああ、もういないんだと思うことがあってね、寂しくてね」と一人が言い、もう一人も相槌を打っている。二人とも同じ境遇のようだ。その後話題は、孫や、生活のこまごましたことなど途切れることなく続いた。長年一緒に暮らす夫婦でも、会社に行っていたり、家にいても本やテレビを別々に見ていたり、何処からが一緒で、一緒でないのか、頼りなくなる。同じ地上のどこかに生きていれば一緒という程度かもしれない。この人達のように、伴侶が死んで何年か経って、思い出が言葉に固まってくると、かえって本当に一緒にいた実感が湧いてくるのだろう。相手が生きているうちは、見えたり聞こえたり喜怒哀楽の、感覚や感情の刺激に気を紛らわされて、かえって存在感が希薄になっているのだろう。夫婦も、子や孫も、いつでも一緒だと油断をしていると、思い出になって初めて、一緒に居た実感を味わうことになるのだなと、反省をした。

3.今日もデイサービスの帰り道、母とスーパーで買い物をした。併設のパン屋で、母の朝食用の菓子パンを、一個ずつ二種類買うのが日課だ。いつもは私が勝手に選ぶのだが、頭の体操だと思って、母に一人で買いに行かせた。店員さんも、事情が分かっているので安心だ。子供の頃、母に小銭をもらって近所の駄菓子屋に行く私の後姿を母が見送っている光景が逆さまになっているなと思って、おかしかった。他の買い物をしてレジで待っていると、アンパンばかり五個買ってきた。文句を言いかけて、ふと昔の我が家は五人家族だったことに気がついた。父や弟達の分まで買ったのだろう。残された者の心の中に、いなくなった家族はいつまでもい続けて、ひょんな時に顔を出すのだと思って、暖かい気分になった。

4.今夜から大雪というニュースを聞いた。予定を1日早め、母をデイサービスから早退させ、病院へ薬をもらいに行った。途中、工事現場で、ヘルメット姿の人が旗を振って、車の交互通行を指揮していた。通り過ぎる間、助手席の母がうれしそうに、皇后陛下のように、会釈をしながら手を振っている。視線の先には、交通整理の人の後姿が見えた。「なにやってんの」とたずねると、「最敬礼をしてくれたから、挨拶を返している」と言う。通行の邪魔だなどと、邪険な気持ちの自分と、母と、どちらが正気なのか、よくわからなくなった。

5.昨日の土曜日、母とファミレスで昼食をした。左の席は、若夫婦と二人の幼児、年配の女性の5人連れだった。食事を終えて、夫がレシートを持って立ち上がる。年配の女性が、自分が払うと言いながらレシートを奪おうとする。夫は毅然として拒む。「せっかく誘ってくれたんだから」と必死に言う女性。よく見ると女性の顔が赤い。女性の席にだけビールの空きジョッキがある。もみ合うようなやり取りがあって、それでもレシートはレジに向かう夫の手に残っていた。妻はそのやり取りを見ないようにして、子供たちに靴を履かせたり、上着を着せたり、荷物を抱えたりしている。きっと女性は夫の母親で、息子とは複雑な事情があり、今は一人暮らしで、自活をしているのだろう。久しぶりに食事に誘われ、うれしくて、気分が華やいで、場違いなビールを注文したのだろう。母として、自分がおごるつもりだったのだろう。それを固辞した息子の気持ちを、妻は痛いほど察していたのだろう。反対の席には、70は過ぎた白髪の父親と独身らしい娘がいた。父親は娘に、夜勤は辛かろう、収入は増えたのかなどと話しかけ、娘も嫌がらずに答えていた。父親にはハンバーグ、娘にはグラタンが配膳された。途中まで食べて、娘の合図で、皿を交換した。我が家とは丁度逆だなと思った。きっと、一人暮らしの父と、やはり一人暮らしの娘が、娘の休日に合わせてファミレスで待ち合わせて、互いの無事を確認しがてら昼食をしているのだろう。母親がそこにはいないのはそれなりの事情があるのだろう。古き良き時代の食事と言えば、貧しい町の、貧しい一軒家の、小さな明かりの下で、若夫婦を中心に祖父母や子供が顔を寄せ合ってする、この世で最も豊かな食事のイメージだ。今は、家は一緒でも心はバラバラな家族や、心は一緒でもバラバラに暮らす家族が、時々落ち合って、見かけだけ洒落たレストランの、見かけだけ豪華な食事の助けを借りて、つかの間団欒を楽しんで、誰かがお金を払って別れていく、寂しさを噛締める儀式になったようだ。こんななぞなぞを思い出した。「要る時は要らなくて、要らない時に要る物なあに。答えは風呂の蓋。」こんななぞなぞを思いついた。「在ると無くて、無いと在るものなあに。答えはありがたみ。家族のありがたみ。」

