TOPへ
 李白 (唐 701〜762)
君歌陽叛児(陽気な歌を歌ってよ)
妾勧新豊酒(わたしのお酒を飲み干して)
何処最人憂(何がそんなに悲しいの)
烏鳴白門柳(カラスが柳で鳴いている)
烏鳴柳花隠(柳の陰で鳴いている)
君酔妾家留(酔ったあなたは我が家に泊る)
博山爐中沈香火(香炉の中の沈香火)
双煙一気紫霞凌(ふたり一気に昇天ね)

1. カラスのお宿。

昨日は彼岸の入り。昼食後、母を連れて、あの世に行って15年目の、父の墓参をしました。墓地全体が供花の花畑、線香の煙が山火事のように棚引いていました。

そのままドライブで高尾山に向かいました。両界橋という変な名の橋を渡り、トリックアート(目と心の錯覚がテーマ)の美術館の前を過ぎて、ふもとに着いたのは4時。人影はまばらでした。カラスだけが元気よく鳴き交わしています。何だか心が弾まず、蕎麦屋で食事をと思っていたのをやめて、帰ることにしました。Uターン場所を探しながら進むのですがうまくいかず、ズルズル前進するうちに、道路工事。作業の人が振る黒い旗に誘導されて左折、脇道に入りました。後から見送るようなカラスの声がします。その道は、畑の間をうねって分かれながら、山裾の林に消えています。

山の陰なのか一気に日没、後続車も無く、昔話の、山道で日暮れになった旅人のような気分になりました。よくある筋書き通り、明かりが見えてきます。白いちょうちんに「う」という墨の文字。真っ黒な城を烏城(うじょう)というのを思い出し、カラスも人を化かすのかと思いながら助手席を見ると、ボケ気味の母もさすがに固まっています。引き返すにも畑のあぜ道、暗くてタイヤを踏み外しそうです。覚悟を決めて黒い門に向かいました。車を門の前に止めると、小柄な男が駆け寄って「お待ちしていました。お連れ様は先にお着きです。お部屋でお待ちですよ。車を置いてあちらの玄関へどうぞ」と言う。

高級料亭風にしつらえた飛び石の角々に茶室風の庵室が点在して、それぞれ障子に明かりが灯って、話声や笑いが聞こえてくる。どの部屋も懐かしい人が居るようだ。仲居の案内で、何度も橋を渡って、一番奥の庵室に通される。招待してくれた人は、自分は遅れるので、先に始めているようにとのこと。母を残し、一人で風呂場へ行く。

風呂から上がる。脱衣篭を見ると、灰色のツギハギだらけの長ズボンと垢滲みた黄色のセーター。鏡には子供の自分。無性に遊びたくなって急いで外に出ると、冬の夕焼け。ケヤキの大木があって、根元に象の鼻のような太い枝があって、幼い日の遊び友達が、笑いながら、雀のように並んで座って、揺すっている。富士山がきれいだ。寒いし、もうすく晩ご飯で、帰らなければならなかったし、みんな少しさびしい気分で夕焼けを見ている。いつものように、自転車に木箱を積んで、豆腐を売りに来ている痩せたお兄さんもいる。今なら、全部売れるまで帰れなかった事情がよくわかる。ああ、これからあの取り返しがつかないことが起きるのだと思う。みんなが帰ろうとすると、お兄さんは寂しくなるのが嫌で、お相撲をしようと言うのだ。みんな敵わない事がわかっているから、いい返事をしないんだ。「もし負けたら5円玉をあげる」と言うんだ。その頃お豆腐は10円ぐらいだったんだ。暗くなる中、みんな早く帰りたいし、賞金も欲しくて、何度もかかっては投げ飛ばされたけど、とうとう3人がかりで押し出してしまうんだ。お金を貰って家に帰り、お母さんに言うとひどく怒られて、すぐ返してくるように言われるんだ。何とも悪いことをしてしまった気分になって戻るけれど、もう誰もいなかいんだ。お兄さんはその日を最後に、お豆腐を売りに来なくなるんだ。結局そのとおりになって部屋へ戻ると、室内も母も当時の姿で、ひどく怒られて、すぐ返してくるように言われた。

もう一度戻ると、元の料亭の庵室に戻っていて、母も自分も今の姿でおり、食卓には3人分の座椅子と料理。床の間の席には誰もいず、酒器や空の皿、煙を立てる灰皿がある。「お父さんは会社へ行ったから、お前によろしくといっていたよ」と母が言う。冬の夕焼けや、今まで一緒だった友達の顔が浮かんできて、今頃みんなどこでどうしているのかなと、ちょっと心が痛んで、冷えた料理を肴に、熱燗をぐいぐいやっているうちに眠ってしまった。

