TOPへ
 

開胸記。

1.        大きな木を、上から見下ろしたことがあるかい。葉の海が波打って、風の通り道が見える。小鳥たちが楽しそうに遊んでいる。布団の中をころげ回る孫のおまえたちのようだ。

2.     息子や孫が手術室へ見送りに来るという。やめてくれという。病院側は付き添うように言う。周囲の願望と病人の願望が同じとは限らない。土俵に上がった力士のように、出征兵士のように、手術に向かう本人にとって辛いのは、この世への未練だろう。後ろに残していく物事だ。ここでは、それらを振り切って前進する気持ちにならなければならない。見送ったり励ましたりして、振り向かせてはいけない。

3.     手術のための承諾書に署名した。過去同様の手術で1000人中4人死んだと書いてあり、ドキッとする。言葉は無視できない。毎日自動車に乗っている。一年でほぼ3万キロ、地球一周分だ。事故死率は知らないので、感情でしか気にならないので、こちらは気にならない。

4.     心の寿命と体の寿命。心臓の弁を交換する手術。豚の弁の寿命は15年、金属の弁はそれより長持ちするが、一生服薬が必要だそうだ。どちらにするか聞かれた。心臓以外が15年以上持つかどうか、考えたが、分かるはずもない。

5.     15年前、インドのベナレスに1週間いて、毎朝、ガンジス川で船に乗って、岸辺で沐浴する人や、火葬場を見ていた。 中州があって、船頭が、そこは不浄の場所だからと渋るのを押して上陸した。その年死んだ父が焼いたぐい呑みを置いてきた。 川を見下ろす丘の上に、マザー・テレサが開いている「死を待つ人の家」が建っていて、連れて行ってもらった。清潔な白いタイル張りの床に、木のベッドが並んでいてたくさんの修道女が介護をしていた。まだ元気な人は、床を箒で掃いたりしていた。午前だったので、日差しが部屋の奥まで差し込み、すがすがしい気持ちになった。 みんなプラットホームで電車を待つように、明るい表情で、お迎えを待っているようだった。

6.     病室に案内される。説明する人、測定する人、みんな親切な笑顔だ。個人ではなく組織なので、感情が溢れているようで、実は個人の感情は、もぬけの殻なのだろう。アウシュビッツ行きの貨車のように、乗ったら、決して個人の意向では変えられない流れに捕まったのだと観念する。

7.     入院の為の荷物を用意する。寝巻き、洗面具、テイッシュ、下着、上履き、それだけだ。金や携帯電話は禁止だ。髭剃りすら不要だ。ネクタイや背広は通用しない。虚飾が取れて体だけになった気がする。心も裸になったようで気楽な感じがする。

8.     心電図をとる。呼吸を整えようとする。かえって息が乱れる。子供の頃、行進の練習で、意識すると手足がバラバラに動いてしまったことを思い出した。体と心は別々に働いていることが分かる。体に対して、心の出る幕はないのだ。体のことをあれこれ思い悩むことは無いのだ。

9.     注射をされる時、大げさに言えば収容所のユダヤ人のような気持になった時、注射器を見つめる人はいるが少ない。大抵は目をそむける。願望の未来を言葉で作れなかった人は、収容所では生き延びることができなかったそうだ。注射器から目をそらさないのは言葉の心の働きなのだ。

10.  6月24日、朝8時半、寝台車に乗って手術室へ、点滴をセット、眠くなりますという声とともに意識が消える。17時、執刀医の声で目が覚めるというより意識が戻る。家族の顔も見える。痰の吸引やパイプ類の取り外しの後、19時、ICUで家族と話す。喉が渇く。翌3時までお預けで、やっと水を飲むが塩水のように感じる。見えない右上に誰かがずっといるように思う。翌日の明け方も、突然誰かが、左手首に、冷たい膏薬のような物を貼ってくれた感じで目が覚めた。壁紙の花模様が浮き上がって、くねくね盛り上がったように見えることもあった。

11.  終わりましたよ、上手くいきましたよ、という声で、目が覚めるというかこの世に生まれる。8時間の手術の間、自分はこの世に存在しなかった。死ぬとは、体がどうにかなってしまうことでなく、心がいなくなってしまうことなのだ。一方で、手術で体がどうにかなっていたら、自分は戻ってこれなかったのだ、とも思う。手術前の記憶、さあこれから眠くなりますよという声が思い出される。朝の病室からの出発光景も。この記憶は体に刻み込まれていたに違いない。自分が戻ってきて、体の中から紐解いているのだと思う。自分がいなかった8時間、自分も体のどこかに隠れていたのだろうとも思える。