6.今日、同世代の女性から、尾崎左永子という現代歌人の短歌がメールで送られてきた。「はるかなる われの一生(ひとよ)の 歳毎に さくら咲きさくら散り 今日昼の雨 」。今日、明るい春雨を見ていたら、自分の一生のことが思われた。私の人生のその年その年に、さくらは、咲いては散ってを繰り返していたのだな。香りは、感覚なので、時が経てば跡形もなく消えてしまう。共有したり、伝えることはできない。短歌には、香りのような感覚の喜びは無いが、いつまでも、時空を超えて、伝わり続ける力がある。九百年前に、西行という人がいて、桜の和歌をたくさん詠んだ。もう、西行の体も心も、その時の桜の木も、跡形も無い。しかし和歌は今も、人々の心に生き続けている。西行の和歌を読んだ人は、桜を見ると、西行の心で見てしまう。和歌は、読んだ人の心に、ウィルスのように移り、住みついてしまう。

7.パン屋の喫茶コーナーで、二人の婦人が話していた。よく喋る方が、去年夫を亡くし、聞き役の方が、最近夫を亡くしたようだ。写真は、各年代ごとに一枚ずつ残して、孫が来た時に「これがおじいちゃん」と言って見せ、残りは夜そっと燃やし、灰は捨てずに植木の根元に埋めるとか、部屋の光景も心の支えだから、心が落ち着くまで整頓は急がないほうがいいなどと、アドバイスをしていた。

8.晩秋に、ハゼを釣りに行った。ハゼは1年から2年目の冬の終わりに産卵し、子育てを終えて寿命だ。

9.今年になって、池がこんなに凍るのは、昭和の再来のようだ。氷が張った小さな池。昨日のゴミを閉じ込めている。風が吹いても水面は揺れず、春が来たのも気づかない。

10. 母が通りがかりの三井商店という看板を見て、昔住んで居た家がこの近所にあると言った。昔から今も住んでいる家の近所に三井銀行がある。そのことを言っているのかと思い、あれは同じ名前だけれど銀行ではないし、家はもっと先の方だと言う。ピンとこないようなので、何を言いたかったのか考えた。母の言っている家とは、40年以上前、父も弟たちもいた家のことだと気がついた。現在の家と、同じ場所の同じ建物だが、家族が居なくなった今は、別の家のように思えるのだろう。

11. 子供の大人買い。小学校の低学年の頃、同じ団地に住んでいる同級生の男の子がいた。寒い冬の午後、一緒に団地をウロウロしているうちに、日が落ちて風も冷たくなってきた。家に帰りたくなったが、友達のうちは両親が働いているので誰も居なく、言うのがはばかられた。友達は肉屋に向かって歩き始めた。ポケットから子供としては大金の硬貨を払って、ウィンナーソーセージが数本入った紙袋受け取り、一人でボソボソ食べ始めた。無視されたような気分になって、何も言わずに一人で帰った。次の日も同じように過ごし、やはり日が暮れて、寒くなった頃、今度は乾物屋へ言って、太い輪ゴムのようなイカの燻製を買って、一人で食べ始めた。同じように殺伐とした気分になって、何も言わずに一人で帰った。それから一緒に遊ばなくなって、そのうち転校して行った。