耳元でカア、カアという声がして目が覚める。ドアを開くと、明るい夕焼けの空。川岸の大きな柳の木の下に車を止めて、母と二人、車の座席に座っていた。眠っていたわけでもない、一瞬の白日夢だった。もしかして、親父はカラスになって、彼岸から来たのかなどと、母と話しながら、中央高速で帰りました。

 

2. カラスの死に方。

そう言えば、この歳まで、カラスの死骸を見たことがない。色々な死に方について考えた。理不尽な死に方。本人が納得できないままの死に方。不幸な死に方。本人が死ぬのが不幸だと思いながらの死に方。孤独死について考えた。十分な治療や介護を受けずに死ぬこと。誰も見守る人がいない状態で死ぬこと。死んだ後、誰も気づかれずに放置され、後始末など、他人に迷惑をかけること。死後、誰からも思い出されず、忘れ去られること。孤独の意味について考えた。心の状態のことで、周囲の環境のことではない。脳の中で起こる感情のことだ。さびしい、わびしい気持ちになる。孤独の反対は。さびしくない、わびしくない、平静な気持ち。孤独でなく死ぬことができるのか。死ぬ間際には、執着や欲望が消える。不幸や不満な気持ちは消えている。何も望まないから、不幸でも不満でも孤独でもなくなる。孤独死はただの空想だと分かる。

 

3. カラスの学校。

自殺した魂は、自殺の原因となった言葉の心を返上し、カラスとなって、感覚や感情の心のままに、過去も未来も無く、現在の現実を生き続ける。毎年、桜が咲く一夜だけ、言葉の心が戻り、夜桜を見ながら、恨みや悔いが消えるまで、言霊の酒をついばむ。夜明けまでに、願望の未来が作れたら、再入学。若くして不本意に死んだ魂は、すぐに再入学。大戦の翌年に出生率が上がるのはこのためだ。最後まで生きる意志を貫いた言葉の心は卒業。言霊になって、言霊の海に行く。言霊の海に来るこの世の言葉の心たちを、生きようとする方向に導く。

 

4. カラスの花見。

今日、会社から帰宅すると、妻が、背広の肩に、黒い羽毛が付いているのを見つけ、摘まみ取った。最近、近所や通勤路で、カラスが目に付く。意味は不明だが、話しかけてくる気がする。

若い頃、泥酔して、駅のホームで電車に巻き込まれそうになった時、後ろから誰かが引っ張ってくれた。翌朝目覚めた時に、その人の「危なかったな。気をつけろよ」というしゃがれ声が耳に残っていた。聞き覚えのある声だった。そう言えば、昔、カラスを助けたことがある。あのカラスの声かな。あの時助けておいてよかったな。そんな事を思った記憶がよみがえる。

駅から自宅へ歩く。古い住宅街。桜の大木。桜吹雪。今夜あたりが最後かと思う。駅前商店街で後ろから声をかけられる。中年の男。花見に誘われる。何となく断れない。駅は線路をまたいでおり、こちら側は桜並木。商店の名入りのぼんぼりが灯り、笑ったり飲んだりしている。千秋楽のように満員御礼だ。その男は、もっと見事で静かな場所があると言いながら、線路の土手の暗い地下道を抜ける。線路の向こうに行くのは初めてだ。そこは大きな公園で、桜の池に浮かぶ蓮の葉のように、車座があちこちに散らばって、飲んだり笑ったりする声を風が運んでくる。駅の表側よりずっといいなと思いながらついて行く。