12.  6月25日未明。首が痛い。苦痛が現実に襲ってくる。一晩中、苦痛との戦いだった。朝の日差しが明るかった。酸素の管を鼻に入れていた。両手の甲は土色だったのが、今朝はばら色になっている。生き返ったのだと実感した。

13.  疼痛を抱えて眠れぬ夜を過ごして、やっと寝付けて、朝目がさめる。何万里もの旅を終えてたどり着いたような、充実感が湧く。

14.  手術の全身麻酔で、8時間、意識を失っていた。何がどうなっていたのか、自分がどうなっていたのか、全く何も無い。自分も無い、世界も無い、8時間というその時間も無い。在ったとか、無かったということも無い。全く何も無い。虚無の世界にいたとしか言いようが無い。というか、何処にもいなかったという方が当たっている。自分も世界も時間も、自分の意識だったことがわかる。すべては自分とともに生じ、自分とともに消えて、虚無になるのだ。

15.  手術の時の事を考える。麻酔で消えて、8時間後に黄泉帰ったものを、自分と呼ぼう。黄泉帰った自分の視点でこの8時間の空白のことを考える。病室も、ベッドもまったく消えていた。きっと世界も宇宙も無くなっていただろう。空間が消えていた。麻酔で消えて黄泉帰るまでの8時間という時間も消えていた。家族に「8時間も眠っていた」と言われて、手術室に入る直前、手を振ったことを思い出した。自分が消えると空間も時間も消えるのだ。この世界そのものが消えるのだ。自分が黄泉帰ると、空間や時間、つまりこの世界も黄泉帰るのだ。その後医師から手術の状況など聞かされたり、実際に傷の痛みが感じられるに従い、心は記憶を作り始め、時間や空間の空白を消し、この世界の補修工事が始まる。熟睡した翌朝、新聞やTVのニュースを欲しくなるのと同じ感じだ。世界は、自分が作り出しているのだと実感した。死は眠りと違って片道切符なだけだ。始発点に戻って、その間を思い出そうという自分が、生じないということだ。

16.  手術が終わった晩だけICUにいて、翌日から今日まで個室にいた。カーテンと壁と天井しか見えない。カーテンを下げる金具が、鶴が並んでいるようだ。ベッドの横の油絵が目に入る。体が弱っていたせいか、絵の具にしか見えない。今朝見直すと、描かれた川面や橋脚や遠景の山裾から、光が照り返しているように見えた。

17.  病室の絵。お菓子の缶の絵のようだ。病人には優しさが快い。中央に、光を照り返しながら、手前に流れてくる川があって、その上を、レンガの橋が跨いでいる。右側の岸には、ケーキのような家が4軒寄り添っている。左は花咲く草地で、土手になって林になっていく。回復前は、ペンキ絵のように見えた。描かれている物でなく、絵の具そのものに見えた。今朝初めて、橋脚の向こうから夕日が差し込んでくるのに気がついた。

18.  点滴は、病苦から自由になるために体を不自由にする装置だ。言葉の心と同じ働きだ。手術後、たくさんの点滴が付けられて、血管に直接薬剤や栄養が流れ込んでくる。口を経由するなら意思の自由はあるのだが、この場合はなされるまま、抵抗できない。植物になった気分だ。自由とは動物にあって、植物に無いものだと思う。生まれてきた時も、胎内では母親の臍の緒という点滴があり、心地よく眠っていたのだ。母と命を共有していたのだ。生まれる、自由になるとは、この点滴装置が外れるということだったのだ。

19.  夜中にそっと一人で起きて、トイレへ歩いていく。看護士抜きは違反だが、とてもうれしい。小学生の頃のような喜びが湧いてきた。自分で部屋の窓を開ける。これは大変すばらしいことなのだと気がついた。

20.  手術から一週間たった。ご飯からご飯の香りがする。美味しいと思う。窓の外で、大木の葉の波が風に揺れている。うれしい感じがする。これは幸福より上等のものだ。失って得て初めてそう思う。幸福は願望が生み出した仮想のものだが、こちらは命に備わっているものだからだ。この幸福以上のものを何と呼べばいいのかわからない。生きている喜びとでも呼ぼう。