12. 日めくりのカレンダーがある。1日1枚、1年365枚が束ねられている。毎日、翌朝に破りとる。弟達と競争した記憶がある。破りとる瞬間に、充実感と希望が湧く。充実しない日を過ごすと、破るのが憂鬱だ。若い頃はなんともいえないうれしさがあった。待ち遠しい日が一枚ずつ近づいてくる感じがした。子供なら夏休みやクリスマスや正月、大人なら給料日などだ。嫌なこと、怖れていることは、日めくりカレンダーには載っていない。いつか来るけれどいつ来るのかは分からないままの方がいい。瀕死の家族が居る人は、あと何日生きられるだろうかと、暗いけれどそれでも前向きな気持ちにさせてくれる。

13.公園の詐欺師。粘土の型屋の思い出。小学校の低学年の頃の夏、学校の脇の公園の木陰にムシロを広げ、茶色い四角の大小の素焼きの板と新聞紙の薬包紙を並べていた。陶板には怪獣や自動車や飛行機が彫られていて、粘土を押しつけると形が写されるようにできていた。薬包紙には色の粉末が入っていた。子供たちが男から型と薬包紙と粘土を買うのだ。大きな型は高く、薬包紙も金色や銀色の粉がずば抜けて高かった。幼い子は買えずに見ていた。普通の子は小さい型と赤や青などの普通の色しか買えなかった。男の周りに散らばって一生懸命粘土を型にはめ、色をつけて、男に作品を提出する。男が合図をするとみんな集まって見守る。男は品評し、駄作はひねりつぶされて没収され粘土の塊に戻される。男が良い作品だと認めるとゴザの一区画に並べて、賞品に新しい型や薬包紙をくれる。みんな名誉と賞品が欲しくて、夢中で取り組んだ。今思うと、高価な大きな型で、高価な金銀を塗りたくると入選したのだ。つまりたくさんお金を使うと入選したのだ。2週間もたつと、子供心にもそれが分かってくる。男はそれを潮時に消えた。何年かたって、子供が入れ替わる頃にもう一度やってきた。戦後の貧しさが終わるとともに来なくなった。

14.通りかかった町田高校の運動場で、生徒たちが運動会の練習をしていた。何となく、当時の友人の面影をさがしてしまった。もう居るはずもない。自分ひとりの生老病死を考えてしまうが、本当は、同世代の全員の生老病死なのだ。みんなそろって老いて死んでいくのだ。自分の世界全体が夕日のように沈んでいくのだ。自分は一組のトランプの1枚だったのだ。1枚欠け、2枚欠け、七並べが出来なくなり、最後にはババ抜きも出来なくなっておしまいだ。

15.正月。歳神は、この中にいるぞ、炊き出しの列。この冬に、線路をのぞく、人もいる。お正月、以外はいつも、神無月。元日は、ただの日の出を、拝む人。初詣、神なき人にも、神宿る。元日や、息子が孫を、抱いてくる。老いらくの、恋の残り火、孫に萌え。人参を、美味しく食べて、孫に見せ。初詣、孫に引かれて、おもちゃ屋に。

16. 5日ぶりに母を訪ねました。冷蔵庫に私の好物がいくつも溜まっていました。賞味期限が切れて3日目の刺身のパックから開けて得意の鼻で確認、焼酎で消毒しながら、食べました。やけに甘ったるく変だと言うと、母は台所からこれだよと言いながら、醤油のつもりで麺つゆを持ってきました。最近、記憶力や判断力の減退が目立つなと思いました。食後は、私は果物、母はアイスクリームが定番です。冷蔵庫から味噌が底のほうに残ったプラスチックケースを持ってきて、スプーンで掻き寄せ始めた。背筋がぞっとするような気持ちで見つめていますと、見返して「何だ」と言います。それは味噌でアイスクリームではないと言うと、「わかっているよ。少なくなったので冷蔵庫を空けるために新しいパックと一緒にするんだよ。」と言う。ほっとして、アイスクリームと間違えているのかと思ったことを言うと、「そこまでボケていないよ」と言いながら、心のそこからおかしそうに必死で笑いをこらえているのを見て、こんなに楽しそうにするのを見るのは初めてだと思ってうれしく笑えました。