招き入れられた席には私を入れて5人。身内の法事の感じで、挨拶もそこそこに、酒宴が始まる。ハッカのような、なんとも軽い酒だ。一口ごとに、口の中で消え、心が軽くなる。お酌をしたり受けたり、グイグイ呑んで眠くなって、横になる。ウトウトしながら、楽しそうに、時々悲しそうに、会話が流れてくる。若い学生が、たどたどしい日本語で話す。「私、日本語、宮沢賢治の本で勉強しました。最初、私達、銀河鉄道の夜の登場人物みたいに思いました。」「あっはっは。そういえば、鉄道でどこかへ行くのが同じかな。ちょっと乗り方を間違えちゃったけどね。」「でも、私、今、ちょっと寂しい。よだかの星の方がいいです。」賢治のファンだったので、耳を澄ませました。「ところで・・・」急に声が小さくなりました。私を案内してきた男が言った。「私は、突然突き飛ばされて、妻や娘が待つ家へ帰りたかったのに、こんなに遠くへ来てしまった。」「まあまあ、起きてしまったことは忘れて、お酒を飲みなさい。桜も今夜で当分見納めだ。」「グイグイ。なんとも美味しいお酒ですね。心が溶けていくようだ。もっと飲みたくなりました。」「俺なんか、自分で飛び込んだんだから、まだいいのかな。」「おまわりさんは気の毒だったね。」「いや、本官は職務を遂行しただけです。女の人も助かったし、息子も誇りに思ってくれていますし、父親としてこれ以上の本望はありません。」「彼と俺は新大久保の駅で、線路に落ちた人を助けたけど、自分たちが死んじゃった。家内には、また余計なことをして、と言われたけれど、こんな俺が好きだったんだからしかたない。俺たち二人で、酔っ払い一人。なんだか勘定が合わない気がするけれど、まあいいか。」「私、学生で、恋人いなくてよかった。両親、韓国から来て、泣いていたけど、一族の誇りだといってくれました。親孝行だったのかな。あれから何度もここに来て、このお酒をタップリ呑んだから、もう悲しくありません。」警官がK君に言います。「最初のうちは、恨んだり、悔やんだりするけれど、結局、石につまづいたようなものさ。石を恨んでも仕方がないよ。毎年、花見をして、この酒を飲んでいるうちに、そんな気持ちになれるから。」新大久保のおっちゃんが言いました。「ああ、今年の花見は本当に楽しかった。一年ぶりに生き返った気分だ。また来年も会いたいね。俺たちは電車仲間だ。皆で肩を組んで、同期の桜を歌って、終わりにしようじゃないか。」「彼は酔いすぎているようだから、寝かせておこう。」「♪きっさまとおーれーとーわ、どおきのさくら・・・」。

私は、この人たちは、現代の特攻隊員で、桜の花の一つ一つがお墓で、一年に一度、短い間戻って来ているのだなと思い、涙が止まらなくなった。歌い終わって拍手して、シーンとなる。皆が私の方を見ている気配がする。警官が、「彼はまだ26歳だし、子供が先週産まれたばかりだから、帰してやろうじゃないか」という。皆もうなずいた感じ。「おい、そろそろ起きなよ。まだ終電に間に合うよ」と揺すられる。あわてて起き上がり、皆に礼を言って、お辞儀をして、来たほうへ振り返ろうとした瞬間、強い力で襟首をつかまれ、引っぱられた。

堪らず後ろへ下がった瞬間、「おい、危なかったな、酒も程ほどにな」というカラスのように乾いた声がして、真夏の夜の暑く湿った空気に包まれた。ああ、そうだった、会社の仲間と、有楽町のガード下で深酒をして、中目黒までなんとか辿り着いたところで、気分が悪くなり、停まっていた回送電車の間に首を突っ込んで、動き出す直前に誰かに助けられたのだ。何とか家族が待つ学芸大学の社宅に着いて、水を飲んで、靴下を脱いだだけで寝込む。

朝、目が覚めると、今の我が家の、今の自分になっていた。 思い出す。中目黒での出来事は、もう30年以上前のこと。ああ俺は30年前に死に損なっていたんだと、ぞっとする。警官は職務を全うして死んだ。自殺者は自分の意思で死んだ。他人を助けて自身は死んだ。突然突き落とされて何がなんだかわからないうちに死んだ。私は今も生きて孫ができている。幸福、不幸は、誰のための、何なのだろう。

 

5.  カラスと人間。

ふと、カラスが人間を飼っているというイメージが湧いてきた。カラスは可愛くない。声や姿が不気味だ。いじめると反撃してきそうで怖い。しかし、さびしい道での夕暮れ時など、鳴きながら西の空を飛んでいく姿が見えると安心する。羊が牧羊犬を恐れる半面、狼の気配があるときは、心強く感じたりするのと同じだ。カラスと人間の関係について考えた。カラスが人間を保護している、と思ってみた。カラスは人間に餌を作らせている。人間をペットとして観賞して楽しんでいる。南の島で、所有する貝や石の貨幣の数で村での地位が決まるように、カラスはそれぞれが飼っている人間の数を競い合っている。カラスは自分が飼っている人間を、悪運から保護している。牧羊犬が羊を守り、監視しているように、パトロールして、夕方など帰宅を促したりする。人間にはない第六感があって、事故や災難や不運の予兆が見え、周囲で鳴いて、知らせている。カラスは人間をどう思っているのか。無責任な渡り鳥を見送って、自分が守り続けねばならない絶滅危惧種だと思っている。人間が絶滅しないように願っている。こんな風に、言葉で作る世界は自由自在に深まっていく。