21.  室内で、歩行訓練開始、ベッドから起き上がり、スリッパを履き、点滴装置につかまり立ち上がる。体重を右足にかけたまま、後ろに倒れていきそうになりドッキリする。今日は、廊下を100mずつ3周歩く訓練。足が重い。敗走するゾンビの兵隊のようだ。久しぶりに見る窓の外の景色がまぶしく、心を躍らせる。

22.  リハビリ室で体力回復の訓練を受けている。同年輩の同病者に出会うことが多い。みんな、目の光が同じ気がする。瞳が魚のように大きく、黒く感じる。焦点が内側に結んでいる感じだ。焦点とは、関心とか願望とか欲望の対象のことだ。深海魚が昨日飲み込んだ獲物を反芻している時のような目だ。目の光とは、光でなく、心の焦点の当て方なのだと思う。黒く澄んで、光を吸い込む洞窟のような感じだ。

23.  感情の心は感覚の心と言葉の心の中間の心だ。有能な看護士さんの世話を受けている。沢山の情報やスタッフを動かして、沢山の患者の面倒を見ている。喜怒哀楽を伴うトラブルが頻発するが、感情を抑えて言葉で全体をコントロールしている。感情の心では他者のみならず、自分すら制御できない。

24.  入院していると、待つことだけが人生になる。検査や測定に来るのを待つ。食事を待つのは最大の楽しみだ。待つといっても、受身で待つのだ。自分から望んで、何かを選んで待つことはできない。外から与えられた運命のようなものを待っているのだ。野良犬が飼い犬になった気分か。

25.  入院している部屋から丹沢の山並みが見える。稜線の連なりがそのまま見える時、自分は感覚と感情の世界にいるのだと思う。横たわる人のシルエットが見える。言葉の世界が見えているのだろう。

26.  食事制限をしている。カロリーと塩分だ。買い食いの楽しみも禁止だ。夕食には専用の弁当が配達される。一口一口とても美味しく感じる。口の極楽だ。地獄が在って初めて極楽が生まれるのだ。自由にできるのは、お茶や水だ。もし、点滴状態で、水分制限、一日に数滴しか飲めないなら、一日中水の事を考えているだろう。脳の中で空想する、数滴の水の中に、幸福や希望、極楽が見えるのだろう。

27.  病院の朝は早い。入院食はカロリーが抑えられているので、空腹になる。何を食べても美味しく思える。自由に食べる時は、噛んで、飲み込むだけだったなと思う。制限されて食べている今は、鼻や目や舌で味わっている。感覚や感情の心のまま、好き勝手に、何をしても、満足はなく、通り過ぎるばかりで、制限という言葉の心に見守られながらすると、満足が生じるのだと気がついた。

28.  病室での会話。みんなもう自分の未来を諦めている老人ばかり。一人だけ青年がいる。一番諦めが深い。移植すれば助かる見込みがあると看護士が話す。老人達が青年を生かしてやろうと相談する。そんな話を書きたい。行き先はバラバラだが、病院のこのベッドを通過して行った人は数知れない。眠りにつくと、彼らの思いが聞こえてくる。彼らが話しかけてくるように思えるが実際は自分が自分に話しているのだ。人の中身は同じだから、同じ環境におかれたら、同じ思いに囚われるのだ。

29.  病室にも朝が来る。看護士さんがカーテンを開けながら、明るい声で話しかけてくる。お早うございます。ご機嫌いかがですか。少し明るい気分になる。何故だろう。朝になってうれしいのは、何かが始まる予感がするからか。日の出、朝刊、朝食。ワクワクする気分は期待、願望、予感なのだから、未来を感じる言葉の心から生じるのだろう。

30.  病室、明け方、それぞれが昨夜の苦闘に疲れ果てて、深い眠りについている。つかの間の平安だ。深い霧の谷間の向こうの山から、静かな寝息が聞こえてくる。苦痛と平安はセットで与えられる。

31.  眠って覚める。心が軽くなっている。脳を苦しませていた未知や矛盾が、眠っている間も解決への模索を続け、解消されたのだろう。

32.  強風の朝、風の波を潜る様にして、鵜が2羽、対岸めがけて飛んでいく。飛んでいるのは何だろう。鵜の体か、鵜の心か。本当に飛んでいるのは心だ。飛ぶとは、心が飛んだ場所に体を運ぶことだ。言葉の心が作る願望の未来に体を運ぶことだ。実際に飛ぶと、その場所でしか得られない感覚や感情の興奮が得られるが、それは飛ぶということとは別のことだ。小鳥が風に飛ばされて、弾丸のように飛んでいる。仲間を見つけて、急カーブして、葉の海に突っ込む。体は直線でしか進めない。心がカーブさせたのだ。

33.  病室から丹沢山塊が見える。小鳥が上空を飛んでいる。飛んでいるのは、あれは小鳥の体か、心かと思う。心が体を飛ばしているのだ。普段なら心と体は一体に思えるのだが、手術をしたせいか、別々に見える。麻酔が掛けられて、自分も世界も記憶も消滅していた。麻酔から醒めて、自分が体に戻ってきた感じになる。手術の前までの記憶はこの体のどこかに保管されていて、自分が戻ってくるのを待っていた感じがする。

34.  個室におばあさんがいる。入院して久しいようだ。検査室で一緒になった。寝返りは打てないものの、毛布の下でつま先をピコピコさせている。病院で管理されると急には死なない。枯れていくだけだ。植物化していくようだ。痛みや苦しみには敏感になる。未来が消えて、感覚である現在に集中するのだろう。感情は薄れていく。人は「明日があるから今日がある」という風にできているのだ。

35.  病院は、自動車で言えば何なのだろう。修理工場だったり解体工場だったりする。検査や修理なら少しぐらい手荒でもよいが、解体の時はやさしくして欲しい。

36.  見舞いに来た、大人になって久しく話し合うことのなかった親子、兄弟が、じっくり話せるホールがある。その窓からは、夕焼けや朝日がきれいだ。自分たちは、同じ家族なのだと感じさせてくれる絵がある。死の臭いを隠したり、死から気をそらせるような飾りは必要ない。自分が生れた時もここで迎えられ、病や怪我の時はここで休み、死ぬ時に先祖達が迎えに来るのもここ、というような場所だ。

37.  病院の廊下で、いたわり合う家族と患者。生きている最高の喜びは、心のふれあいだ。

38.  この病室には、ベッドが6つ、カーテンで仕切られている。夕食が終わり、一時ボーっとする時間が訪れる。カーテン越しに、看護士さんと隣のベッドの患者がささやくように話しているのが聞こえてくる。余命が残り少ない人もいる。久しく面会の無い人もいる。

39.  病室は4階にある。窓の向こうは川を挟んで丹沢山塊だ。途中さえぎるものは無い。病院の駐車場に大きなケヤキの並木があって、4階からの視線では葉の海に見える。小鳥達が、風で騒ぐ葉の海の波を出たり入ったりしている。パタパタころげていくのは雀、スイスイ泳ぐのはツバメ、上空をカラスや鵜、サギや鴨も通る。トビウオになって海面から飛び回っている気分だ。普段歩いていたのは海底だったと知る。

40.  後日談。祖母が同じ病院で亡くなっていた事に、10か月後の昨日気がついた。手術後、ICUに移されていた時、枕元、頭の右後方に、じっと見ている温かい気配があったことは書いた。人というより、大きな石がどんとあったような感じだった。それがどんなに自分を励ましてくれたか、今思い知った感じがする。人が人に残せるものは、文字やこういうこと、つまり心なのだと思った。

41.  現代人は、地獄、天国が、地理的な存在ではないことは理解している。心の世界が理解できない人にとっては、そんなものは何処にもないということになる。脳の働き、状態のことで、自力で制御可能だと考える人もいる。今朝、退院にあたり、手術の予後と、糖尿病や腎臓病への配慮を助言された。病は体に取り付いた外敵でなく、体そのものの変化だ。地獄も、外的な環境でなく、自分の心そのもの、自分自身だ。心に蓄積した記憶や思考形態や体の状態は、今の自分そのもので、捨てたり変えたりできない。病気も心の地獄も、もって生まれ、これまでの生きてきた過程で培ってきた自分そのものなのだろう。

42.  退院から間もなく腹痛に襲われ、再入院する。病名は腹腔内膿症、虫垂炎のようなものだった。菌が、手術したばかりの心臓に飛火すると厄介ということで、絶食、抗生物質の点滴をした。病院の個室は孤独だ。脳の換気がうまくいかなくなって、息苦しくなる。大部屋に移って、カーテンの向こうから声が聞こえる。高齢の男性が必死の物言いで、看護士に訴えている。「自分はこんなお粥では体が持たない。冷ご飯を5分間電子レンジで温めて、土鍋で5時間煮込み、シラスとたらこを混ぜて、醤油を垂らして欲しい。いくら言ってもだめなら転院する」と言っている。「困った爺さんだな、自分も気をつけよう」と思う。翌日、栄養士が来て話をしているのを聞いているうちに、訳がわかった。先月、食道がんの手術をしたので、胃に直接お粥を入れているのだ。「自分が家で作っていたお粥なら、口で味わって、食道を通過することができるが、病院の無味のお粥では直接胃に入れるしかない。そんなのは耐えられない」と言いたかったのだ。その後説得されて、看護士さんの指導で、お粥を入れられていた。「こんなんじゃ食べた気がしない」と嘆く声。「ほら、お粥が入りましたよ、おなかの右側が暖かくなったでしょう」となだめる声。小鳥や動物もそうだが、蛇のように、飲み込んでおしまいという食事の味気なさ。生きている甲斐が無いだろうなと思う。一方で、食欲、性欲、支配欲、名誉欲など、人として生存競争に必要な、しかし厄介な、欲望の肩の荷を、こうして一つずつ降ろしていくのだなとも思う。

43.  退院から3カ月後、入院していた病棟を訪れた。病棟としては同じように活動しているのだが、知っている顔は無かった。浦島太郎現象に襲われた。歌舞伎やバレーでは、場面は変わるが登場人物は変わらない。ここでは、場面は変わらず、人が入れ替わるのだ。医師も看護士も、患者も別人ばかりだ。こちらの方が現実の姿だ。

44.  翌春、今度は腰が痛んで歩けなくなった。手で這いながらトイレに通った。手で支えるには、体がこれほど重いと初めて知った。歩けるうち、体は空気のような存在だったが、不自由になると、体は地球より重い監獄のようだと思った。

45.  今年3回目の退院だ。病気の原因究明は今後も続く。つくづく、健康に安心は無いのだなと思う。

46.  今年は本当に厄年だなと思う。しかし先月二人目の孫が生まれたことを思い出し、気を取り直して、自分を固めるためにも、日記を書くことにした。先週から命の瀬戸際にいる義父の見舞いに、熱海の海辺の病院へ行った。面会時間まで、待合室の窓から、道路を隔てた向こうに広がる海を見ていた。ここは5階、海面は、真上から見ると光が反射せず、海底のゴロタ石まで透けて見えるのが発見だ。 海原に定置網、初島、半島の先に天城山塊が広がる。夕暮れだ。ベッドで意識の無い義父には時間も楽しみも無い。時間は言葉、楽しみは変化の刺激によって生じる興奮だ。白い海鳥が、静かに沖を横切っていく。遠い海面の小船が、白い弧を伸ばす。海流が、穏やかにうねっている。暗闇が降りてくる。岸のあちこちに、明かりが増えてくる。島の灯台も光を刻んで送ってくる。コーヒーも冷めてくる。音楽が耳を過ぎていく。楽しみは、変化に気がつくたびに、そんな風に生じているのだろう。楽しみとは、変化の刺激が生き物にもたらす興奮だ。 楽しいとは、今の状態に変化があると生じる興奮だ。危険や恐怖、困難に会うと、損得に関係なく、快感が生じる。それを楽しいとか苦しいと区別するが、同じ感情の振幅に過ぎない。都会にいると田舎が、にぎやかに飽きると寂しさが恋しくなる。山に住むと海が、夏には冬が恋しくなる。感覚や感情の心は太陽を追いかける影のようだ。日が暮れると太陽と一緒に自分も消えてしまう。楽しみを追いかける生き方は、風を追いかける風見鶏のようだ。変化しかわからない。刻々と生じる風の変化に、自分の心をもてあそばれるだけだ。楽しさを追いかけるとは、変化を追いかけることだ。一歩も進まず、その場でくるくる回っているだけだ。

47.  胡蝶の夢。病室のベッドで目が覚める。白い布団、白い天井。こちらを見つめる白い人。そういえばあれから60年、途中が在ったような無かったような、夢のようだ。腕に繋がれた管から薬が流れ込む。しばらくうとうとして、また目が覚める。やはり白い布団、白い天井。こちらを見つめる白い人。違うのは、横に誰かいて、乳を含ませてくれる。乳とともにこれまでの意識が真っ白に溶けていく。